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「パスカル!」
「…高橋アナウンサー……」
応利のところへやって来たのは高橋アナで、抱えてくれていた大希を差し出した。突き飛ばされて大泣きしていたが、応利が受け取って抱きかかえると、すぐに泣き止んだ。涙でいっぱいの目でこちらを見上げる小さな存在を見て、その温もりを腕に感じて、応利は地面にへたり込む。
「応利!!」
そこへ、勝己が戻ってきて応利のすぐそばに着地した。大希は父親2号を見て嬉しかったのか笑顔すら浮かべた。この状況で逞しいことだ。
「あの増強系、投擲がクソうぜぇ!まだ一発やれんな!?」
「…ハッ、誰に言ってんの」
勝己がそばにいる。それだけで、すべてを一瞬諦めたのが嘘のように、応利は立ち上がることができた。大希を抱っこしたまま、慣れたように勝己の右隣に立つと、左腕を正面にかざす。直立できず、左側の勝己にもたれてしまうが、勝己はびくともせず右腕を同様にかざした。リーチは勝己の方が長く、太さも一回り太い勝己の腕が、応利の左腕に触れあうように並んで正面を向く。
その腕にはいつもの籠手が外されていた。この技を使うときはいつもそうだった。
圧力を操る個性の応利は、爆破という圧力の変化による現象を個性とする勝己と相性が良かった。そのため、合わせ技もいくつか持っていた。今は弱っているため、わざわざ腕を並べて1つの方向を向いているが、いつもは離れていても、腕を上げずともできる。
「いくぞ…」
勝己の低い声に合わせて、最後の力を振り絞って個性を使う。勝己の手の平に集積されるニトロを、高圧の空気の塊に閉じ込める。同時に、敵たちの周囲の気圧を上空40キロ地点ほどまでに下げた。増強系の男は呼吸を止め、大量の瓦礫や車をこちらに投げたようだが、もう遅い。
「「
自由空間蒸気雲爆発!!」」
勝己の手の平から分泌された液化燃料を詰めた高圧の空気の塊は、応利によって敵の方へとはじき出される。それは著しく低い気圧の空間で、急にその高圧の封を解かれ、とてつもない勢いで噴き出した。
このように、空気の薄い自由空間で高圧の物体から液化燃料が噴き出すと、一瞬で気化して雲を形成する。目にもとまらぬ速さで蒸気雲となったそれに着火すると、雲そのものが大爆発を起こす。
これを自由空間蒸気雲爆発といい、液化燃料爆弾などの兵器に応用される爆発現象である。
爆発は敵を巻き込み、投擲された瓦礫とともに廃墟となった公園に爆風を吹き荒れさせる。轟音が廃墟の街に響き渡り、吹き飛ばされた様々なものが互いにぶつかり地面に落ちる鈍い音が断続的に聞こえて来た。
投擲で近づくことができない敵を爆破で確実に仕留めつつ、こちらに落ちてくる瓦礫も同時に破壊する、そのためにこのような広範囲遠距離攻撃を行ったのだ。
小規模なものとはいえ、公園はいよいよ更地と化し、瓦礫すら残らず地面がむき出しになってしまった。
爆風を避けるために最後の個性を使った応利ももう完全にダウンし、すべての個性を解く。途端に大量の音が聞こえてしまった大希は驚いて泣き出すが、体重をすべて勝己に預けた応利にはあやす気力もない。
勝己は正面から応利を支え、腕を腰に回して抱きかかえる。その間に挟まれた大希を潰さないようにしながらも、勝己は応利を強く抱き締めた。
敵は全員気絶し、辺りには沈黙が落ちる。先ほどまでの轟音の嵐が嘘のようだった。
「…ごめん、勝己、俺、一回、諦めた」
何を、というのは明らかだろう。勝つことを、守ることを、助かることを、生きることを、諦めた。
「……遅くなってわりぃ。もっとはよ着いてりゃ、あんな思いさせねぇで済んだ」
怖かった。大希が自分のせいで命を落とすことが、何よりも、ぞっとするほど、発狂しそうなほどに、怖かった。咄嗟に高橋アナに託したのは、本能だっただろう。
「…でも、大希は、俺にとってまったく弱点なんかじゃなかった。むしろ、大希がいたから、俺は、頑張れた。生きる理由でもあったんだ」
ぽつりとつぶやくように言ったそれは本心だった。守るべき大希の存在は、確かに最初、足を竦ませた。しかし、この戦いで何度も自分のこれまでのパフォーマンスを上回ることができたのは、何が何でも大希を守り抜き、人々を救けるという強い意志があったからだ。
「……チッ、んなとこで渡すつもりじゃなかったんだが」
すると勝己はそう言って、何やらごそごそとポケットから取り出した。それを、応利の左手を取って、あっという間に嵌める。
「…生きる理由、もう1つ増やしてやる。この世界に留まる楔にでもしろや」
「……これ、」
左手の薬指に輝くシルバー。
生きる理由であり、現実に留まるための楔。
意味するところ理解するのは、あまりに簡単だった。
「生きるぞ。生きて、大希を育てて、ヒーローやんだよ。分かったな」
「…うん…うん…っ、わかった……!!」
結婚することは、妊娠中に決めていた。それでも、形にするのは、初めてだった。
いつでも死が隣にある仕事だからこそ、生きる理由は強い方がいい。そして、大希の存在と、この指輪が示す2人の関係は、他の何物にも代えがたい、世界で最も強い生きる理由だったのだ。
廃墟と化した公園の地面に落ちる、いくつかの水滴。
それを見た高橋は、呆然としながらも、いつも懐に持っていたカメラのシャッターを切った。
ヒーロー・爆心地は、ヒーロー・パスカルを抱きかかえるように支えている。パスカルが縋る左手の薬指と、爆心地がパスカルの後頭部に回した左手の薬指には、同じ銀色が光る。
2人の間にはおとなしくなった赤子がいて、そんな3人の背後には、更地となった公園と、廃墟と化したビル街、崩れかかった高層マンション群、そしてその真ん中で折れて傾いた高層ビルが、晴れ間を見せ始めた空に突き出していた。
黒煙を貫くように、雲の切れ間から天使のはしごと呼ばれる光の柱が差し込んでいる。今まさに、2人を祝福するように天使が下りてきていても不思議ではないと思ってしまうくらい、静謐な空気に包まれていた。
街は廃墟となったが、それは終わりではない。また、新たに街が生まれ、生活が始まる。戦争や災害を経験したこの国はそうやって何度も再生してきた。
2人の新たな関係の始まりを告げるのに、案外この光景は間違っていないのではないかとも思うのだ。
親である応利にとって、戦い生きる希望となった子供の存在。彼の戦いのおかげで、人々は逃げることができ、人質となってしまった高橋たちも無事に生き延びることができた。助かった高橋たちにとってもまた、この子は希望となった。そしてヒーローたちは、子を設けることができた奇跡を、今もなおマイノリティとして生きる人々の希望になればと思って共有するべく、結婚することをマスコミに告げてくれた。
2人の父親に挟まれて笑顔を見せるこの子は、誰にとっても希望として、自分たちを照らしてくれたのだ。
(…もう一度、夢を追ってみよう)
それならば、この大いなる希望に力を借りて、自身の未来を自身の希望で満たそうと、そう思えた。