人の彼るな麗華−2
応利はその公爵圧気家の三男として1910年に生まれた。蒸気機関の無限の可能性は人類に高度な文明をもたらし、今や人々は蒸気を使って空も飛べる。その文明にあって、応利はさらに有力な個性を発現した。
1914年、欧州でドイツ帝国がベルギー王国の中立侵犯を行って戦争が始まった頃。
新聞は墺塞戦争と言って、オーストリア帝国とセルビア王国との二か国の衝突として報じていたが、それが全世界に広がるとは誰も予想していなかった。
そんな中で、応利の個性は圧力全般を操れるものだと判明したのである。それまで気圧だけでった圧気家の個性は、それだけでも高圧の蒸気を制する者が成功する蒸気社会において勝ち組だったが、物体の内側に働く応力までその操作範疇にあると分かったときの喜びもすさまじかった。
しかし、戦争が日本に有利に進むにつれて、逆に応利のことを巡って家は不穏な空気になっていく。
新聞の見出しに「島陷落」「島攻陷戰詳報」と帝国軍によるドイツ領チンタオの陥落を伝える言葉が華々しく飾った日、応利は激しく体調を崩した。もともと虚弱体質だったのが、個性の使用によってさらに悪化したものだった。
医者は個性の強さを認めつつも、体がそれに追いつかない現状を告げた。
それを聞いて、父である当主は一気に冷めたらしい。そもそもすでに巨万の富を築いているし、兄たちの個性も強く、兄2人は事業をいくつか継いで軌道に乗せている。長男の産んだ男児も気圧の個性を継いでおり、一家は安泰だった。
それならばそれ以上は望まないとばかりに、応利のことを放っておくようになった。
だが華族として、子息には相応の教育を受けさせなければならない。ちょうど近くには華族が通う帝国學院があり、応利もそこに通い、子女たちと交友を深めながら勉強に励んだ。
幼いながらに自分の立場の脆さを自覚していた応利は、少しでも親に見初められようと体力づくりに励み、勉学も体もなんとか上達させていった。
結果、個性のフル使用はできずとも、その強さを十分生かせるようにはなった。
9歳になった応利は11月、当主である父に書斎へ呼び出され、そこでやはり新聞を渡された。「読んでみろ」と示された1面は世界大戦終結を報じるもので、子供には当然まだ早すぎる内容だった。だが、応利にとっては問題なかった。
「對獨休戰條約調印せられたり、世界大戰亂も愈終熄す。倫敦にては祝砲發せられ、多数都市は祝祭日を宣言せり、紐育に於ける取引所は悉く閉場」
「どういう意味だ」
「ドイツに対する休戦条約でもって世界大戦乱もついに終結し、各都市もそれを祝う対応を取ったということです」
「上出来だ、下がりなさい」
報われた、と思った。
血の滲むような努力は使用人たちすら知っているほどで、執事長の老紳士は涙ながらに応利が新聞を読み上げるのを聞いていた。
しかし、そう思ったのは応利だけであった。
当主は応利を養子に出すことを考えており、その見返りを狙っていた。特に、欧州が復興すると同時に日本の好景気は反動を食らい、1920年から落ち込み始めたこともあって、応利をどこか有力な家に養子に出すことで、その個性と引き換えに圧気をより盤石にしようということらしかった。
それを免れたのは幸運だったといっていい。いや、この言い方はまったく良くない。悪運というか、応利にとっては偶然のことだった。
1923年、関東大震災の発生である。
あの世界大戦ですでに、欧州は蒸気文明の衝突がどれほど悲惨なものか思い知っていたが、日本もまたこの災害でそれを痛感した。
蒸気機関は万能の文明だが、戦争ではそれが暴発したり破壊の際に広範囲を巻き込んだりして、欧州はほとんどの都市が焼失した。人口の25%が死んだとも言われる。
そして日本でも、この大震災によって東京の蒸気機関が火災で次々と誘爆を引き起こし、帝都の大部分が焼失したのである。
力を失った欧州は植民地を次々と解放していき、大日本帝國も中国からの撤退を開始した。
華族もただでは済まず、養子に出すにふさわしい家柄の選定が降り出しに戻り、さらに様子見までしなければならなくなったのだ。圧気とて屋敷が地盤の固く工場のない高田老松でなければどうなっていたか分からない。
そしてそれから、1年が経とうとしたところで、応利は勝己に出会う。