episode 4
参式
一体何度、挑戦者を屠ってきただろうか。ミラージュマンは不意にそんな事を考えた。もうすでに数億という気の遠くなるような年月が流れ、その間に完璧超人へと至れた者はそう多くはない。
(最近はこの試練まで到れる者すらいないようだが)
門番として此処に立ち、選別を行う彼はただ挑戦者の来る日を待っている。運良くこの海を渡って此処まで来れたとして、最後の関門である彼を突破せねば完璧超人にはなれない。荒れる波音を聞きながら、ミラージュマンはただ思考を巡らせていた。すると不意に、何かが聞こえた気がした。荒波の音ではない、かと言って挑戦者の足音でもなさそうだ。はて、と思いながらコツコツと階段を降り、辺りを見回す。すると、何かが漂着しているようだ。はてと思いながら、それに近づいていく。どうやら籐で編んだ籠のようだ、なおのことこの場に似つかわしくない漂着物に、ミラージュマンは首をかしげる。
「これは……」
思わず彼の口から声が漏れた。赤子が一人、籠の中でスヤスヤと眠っている。とっさに沖合の方へ視線を向けると、どうやら船が難破している様子。この子はそこから流れ着いたのだろう。
(よりによって此処に流れ着いてしまうとは、不運な子だ)
思わずそんな事を考えるミラージュマン。赤子を籠ごと拾い上げると、今度はそっと赤子を籠から取り出した。首は座っているようだ、一歳そこらの赤子に見える。
(とはいえ此処で育てるわけにも行くまい)
どうしたものか、とミラージュマンは思案する。ここは人間にとっては過酷すぎる環境だ、そして何より「種に交われば種にあらず」という絶対的な掟が今は敷かれている。だがこのままでは明日の朝日を見るより前にこの小さい命は死んでしまうだろう。
「ふむ……」
少し考えた後、彼は赤子を携えて元きた道を戻る。反対されるだろう、しかしこのまま見捨てるのも目覚めが悪くなるというもの。せめてしばしの間だけ庇護してやることを、此処の主に交渉しよう。
(あやつがこの頼みを引き受けてくれるだろうか……)
■■■
あれから五年ほどが経った。
「おじさま!」
超人墓場までは足を踏み入れさせない、そういう約束であの赤子はミラージュのもとで庇護される事となった。ある程度育ったら人間界に戻す約束で。ミラージュにすっかり懐いている少女は、今日も元気よくその腕に抱きつく。
「どうした」
優しく問えば、少女は海辺で見つけたものや沖合に見えた船などの話をとりとめもなく話し始める。
「そうか」
ミラージュマンはそんな少女の頭を撫でながら、この子もすっかり大きくなったななどと感慨に耽っていた。そろそろ人間界に戻してやる時期かもしれない、そんな事を考える。親を亡くしているだろうが、それでも人間同士のほうが上手くやっていけるだろう。どうやって戻してやるか……そんなことを彼が思案し始めた頃だった。幼い子供の好奇心は、通常のそれよりずっと大きいものだ。彼が守る扉の向こうがどうなっているのか、彼女は気になって仕方がなかった。しかし、ミラージュとの約束でそれより向こう側に行くことは禁じられていたのだ。
「ねえおじさま、この先には何があるの?」
「……人間のお前には過酷すぎる場所だ、行けばお前は死ぬことになる」
「それでも知りたいの、お願い!」
そういう少女の目は本気だった。しかし、それはできない。なにせ、あやつとの約束で彼女が仮に一歩でも超人墓場に踏み入った場合、その責任を取ってミラージュが彼女を始末することになっている。もう少しすれば人間界に戻れる少女を、こんなところでみすみす死なせるのも気持ちが悪い。
「駄目だ、お前は此処にいろ」
「……どうしても?」
「どうしてもだ」
「……わかったわ」
ミラージュの頑なな様子に、彼女は諦めたように頷いた。しかし諦めきれないのだろう、その目は未練がましく扉を見ている。
(この様子だと私が休んでいる間に勝手に扉を開けてしまいかねないな)
……その予想は、やはり当たった。
ある日の晩、仮眠を取っていた彼がふと目を覚ますと、小さな足音が扉の方へ向かっていくのが聞こえた。慌てて身を起こすと、そこには扉にそっと手をかける少女の姿が。
(やはりダメだったか)
そう思うと、ミラージュは幻術を発動させた。彼女の眼には、扉を開けてその向こう……彼が幻術で作り出した天国のような光景が見えているはずだ。
「あ、あれ?」
少女はキョロキョロと辺りを見回している、どうやら自分がどこにいるのか分からなくなったらしい。ミラージュマンはそっと近づくと、その耳元で囁いた。
「此処はお前のいるべき場所ではない」
「おじさま!」
少女のその言葉と同時に、ミラージュの手がその細い首に添えられる。そしてせめてもの情けとでも言うように、ひと思いにその首の骨を折った。
「……!」
言葉もなく絶命した少女の目から、徐々に生命の光が消えていく。それを見つめるミラージュの眼にあるのは、ただただ憐憫だった。
(幼いとはいえ自分の好奇心を飼い慣らせぬなら……当然の報いだろう)
その小さな骸を抱えあげると、ミラージュは海辺へと降りる。そして荒れる波間にそれを投げ入れた。少女の体は次第に波に飲まれ、そのうち見えなくなっていった。
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