episode 9
捌式
人はすでにかつての慈悲の神の恩恵を忘れ、唯生きているようだ。かつての彼を称えて建てられた遺物を上手く再築することもできないらしい。哀れなものだ、そう思いながらシングマンは眼下を眺めていた。
(しかし、哀れなのは仕方のないことか、下等な人間どもめ)
シングマンはかの神を敬愛していた、だからこそ不出来な人間たちが哀れでならない。神から与えられた恩寵を忘れ、己が欲望のためにのみ動くなど浅ましい。
(下等な超人が一掃されたと思えば今度は人間同士で殺し合いか、まったくもって度し難いな)
シングマンにとって人間は下等な存在であった。自分たち超人よりも脆く、非力で、愚昧な存在。それが彼の認識だった、おそらく盟友であるガンマンも似たような認識だろう。
(……? あの人間、先程からずっとあやつの像の前で動かないな)
シングマンは地上にいる一人の少女に眼を止めた。その少女は像の前で手を合わせ、跪いて何か祈っていた。シングマンは像を見るその少女の姿に既視感を覚えた、かつて同じように祈りを捧げた人間たちがいたのだ。彼らは皆同じ願いをした、『この世から争いがなくなるように』と。あの少女の祈りもそれと同種のものだろう、シングマンにはそう思えた。
(……しかし、その願いは叶うまい)
シングマンの脳裏に今までの人間たちの願いが思い起こされた、人間同士の争いを消し去って欲しいと願った者もいれば、自分たちの子々孫々に永遠の平和を与えて欲しいと祈った者もいた。だが、その願いは叶えられなかった。理由は簡単だ、人間はそれを叶えられるほど成熟してはいなかったからだ。
(あの少女もいずれは理解するだろう、人間という生き物がいかに度し難いかをな)
そんなことを考えていると、シングマンは地上の少女が像に背を向けた。そのまま立ち去ろうとしたとき、少女はふと何かを思い出したかのように振り返った、そして像に向かって一礼した。
(ほう)
最近ではあまりこうした礼儀正しい人間は見なくなった、シングマンは改めて地上の少女を見た。少女は像に向かって一礼した後は足早に去っていった。シングマンは思った、あの少女はきっと誠実な人間なのだろうと。
(……果たしていつまでそのままでいられるかな)
シングマンはそう考えながら、眼下の人間達を見下した。それから、彼女はほぼ毎日この朽ちた像の前にやってきては何かを一心に祈っていた。シングマンはただ声もかけずに少女を見ていた。ただ、その敬虔さがいつまで続くのか興味があったのだ。彼女はいつも何かを祈っていた、それがどんな内容なのかはシングマンにはわからなかった。そして、特に興味もなかった。そして、ある日。
「毎日祈っているのに、どうして願いが叶わないんだろう……、どうして」
少女はそう言いながら、しくしくと泣いていた。シングマンはそれをただ見下ろしていた。少女はしばらく泣いた後、苛立ちをぶつけるように手にしていたブレスレットを像へと思い切り投げつけた。
(やはり人間は成熟しきっていない)
シングマンはそう心のなかで呟くと、彼女の前へ降り立つ。急に現れた見知らぬ異形に、彼女は悲鳴を上げようと口を開いたが声が喉を震わせるより前に彼の手ががっちりと喉を掴み上げる。
「何……、これ?」
彼女の声は恐怖に震えていた。シングマンはその声を無視して、怯える彼女を無感動に見つめる。
「人間は度し難い……下等超人どもよりもなお心が弱い」
彼女の問に答えることもなく、彼はそう呟くと容赦なく首をぎりぎりと締め上げていく。少女はもう声を上げることもできず、次第に抵抗する身体からも力が抜けていく。そして、ごきっと鈍い音と共に骨が折れ曲がる。
「……人間の敬虔さなど、長続きしないということだな」
少女の亡骸を放り投げると、彼は仲間たちのもとへ戻るためにその場を一度も振り向くことなく立ち去っていった。
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