戦争が始まった。
昼休みのチャイムが鳴ると同時に、弾かれるかのごとく教室を飛び出した彼に対して、周りのみんなは「またか」と苦笑いを浮かべた。
部活で鍛えている上に、彼は男子である。まだまだタイムリミットは有り余っている。
ふと、自分を追いかけてくる女子生徒たち……いわゆるファンたちをちらと振り返ってみる。しかし必死の形相の彼女たちと目があったとたん、慌てて前に向き直った。
……参ったなあ。
女の子は皆、かわいいけど、ちょっと怖い。
それが彼、花見高校2年B組てれびの、世の女性たちに対する考え方の基本であり、常識だ。
女の子といえば、「女の子はお砂糖とスパイスといろんなステキでできている」というマザーグースの歌の一節が有名だ。てれびもこの歌詞に共感を持っている。
「お砂糖」は女の子のかわいさを、「スパイス」は女の子の怖さを表しているのだろう。てれびはそう思った。
……では「いろんなステキ」とは、なんなのだろう?
てれびに答えは出せなかった。彼は女の子の全てを理解していたわけではないし、理解しようとなんてしなかったのだから。
「気持ち悪い」
園で1番かわいいと言われる女の子は、無表情に冷めきった瞳を携えながら、当時6歳だったてれびに、そう言い放った。
11年前のことだった。
当時てれびは第1ウェーブに乗っていた。「モテ期」である。幼稚園中の女の子たちは多分皆、例外なく彼の虜だったと言えるだろう。
他の男子より自分の見た目が良いことも、女の子は褒められるのがとても好きだということも、幼いながらもてれびは理解していた。それらが相まって、てれびは波に乗っかっていた。
調子に乗っていたと、言ってもいいだろう。
毎日毎日女の子たちに告白されまくった幼き日のてれび少年は、そうして調子に乗り、園で1番のかわいい女の子に
「付き合っても、いいよ」
と、言ってしまったのだ。
「気持ち悪い」
今でも夢に見るくらい恐ろしい。
小さな口が不気味にうごめいて、丸くて愛嬌のあるくりくりした瞳は、てれびの後方、どこか遠くを見据えていた。
その目だった。てれびに「偏見」を植え付けたきっかけは、その何もかもを見透かしたような、蛇のような瞳孔だった。
……モテるからって調子に乗った自分に非があるんだ。
廊下を飛ぶように走り抜けながらてれびは思った。
……俺が悪いんだ。
胸中でそう自分を卑下しながらも、幼かったんだから仕方ないだろう、とてれびは思っていた。
廊下を曲がる。
……女の子たちは、俺のことを「かっこいい」「かわいい」「すき」と褒めて持ち上げてくれるけど……いつかは「飽きた」「想像と違った」って言うかもしれない。
いや、いずれ言うだろう。人の心は必ず変化するものだから。
てれびは階段を4段飛ばしで駆け上がった。息はまだ切れない。
……男は女のアクセサリーって、誰かが言ってたっけ。
しかしこれは言い得て妙だとてれびはニヤける。
「うわっ!」
突然ガクッと体が沈む。
慌てて手すりにつかまる。転びそうになった。少し油断していたようだ。気を取り直して地面を蹴り、また数段飛ばして飛び上がる。
階段を上がりきり、4階の廊下に出た。パッと動きを止め、両手を膝に乗せて息を整える。
走っているときは風があるからよかったものの、立ち止まると熱が吹き上げるのみで、風は体を冷やしてくれなくなってしまう。
玉のような汗で体がぬめついて苛立つ。
まだ春とはいえ、今日の日差しはいつもより明るくて、鬱陶しい。
てれびはもともと、春が嫌いだった。
間の抜けた温かい日差しや、雪が溶けて草花が顔をのぞかせ、生命で世界が活気立つこの呑気さが、彼は気に入らない。
汗が滲むのが不愉快ではあるが、てれびは数回肩を上下させ、息を整えることだけを考える。胸に手を当てれば、ド、ド、ド、と内側から振動が伝わってくる。少し走っただけなのに、心拍数はしっかり上がっている。
とりあえず深呼吸をしようと目を閉じたそのとき、汗ばんで火照った首すじが、すっと涼しくなった。