カーテンを取り払われた窓から、白い光がサラサラと差し込み、それが空中に舞う無数の埃を照らしているのが、部屋の奥まで続いている。
 目線をずっと横にずらすと、天井近くまである本棚が、人一人分の間隔を持ってびっしりと並んでいる。右奥には本棚のない開けた空間があり、そこは読書スペースとなっているようで、手前の半分はテーブル1つに椅子が4脚、それが4セット置かれていて、あとの半分には座敷が敷き詰められているようだ。
 向こう側の校舎から響いてきた笑い声が、かすかに窓ガラスを叩いて落ちた。それに対してこの部屋には、重鎮な静寂が満ちている。
 てれびはしばらくの間、ここがどこであるかも忘れて、入り口の辺りで立ちすくんだ。口をぽっかりと開けて、目の前の光景に見入っていた。その間も確かな無音は漂っていたが、それさえも放念してしまっていた。
「魔法の部屋だ……」
 無意識のうちに、言葉が転がり落ちた。埃が舞う。
 堂々と佇む本棚が、立ちすくむてれびを見下ろしている。なんだか小学生にでもなったかのような気分だった。
 そういえば、もうずっと教材以外の本に触れた覚えがないな。ふと、てれびは回想する。最後に本を読んだのは、一体いつだったろう。彼の進学した中学校には珍しくも図書室というものがなかったのだ。小学生の頃は、まだ、平仮名だらけの紙面を眺めていたような、気がする。
 見えない糸に引かれるように、覚束ない足取りで1番手近な本棚に近づいた。そして、ちょうど目に留まった、分厚い背表紙の本を引き抜く。
 とたんに、想像よりはるかに大きな重みが、てれびの手のひらに落ちてくる。慌てて左手も使い、本を支えた。赤ん坊を抱くように、慎重に抱えながら、じっくりと眺めてみる。
 上等な素材でできているであろう表紙の四隅は、皮が剥げたり傷が付いていたりするものの、不思議と輝いて見える。恐る恐る、汗ばんだ右手で背表紙を捲ると、中のページはかなり黄ばんでいたが、やはり「汚い」という印象をはねつけるような、不思議な品格を持っていた。
 紙独特の、ざらついた表面を撫でながら、てれびの心臓はまたドクドクと激しさを取り戻していた。内側の、ずっとずっと深いところから、大きな何かがムクムクと湧き上がってきて、息がぐっと詰まる。
 自分の手の中にある、初めて見るはずのこの本が、どうしたことか、とても懐かしく、手に馴染むように感じられたのだ。
 これまでに感じたことのない、酷く奇妙な感覚をひしひしと感じる。てれびは惜しむような手つきで、本を閉じようとした。

「『戦争と平和』」

 ふいに、さも愉快そうな声が、静寂を破った。
 その声に弾かれて、てれびは勢いよく振り返る。入り口横のカウンターに目を向けた。
 視線の先には、先ほどてれびを招き入れた小柄な生徒が、カウンターにゆったりと肘をついてこちらを見ていた。
 墨を吸ったかのような黒髪が、窓から差し込む光を受けて煌めいた。

「その本。 好きなんですか?」

 小柄な生徒の、その小さな体躯に似つかわしい細指が、こちらを指している。薄灰色のカーディガンがその体にしなだれ掛かり、学校指定の白いワイシャツから伸びる首は、少しだけ傾けられていた。
 なんら変哲はない。けれど、夜を切り取ったかのような黒髪の下、つり目がちな悪戯っぽい瞳の奥だった。
見たこともない、目も眩むような金色が、灯っていたのは。
 月?
 一瞬、思考が止まりそうになるが、慌てててれびは自分の目を手の甲でグリグリと擦り、再度その生徒に目を向けた。
 キラリ。
 てれびは思わず目を瞑りたくなった。夜空にあるべきはずの月が、未だにそこに鎮座している。見間違いではなかったのだ。深海の底を這うような黒髪の下に、寸分の輝きも失わずにはめ込まれている。
 金縛りにでもあったかのように身動きが取れなくなったてれびは、そのままじっと月を見つめていた。
 しかしふいに、月が細められた。
「とりあえず座りませんか?」
 てれびは、そこでようやく、小柄な生徒が自分に声をかけていることに、気がついた。
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