それは、自分で言うのもなんだけど、起こるべくして起こったことだと思う。

「やっぱり、かっこいいね」
 部屋の入り口の辺りから、数人の女の子の声がした。潜めようにも潜められないって感じで、上ずったような、熱に浮かされたような声だった。
「すてき……!」
 皆が皆、ウンウンと頷いて、燃えるような視線をこっちに向けてた。机に広げた本に目を落としたまま、僕は澄まし顔で、ちゃっかりと聞き耳を立てていた。
「かっこいいなぁ……」
 囁く声がする。ほっぺが熱くなるのを感じながら、僕の目はその子の方に引き寄せられていた。
 僕に視線を投げている4人の少女たちの中、他の3人より幾分か背丈の高いその子に、なぜだか僕は釘付けになる。
 女の子たちはいつも僕にくっついてくるけど、その子だけは他の子と違って、取り巻きの女の子たちを数人引き連れながら、いつも遠巻きに僕を見つめてた。
 園にいた女の子たちは、多分、大体皆僕に恋をしていたと思う。すぐに告白してくる子はたくさんいたし、そうじゃない子も、きっと、皆恋に落ちていた。
 目で分かるんだ……「好き」って、目の中に言葉が浮かんでるんだよ。本当に。
 そして、その「他と違う女の子」の目の中にも、いつもの二文字が張り付いていた。
 あの子は僕のことが好き。
 そう認識すると同時、僕の心臓はうさぎみたいにぴょんぴょん跳ね回った。天にも昇るような気持ちだったよ。全身の血液が頭のてっぺんから足の先を行ったり来たりするのが、はっきりと分かった。
 ある日、その女の子に呼び出された。大切な話があるから、とか言ってたっけな。
「好き。 てれびくんのこと」
 あの丸くてキラキラした、可愛い瞳に涙を溜めて、女の子はそう言った。彼女はあの当時、他の子に比べて背が高かったけど、それでも僕の方が背丈があったから、必然的に上目遣いになってて。
「付き合ってください」
 さくらんぼみたいな髪留めで、高いところでツインテールにされた、絹糸みたいに艶々した茶髪が、ふわっと揺れた。
 僕は迷った。付き合うとか付き合わないとか、分からなかったし。それに、女の子と仲良くするより、ずっと好きなことが、1個だけ、あったから。
 断ろう。
 閉じていた瞳を開けて、口を開いた。ごめんね、付き合えない。その言葉は舌の根っこの辺りまで出かかって、でも、引っ込んだ。
 目の前の女の子は、泣いていた。長い睫毛が濡れて、窓から差し込む光がそれを照らしていた。
「だめ、かな……?」
 水膜の張った瞳が僕を見上げてる。そうだ、僕が断ったら、この子はどうなるんだろう。園で1番かわいくて、愛想が良くて、友達がたくさんいる、女神様みたいな女の子。
「付き合っても、いいよ」
 女の子の、涙に濡れた瞳が、笑った。
 僕は馬鹿だ。

 僕は、僕の時間を裂いて、その子と一緒に過ごした。お昼ご飯の時は席が決められていて離れ離れになったけど、それ以外の時間は大抵一緒にいた。女の子は、昨日新しい服を買ってもらったとか、今日また誰々くんに告白されたとか、色々な話をしてくれた。
 僕は、その話に、とにかく懸命に耳を傾け続けた。ウンウン頷いてみたり、相槌を打ってみたり。そうなんだ、今度見せて欲しいな。とか、可愛いから仕方ないね、とか言ってさ。
 僕は、自分の話をするのは、あまり好きじゃなかったから、他人の話を聞くのを頑張ってたんだ。お陰で、相槌を打つタイミングを見計らうのがすごく上手くなったし、言葉選びも素早く、的確にできるようになったと思うよ。
 僕は、それでいいと思ってた。彼女──いや、女の子たちは、大体皆話したがりなところがあるでしょ。上手いこと話を聞いてくれる人間がいれば、そういう人間でいられさえいれば、それで100点が貰えるだろうって、そう思ってたんだ。
「つまんない」
 けど、彼女は違った。
「私ばかり喋ってる。 私は、てれびくんのこと、もっと知りたい」
 彼女は、他の、それまで僕が出会ってきた全ての女の子と、違っていたんだ。彼女は、僕のことを見ようとしてくれた。彼女は、僕のことを、本当に好きだと思ってくれたんだ。
 嬉しかった。彼女ならきっと、僕の全てを、受け止めて、受け入れてくれる。
 僕はその日、初めて家族以外の人間を自分の部屋に招いた。僕の大切なそれを、彼女に見せるために。
 僕は大馬鹿だ。
-7-
prev | cover | next