訓練中、上官に指導される話/両片想い/2023.10.05
訓練地には巨人の背を優に超える大木が並んでいる。その木立の合間を、最適なルートを割り出しながら駆ける。ひたむきに前を見ていても、周囲の音がちゃんと拾えるよう、意識は全方位に向けておく。アンカーを射出し、身体を引かれるたび、噛みしめた奥歯が砕けそうなほどのGがかかった。
数十メートル先に巨人型の模型が現れる。それがゆら、と揺らめいたところでキュルキュルとワイヤーが巻き取られる音が聞こえた。斜め後ろにだれかいる。同じ班の兵士か、もしくは特別作戦班の――。
「オイ新兵。なんだぁ? そのちんったらした動きはよぉ!」
やっぱり。煽るような悪どい笑顔でわたしを追い越していったのは、一期先輩のオルオさんだった。
「もう新兵じゃないです!」
ガスを噴かし、なんとか背中に張りつくようにして飛びつつ声を張り上げる。
「これでも八回、壁外にでてるんですから!」
「そうだったか? 悪ぃな、ちっとも知らなかったぜ。ナマエの活躍が一切耳に入ってこないんでな」
「おかしいですね、もしかしてオルオさん、耳悪いんじゃないんですかっ?」
日常茶飯的に噛みついた瞬間、すぐそこまで迫っていた模型に人影が切りかかった。あ、と思う間もなくハリボテのうなじが三日月の形に切り取られる。やったあ、とブレードを掲げる兵士の髪の毛は、陽に透ける亜麻色。
「残念だったねふたりとも! 今日のMVPは私かな」
太い枝根に着地して、ペトラさんが笑う。わたしもあとに続いた。オルオさんは木の表皮にアンカーを刺し、半分ぶら下がるみたいにして落ち着く。肩で息をするわたしとは打って変わり、先輩たちは少しも呼吸を乱していない。
「オルオ、またナマエのこといじめてたの? やめなよみっともない」
「ああん? 俺がコイツを、どこで、何時何分何秒にどういじめたってんだよ」
「そんなの毎秒じゃないですかっ」
ムッとしながら反撃すれば、ペトラさんの頭が小さく傾いた。ほらね、という顔つきで同期を睨んでいる。
「いつも思ってました。オルオさんは、どうしてわたしにきつく当たるんですか」
きつく、というか。からかいの域は出ないけれど。問題は揶揄の頻度が高すぎること。
「そりゃお前が……」
「わたしが?」
「お前が、新米のクセしてリヴァイ兵長にまとわりついてるからだっ!!」
忌々しげに鼻根を歪めた彼は、唾を吐き捨てるみたいに言ってのけた。
「鬱陶しいんだよ、削いだ巨人の蒸気よりアッツアツの視線で媚びやがって。言っておくがな、俺のほうがよ……っぽど先に知り合ってんだ。わかるかヒヨッコ。俺のほうが兵長に気に入られてんだよ、ざまあみろ!」
みろ、みろ、みろ……。語末がそこらじゅうに反響する。呆気にとられ、ぽかんとしているのはわたしもペトラさんもおんなじ。
「自分のほうが気に入られてるって、なにを根拠に言ってるのよ。そりゃあ、兵長だもん。部下を大事にはするでしょうけど。だれかひとりを特別扱いするなんてこと」
オルオさんが、にや、と口角を吊り上げた。確信に至る根拠を披露しよう、という面差しだった。ペトラさんと一緒に、したり顔の男を見つめる。
「俺ァなあ、兵長の裸も見たことがあるんだぜ?」
「なっ……!」
誇らしげに鼻を鳴らす姿に、思わず目を見開いた。さすがに聞き捨てならない。冗談ですよね、だって兵長の裸なんてどこで見たんですか、そう口にしかけたときだった。強い風が吹きぬけ、風圧に目をすがめる。
「兵長!」
秋の嵐をまとい、軽やかに木枝へ降り立ったのはいままさに話題の中心となっていた人物で、ペトラさんがすかさず拳を胸に当てた。オルオさんも、わたしも、慌てて姿勢を正しくする。
「てめぇら、こんなとこでなにくっちゃべってる」
「オ、オルオが、兵長の裸を見たことがあるって言うので……」
「コラッ、ペトラお前!」
「ほう……?」
兵士長であり、彼らにとっては直属の上司でもある人の目が、オルオさんに流れた。
「記憶にねえが。いつだったか」
「えーっとぉ、そのぉ。あれっすよ。だ、……大浴場、っつうか、なんつうか……」
まさか、湯浴みの最中? たじたじになって頬をかく先輩を、わたしは今度、じっとりと見澄ました。
「ここから、北西に進んだ先で」兵長がため息まじりに口を開く。「若ぇのが数人、団子になってはしゃいでやがる。いまは訓練中だってことを忘れるな、と……オルオ、お前がケツを叩きに行け」
指示を受けたオルオさんは、了解ですっ、とはじかれるようにその場を離れた。最後、わたしのほうへ置き土産代わりの睨みをきかせていくのも忘れずに。次いでペトラさんもアンカーを打った。
「お前は待て」
先輩たちに続こうとすれば呼びとめられ、鋭い双眸と向かい合う。兵団服の色どりが訓練施設の大自然に溶けこみ、兵長との遠近感を、ほんの一瞬見失った。
「あっ」
直後、脇腹らへんを通る耐Gベルトを引かれてふらついた。しっかり立ってろと厳しく言いつけられる。口調は峻烈で、まさしく上官のもの。従いつつ、後ろにやった手で木をさわった。支えにするには太すぎる樹幹。掴みきることは当然できないけれど、念の為だ。ところどころめくれた木皮が、手のひらに擦れる。
その間にも兵長は、わたしの身体を這うように巻きつく革ひもとシャツとの隙間に指をさしこみ、昇らせていった。腋の下付近までくるともう、ベルトに遊びはない。自分のとはかけ離れた、ごつごつ骨ばった指が肋骨に食い込んでかすかに痛む。
「わかるか」
「え?」
「指が入る。……ほら」
ジャケットのなかの、ベルトをどんどん辿られる。腋の下から鎖骨のほうまで。肩のまわり、腕の付け根をなぞるみたいに。さしこまれた指が肩当てまで届けば、次は胸もとの留め具まで。
リヴァイ兵長の動作からひとときも目を逸らせずにいると、ふいに一歩、迫られた。顎を持ち上げるころには背中が木にくっついていた。お互いの距離が近い。兵長はわたしの、心臓のあたりを見ている。いま指を通してるあたりを。うすく伏せられたまつげを、リヴァイ兵長を、窺うように見つめるのはわたしばっかり。
「きっちり締めてりゃ……こうはならない」
脈拍が信じられないくらい速い。これがすべて伝わってしまっているんだと考えると、涙がこぼれそうなほどの羞恥心に襲われた。このうえない醜態を晒している心地がする。せっかく整った呼吸も、再び乱れきっていた。胸もとの、金具が緩められる。
「へいちょ」
「腹から息を吸え」
「え、あの」
「吸え」
首を縦に振る代わりに、スゥと酸素を取り込んだ。
「っ!」
途端にベルトを引っぱられる。思いっきり。背が勝手にしなり、きつく締め直されたのだと遅れて理解した。とはいえ呼吸がしづらいというわけではなく、むしろ装備が全身にフィットしたような感覚。
「いいか、こんぐらいは締めていい」
「は、はい……」
「余計な空気抵抗が減って、いままでより飛びやすくなるはずだ」
言われて少しびっくりする。立体機動中、わたしはしょっちゅう過度な重力に潰されかけていたけれど、それを人に相談したことはなかった。仲間に指摘されたことも。だから単純に、自分自身に体幹が、あるいは筋力が足りないせいだと、コツを掴めていないせいだと推断していた。
驚きついでに打ち明ければ、リヴァイ兵長はそうか、と口先で返事をひとつ。こっちの事情に興味なんかほとんどない、みたいな表情で、いつもと同じ一貫した態度で。でも不満はない。話を、ひととおり聞いてくれただけで充分だった。
「……それ以上はキツくするなよ。骨を大事にしたければな」
うなずきながら、わたしも指を通してみる。自分で調整したときとは確実に違う仕上がり。人差し指は、むしろ小指ですら、胸もとにさしこめない。この締めつけ具合を覚えようと取り組む傍ら、生々しく伝わってくる鼓動にはうなだれた。
「兵長。……一個聞いてもいいですか」
「なんだ」
「兵長は、毎回、こんなふうにご指導なさるんですか?」
オルオさんとかペトラさんとか、他のみんなにも。情けない語調で問いかけると、こんなふう? と眉をひそめられる。
「さ、さっきみたいに、です。……あんなの、距離が近すぎると……思います」
物理的にともいえるし、心理的にともいえた。あれが常態なら、オルオさんが自分は特別可愛がられていると主張するのも無理はない。
「なんて答えてほしい」
「へ……?」
「お前は俺に、なんて言わせたいんだ」
思いもよらない切り返しだった。ハイかイイエの二択を予想していたのに。一方のわたしはうまい言葉が出てこなくて、視線をうろうろ泳がせてしまう。
「こんなふうに」
ぐ、とまた一歩近づかれる。体勢が逆戻りする。視界は、さっき以上に翳った。
「迫って悪かった、……とでも言やぁいいか?」
遠くで剣戟が響いている。内容は聞き取れないけど、兵士たちの話し声も。なのにわたしはいま、ものすごく静かななかにいた。リヴァイ兵長とふたりきりの森のなかに。意識をあちこちへ散りばめることができない。目の前にいる人にしか、集中できない。
「お前はどうなんだよ」
「わた、し?」
「だれに指導されてもされるがままか。さっきみてえに」
「あ、相手の立場が、自分よりも……上だったら」
「抗いはしない?」
「はい」
嘘だ。オオカミ少年さながらの真っ赤な嘘。相手がいくら先輩でも、上官でも、さらには女性であっても、あんなふうにさわられて黙っていることはおそらくない。リヴァイ兵長以外の人にはされたくない。たとえば壁外における戦闘時だったり、緊急時なら違ったかもしれないけれど。でも、そうとは言えなかった。だってそんなの、捨て身の告白とイコールだから。
数秒の沈黙ののち。兵長は、へえ、と言うみたく片方の眉を上げた。そのまま、離れていく。視界がひらけて明るくなり、ふたりきりにも思えるような密度の濃さは一気に失せた。ざわめきが耳に帰る。身体中熱い。どこもかしこもすっかり秋なのに、わたしだけが夏の名残りみたいだった。
「俺は」
両脇のホルスターにしまってあったグリップを取り出すと、兵長はカチカチとトリガーの調子を確かめだす。その横顔を見つめる。
「あんなん、お前以外にはしねえが」
カチ。装置の音が止まった。手もとを眺めるためにうつむいていた、兵長の顔も上がる。だけど、わたしの様子や反応を気にするでもなく。まっすぐに眼前を見据え、飛び立つのに適したタイミングをはかっているようだった。
あんまりにも淡々としている。声音だけを拾えば、なにかの報告を受けたときとさほど変わらない。
「それ、って……どういう、意味ですか」
訊くと、ようやく目が合った。涼やかな瞳に、感情の起伏などはまったく表れていない。リヴァイ兵長がもっとわかりやすい人だったらよかったのに、なんてうらめしく思う。
「てめぇのアタマんなかはスッカラカンらしいな」
「すっからかん……?」
「お前にしかしない。そのことの意味ぐらい、俺に聞かねえで自分で考えろっつってんだ。クソの始末よか簡単だろう」
「えっ……あ、じゃあえっと。あの、つまり」
と。前のめりになった気持ちのまま踏み出したとき、片足がずるりとすべった。落下するほどではなかったし、もし落ちたって立体機動があるから心配はないけれど、兵長がとっさに腕を押さえてくれたおかげで無事にバランスを保った。すみませんと謝れば、チ、と舌打ちされる。
「バカが、気をつけろ」
「怒ることないじゃないですか……」
いまのは兵長のせいなのに。そう反論する猶予も与えず、訓練に戻れ、と言ってアンカーを放つ上官。真っ青な、高い空めがけて木を蹴り上げるさまにはちょっとの間違いも見当たらない。
遠ざかる自由の翼にぼんやり惚けた。リヴァイ兵長をとりまくあらゆるものに目を奪われるようになったのは、いつのころだっただろう。これが恋だと自覚したのは。
しばらくのあと、はっと我に返って立体機動に移った。足場を失くした状態で、内臓の位置はあべこべになっていくものの、かかる負荷はずいぶん減っていた。奥歯をぎりぎり噛みしめなくても、楽に進んでいける。兵長のおかげだ。
今夜にでもお礼を伝えに行かなくちゃ。兵長の言葉の意味を、理解しているということも。さっきは両方、言いそびれてしまったから。