相互サイトの管理人さん3人と「旅行」をテーマに1本書こうか〜となって書いたものです。それぞれべつの季節を担当し、このお話は「夏」。
実在する地域とは一切関係ありません / 甘め?のメリバ / ホラー要素あり / 20210721








 ご搭乗案内。そう書かれた紙に従い、沖縄行きの飛行機に乗り込む。座席は四十五のA。ナマエは俺の隣だ。

 シートは基本的に三人掛け、四人掛け、三人掛けの順で横一列に並んでいるが、数少ない二人掛けを確保できたおかげで空の旅をする約三時間、無駄な気を遣わないで済みそうだった。

「それ、上に入れるか?」

 ナマエの膝元を指す。そこには肩掛けのバッグがちょこんと置かれている。

「小さいから平気!」

 確かに、何が入るのかと不思議になるくらい小さい。荷物のほとんどをでけぇスーツケースに詰め込んだからだろう。
 もし何か足りなければ現地で買えばいいと説得したものの、結果的にナマエの荷物はコンパクトにはならなかった。

 とはいえ気持ちがわからんわけでもない。頭痛薬、吐き気止め、胃薬、うがい薬、かゆみ止め、キズ薬、アルコールジェル、除菌シ……やめだ、挙げたらキリがねえ。とにかく俺もいろいろ持ってきた。それでもナマエのに比べりゃ、俺の荷物はスカスカだったが。

「リヴァイ、写真撮ろ」

 ナマエがスマホのインカメを起動させる。普段であれば拒否の一択。写真に撮られるのは好きじゃない。

「一枚だけな」
「うん!」

 しかし今回ばっかりは仕方がねえ、旅行は家を出た瞬間から始まっている。鼻歌交じりに浮かれる女に身を任せた。

「……さっさとしろ」
「待って。髪の毛が変」
「変じゃねえよ」
「変なの!」

 スマホを鏡代わりにするナマエの口が尖る。俺としてはどこが変なのかまったくわからねえが、まあこいつなりに気にするところがあるんだろう。ミリ単位の調整は美容師さながらだ。なんにせよ髪をいじる真剣なツラが可愛いからなんでもいい。いつまでも見ていられる。

「よしっ。撮ろう?」

 真夏に似合う晴れ晴れとした笑顔を向けられて、俺も頭を傾けた。腕は組んだままでレンズを覗き込む。ナマエがぴったりくっついてくるとシャンプーのにおいが薄く香った。

「いくよー」と合図されると同時。画面上の数字、撮影枚数の表示がカウントアップしていく。――連写だ。

「てめぇ。一枚だっつったろうが」
「あっ! やめて人のスマホ奪わないでよー!」
「うるせえ。消す」
「やだ!」

 押し問答。スマホを奪おうとしてもキャッキャと楽しそうな笑い声はうまく逃げる。結局、その一連の流れすべてが写真におさまった。俺の敗北だ。
 ナマエは笑いを引きずりながらフォルダを確認し、パラパラ漫画みたいなそれを何度も見返している。

「ったく……ガキが」
「リヴァイだってわたしの写真撮るじゃん。消してって言っても消してくれないし。そんなの不公平」
「……」

 繰り返すが、写真に撮られるのは好きじゃない。ただし撮るのは別だ。こいつの写真だったら何百枚何千枚と集められる。実際、こっそり撮った寝顔なんかもある。使い道……んなこたどうだっていい。口にするのも憚られる。

 それ以前に盗撮の事実を知ればこいつが怒るのは目に見えてるから、教えていない。これから先も教えないし、写真を消すつもりもない。絶対に。

「ナマエ。シートベルト締めとけ」
「見てー、このリヴァイすごいかっこいい」
「よかったな。それよかシートベ」
「これは消そ……わたし半目だぁ」
「チッ」

 ナマエが半目の自分とおさらばするより早く、金具をむりくり嵌めた。離陸までは時間があって周囲もまだまだノンビリしているが、早ぇぶんにはいいだろう。安全第一だ。ナマエに何かがあれば耐えられない。

「ありがとう」

 嬉しそうに笑いかけてくるナマエの頬をひと撫ですると、冷房が効きすぎているのかやけに冷たい。ダメだろ、こんな冷やしちゃ。心配になるだろうが。お前は寒いのが苦手なんだから。

 真上にあるエアコンの吹出口をずらせば冷風が直撃しなくなり、胸を撫で下ろす。

 離陸後、しばらくしないうちにCAが歌うような声とカートを連れ、俺らの横を通り過ぎた。「あ!」と通路を仰いだナマエのために呼び止めて、あれもこれもと迷い始める様子に溜息をひとつ。

「忘れてねえか。向こう着いたら昼メシだぞ」
「ううん……」
「あっちでいくらでも好きなもの買ってやるから、ほら。今は何かひとつに絞れ」
「わかった……」

 なんてしょげられると弱い。欲しいもん全部買ってやりたくなる。買ってやるか……? いや、ここで甘やかしてもあとでつらいのはナマエだ。腹が破裂しちゃバカンスどころじゃねえ。

 ナマエはなんだかんだ菓子一個に絞ったようで、俺は安堵のビールを開けた。少し溢れた泡が指先を濡らす。俺らのやりとりに、CAはずっと苦笑していた。

 ナマエの子どもっぽいところに疲れることもある。だが結局はそこも愛している。なんでもいいんだ、それがナマエであるならば。

「ナマエ」
「なあに?」
「楽しもうな」
「ん」

 目を細めるナマエが好きだ。
 柔らかく笑うお前が。

 二人でいると何をしていても、どこにいても楽しい。何もしてなくても隣にいなくても、同じ空間にいるだけで満足できたりする。不思議でしゃーない。





 社会人の夏休みは短い。大学生ぐらいの期間があってもいいと思う。当時よりクソみてえに精神を疲弊させてるっつうのに、こんなんじゃ割に合わない。

 とにかく、今回はそのわずかな休みを利用して旅行に来たわけだが。

 予定通り昼に那覇空港へ到着し、「めんそ〜れ」とデカデカ書かれた看板の下をくぐる頃、ナマエは何かに拗ねていた。

 一応デジカメで看板を撮影してはいたものの、……つうかオイ、俺とはスマホで撮ったくせして看板如きにデジカメか? その差はなんだ? めんそ〜れのほうが俺より大事……まあいい。大目に見てやろうじゃねえか、ここは沖縄だ。

「オイ」
「……」
「ナマエ」
「……」

 応答無し。

 着てるだけでリゾート地に行くんだとわかるようなミント色のワンピースが、一メートルほど先でヒラヒラ揺れる。

『リヴァイは緑のイメージなの。さわやかな風……え? 確かに風に色はないけど、いいの! イメージだから!』

 そう言って着て見せてきたのは出発前のこと。二人で沖縄に行くと決めたすぐあとに購入し、その日から見せたくてたまらなかったのを我慢していたとはしゃぐこいつは悪くなかった。

 それからまだちょっとしか経ってねえんだが。俺は何かしたのか。無視するなよ。

 なあ、ナマエ。

「待て」ぺたんこサンダルを鳴らす後ろ姿、その腕を掴む。覗き込めば怒り顔と目が合った。「何にむくれてんだ」

 言ってもナマエはそっぽを向いてしまう。

「リヴァイのチャラ男。パリピ。変態浮かれぽんち」
「あ……?」
「いいよ。わたし一人で宿向かう。リヴァイは美人に声かけられてデレデレしてればっ」
「オイオイオイ、なんだ? さっきのことか」
「そうだよっ」
「バカ、あれはべつに」
「バカじゃないっ!」

 宿泊先の辺りへはシャトルバスが出る。その乗り場とズレた方向に行くナマエを軌道修正させようと手を引いた。痴話喧嘩が目立つんだろう、無数の黒目がジロジロと俺らを見ている。

「機嫌直せ」

 指を絡めてみれば、――ぎゅっと握り返され。途端にナマエの歩くスピードが落ちた。……お前、一人で向かうっつってたろ。怒ってんだろ? カンタンに機嫌良くしやがって。

「……ああ、なるほどな。やきもちか」
「違う」
「ほう?」
「リヴァイがニヤニヤしてたから呆れたの!」
「そうか」
「っ、……もういい!」

 ぷい、と背けられる頬が可愛くてますます虐めたくなる。のをこらえて指先を軽くさすってやると、潤んだ瞳が恨めし気にこっちを見た。

「……嘘。やきもちだよ」

 ……は、クソ、なんなんだこいつ。今すぐ犯……いや、ダメだ。ダメだろ、せっかくの旅行だぞ。それも沖縄。そういうのは夜、……そう、夜だな。……夜って何時からだ。あと何時間我慢すりゃいい。

「……ひとまず話を聞け、お前は誤解してる」

 バスの発着場に辿りつく。俺ら同様、キャリーをゴロゴロ引く連中がひしめいている。続いて並べばひと塊になった。これじゃツアー客だ。ナマエが揉みくちゃにされないよう、ボディーガード然として立つ。

「女に声かけられて俺がニヤつくと思うか」
「思う。ニヤニヤしてたもん。綺麗な人たちに囲まれてすっごい変態の顔してた。変態そのものだった」
「……お前な」

 こいつの嫉妬は毎度毎度死ぬほど可愛いが、とりあえず誤解を解いておきたい。

 那覇空港到着後、ナマエがトイレに寄っている間、俺は女三人組に声をかけられた。全員が旅行者だ。写真を撮って欲しいと頼まれてシャッターを数回押し、スマホを返すと。

「誰と来たんですか?」

 写真のチェックを二人に任せ、残る一人が距離を詰めてきた。そいつの後ろを確かめればチェックなんざコンマ数秒で終了、撮影はきっかけでしかなかったんだと猿でもわかる。

「私たち国際通りのホテルに泊まるんですけど。どこらへん泊まります? てゆーか、せっかくの出会いですしぃ。もし良かったらLINE」
「断る。女と来てんだ」
「彼女いるんだ。そうですよねぇ、かっこいいし。でも連絡先くらい良くないです? 夜とか、みんなでわいわい飲みたいなぁ。彼女さんが一緒でもいいし……夜中、二人ででも」
「彼女じゃない、嫁と来てる」

 ひとこと告げて、左手を隠した。
 そこに指輪などない。結婚どころか婚約すらしてねえからな。……まだ。

「悪いが、連絡先は教えられない。一緒に飲む気もない。嫁を悲しませたくねえんだ、他を当たってくれ」

 彼女と。しつけえ女にはそう答えるより有効だと思って咄嗟についた嘘だったが、嫁。言葉の破壊力がすごい。ナマエをいつか俺の嫁だとか妻だとか誰かに紹介する日がきたとき、ニヤけないでいられる自信がない。

 そんな理由で笑っていた。
 くだらんだろうが、俺は大真面目だ。

 そこに戻ってきたナマエを「こいつだ」と紹介もしたが、女どもが無言でそそくさと退散したせいかナマエはいまいちスッキリしなかったらしい。

「ふぅん。へぇ。それで笑ってたんだ〜。へ〜え、そうなんだぁ」

 しかし今では上機嫌だ。

 走り出したシャトルバス。俺の横、窓際に座り、流れ去る景色を眺め続けるナマエの表情は見えない。でも声を聞けばわかった。こいつのこの、わかりやすいところも心底可愛く感じている。

 さすがに女がしつこかったことと嫁だとか言ったことは伏せたが、……伏せたっつうより「お前の話をしてニヤけてた」とはぐらかしたんだが、誤解が解けて何よりだ。誤魔化したことは許せ。こんな方法でプロポーズしてたまるか。

「ナマエ」
「ん? ん、!」

 顎を振り向かせて、キスを一回。

 いつでもお前のことばっかり考えてると、いきなり言いたくなった。四六時中お前の顔ばっかり浮かべていると。

 いとしい、みたいな気持ちは全部ナマエに向いている。俺が笑うのはお前のことを考えているからだと、知っておいて欲しくなった。

「外ばっか見てんなよ」
「……こら! リヴァイ、ここバス!」
「知ってる」
「見つかっちゃうよ!」
「はっ、……そうだな、見つかっちまう」
「なんで笑ってるの」
「俺の女が可愛くてな」

 怒ったツラも、何もかも。

「ええ? もう、全然会話になっ……」

 周囲の空席に感謝したい。こうやって何度口づけたって、誰にも見つかりっこねえ。

 結局俺はまた、うまい気持ちの伝え方を見つけられないまま。お前に何も、伝えられないままだ。思うことはこんなにたくさん、あるってのに。





 宿は本島の西海岸付近に取っていた。周辺には観光スポットが多くどこへ行くにもアクセスしやすいし、透けるような海も近い。

 二人で選んだのは古民家をリノベーションした、一棟貸しの宿。星付きホテルみてえな豪華さはねえが他に宿泊客がいなくて落ち着ける。広さも充分だ。

 入ればリビングダイニング、左手に風呂トイレ、奥に洋室、その奥には和室が続く。

 和室には紫檀調の座敷机が置いてあった。部屋の異物みてえに真っ白いリモコンが上に乗っている。隅っこの、同じ白さのエアコンが目にとまる。真新しさがどうにもちぐはぐだ。

 ナマエが窓を開け放ち、ぶわ、と強い風が侵入した。窓辺でミント色が揺れる。風の色を想像してみるが、イメージは浮かばない。さわやかな風、緑。ちっともピンとこねえ。

 俺とナマエは結構違う。理解しきれない部分がある。ナマエも俺に対し、そう感じることがあるだろう。それでも俺は、俺にはないこいつだけの強さだったり弱さだったりを大事にしてやりたいと、いつも思う。

「リヴァイ、」

 潮騒が聞こえる。
 そうだ、裏手の砂利道を下っていけば、

「――海だよ」

 と、ナマエは振り向いて笑った。日々の忙しさを一瞬にして思い出せなくなる。やはりこいつが俺の活力源で、癒しだ。
 後ろに立って、広大な海を見る。

「あとで行くか」
「うん」

 抱き締めてみれば、少し、震えていた。
 ナマエの体か、あるいは俺の腕、どちらかが。


 *


 観光客じゃなく、現地人で賑わっているらしいメシ屋を聞いてタクシーで目指す。レンタカーのほうが便利だとはいえ、飲酒運転はできない。俺もナマエも酒を飲む。

 案内された狭い店は一見ただのログハウスだった。寡黙なじいさんが調理して快活なばあさんが飯を運ぶ、そんな店。
 壁にはずらりとメニューが張り出されている。ゴーヤチャンプルー、ソーキそば、ニンジンしりしり……ミミズがのたくったみてえな字だな。崩し字か? 怪談かなんかに出てくる札そっくりじゃねえか。

「リヴァイ、どうしよう!」

 本当にここでよかったのか、そんな不安をおぼえた矢先。メニューを睨んでいたナマエが困ったように声をひそめた。

「ランチメニュー、たくさんあって決まらない。あの人が食べてるハンバーグも……あっちの生姜焼きも。全部おいしそう……」

 わくわくしたツラで囁いてきやがる。どうやらここでよかったようだ。こいつが満足してるならそれでいい。……一番の問題はメシの味だが。

「ハンバーグにしろ。俺は生姜焼きにしようと思っていた。少しくらいなら分けてやる」
「少しだけ?」
「……少しだけだ」

 んん、と悩むような素振りを見せたものの、ナマエは結局それを頼んだ。料理が運ばれてくるのを待ちつつ酒を呷る。

 石垣牛のハンバーグ、アグー豚の生姜焼き。ワンプレートに盛られたランチはすぐに運ばれてきて、二人で手を合わせた。

「あげるね」

 ナマエが、切り分けたハンバーグをいくつも俺の皿に寄越す。そのまま礼も待たずにもぐもぐと頬を動かし始める姿がすげえ可愛い。こいつの食事姿は飽きない。俺が作った味噌汁を、毎日飲ませたい。

「こっちも食え」
「こんなに?! いいよ、リヴァイのぶんがなくなっちゃう。食べて」

 生姜焼きを分けてやれば押し返された。俺には大量に分けてきたくせに……普段ワガママ放題だが、ナマエはこういうところがある。

 メシの味は悪くなかった。会計時、ばあさんに「ゆうはばちゅっさ〜」と言われて意味がわからず俺らは疑問符を浮かべたが、礼だけ残して店を出た。

 満腹を抱えて向かった先で、象の横っツラに似てるとかいう有名な奇岩を堪能する。まあ確かにそう見えなくもな……頑張れば、いける。

「うわぁ、象にしか見えない!」

 ナマエには完全に象に見えているようだ。

「東シナ海だって」
「オイ……あまり身を乗り出すな」

 高さ二十メートルの断崖。オモチャみてえな木の柵に体を押しつけるナマエは、見ているだけで心臓に悪い。34℃の炎天下、俺だけがヒヤヒヤとしながら念の為に細っこい腕を掴む。

「大丈夫だよ! あっ見て! 魚」

 即座にデジカメを構えた女の横で、眼前を埋め尽くすエメラルドグリーンを眺めた。ナマエが指した手前の浅瀬は海中の岩場が透けている。すいすい泳ぐ魚影も肉眼で余裕だ。

 奥にいけばいくほど色の濃度は増し、岩場も透けなくなる。沖で揺れる重苦しい藍色にゾッとした。あの下はびっくりするぐらい深いんだろう。間違って流されたらおそらく生きて帰れない。

「リヴァイ」

 景色が歪むほどの眩暈に襲われて立ち眩んだとき。ナマエの呼び声で、現実を取り戻した。

「へへへー。写真ゲット」

 こいつ……。カメラで上半分隠れた顔が笑ってやがる。

「俺なんか撮ってどうする。自分を撮れ」

 向けられたレンズを手のひらで塞げば、手首を掴まれた。

「……写真、もっと撮ろう? いっぱい思い出作って、全部残しておきたい」

 台風前を思わせる荒い海鳴りに、ナマエの声が攫われる。潮風が吹きつけ、細い髪がなびく。俺をイメージしたというワンピースも。さっきの眩暈のせいか視界がぼやけて、一瞬、それがボロい布切れに見えた。

「だとしても、俺一人で写ってちゃ意味ねえだろ」
「……一緒に写ってもいい?」

 そういや。こいつは出会った当初から、しょっちゅう写真を撮りたがった。「二人で撮ろう」とよく言った。そのうち滅多に言わなくなったのは俺が何度も拒否したからだ。

 どうしてもっと撮ってやらなかったのか、今更になって後悔が滲む。

「当然だろうが。……貸せ」
「リヴァイが撮ってくれるの?」
「ああ」

 パッとナマエの目が輝いた。

 こんなことなら、写真嫌いをとっとと克服するんだった。こんな、少しのことでこいつが嬉しそうにするんなら。自分の思いを上手に伝えるより、ナマエにしてやれることは他にいくらでもあるのかもしれない。

「撮るぞ」
「うんっ」

 海をバックに二人で並び、押したデジカメのシャッターは嘘みたいに軽かった。夢ん中みたいに。ちゃんと撮れてるのか不安になる。一回確かめたほうが――

「もう一枚撮ろう!」

 ナマエが抱きついてくるのが可愛くて、確認は後回しにした。そうしてさらに二、三枚。俺もとことん単純だ。

 ここでもまわりの視線は痛かったが、観光地で寄り添うカップルなんぞ腐るほどいる。……今一組もいねえのはあれだ、たまたまだ。

「ん! いい感じに盛れてる」

 陽射しの反射で画面が見づらいんだろう、小せえ四角を丸めた手で覆いながらもナマエはご満悦だった。出来は俺が確かめるまでもねえ、こいつのチェックは入念だ。判断を信じよう。

 その後も首里城を模したような御殿で菓子を食ったり、シーサーの置物を物色したり、泡盛を試飲したり。海中公園に行き、クジラだかサメだかシャチだかを象った船にも乗った。
 展望塔の他にもあちこち巡って陽が傾いてきた頃、宿に戻るためタクシーに乗り込む。

 ドライバーは世話焼きなのかやたらとうるさく、俺とナマエが話してる最中でも構わず喋りかけてくるような男だった。何度も割り込まれれば煩わしくもなる。ここは観光地で俺らは観光客だから、仕方ねえと言や仕方ねえが。

 しかし最終的には沖縄方言ウチナーグチ講座が開催され――大いに盛り上がった。特にナマエが興味津々で、教えられるたび「だからよー」「わー」「わったー、にったー?」と復唱していて可愛い。この旅一番の収穫と言ってもいいぐらいだ。

 メシ屋でかけられた言葉は「よく食べますね」という意味だったことも判明した。ありがとうな、ドライバーさんよ。煩わしいと思って悪かった。

「お客さんここで?」

 宿前につけてもらうと、焼けた男は訝しげに振り返る。

「ああ」
「なんだー肝試しか?」
「あ? 肝試し?」
「迷惑かけてからに。入るなって書いてるでしょ、そこ、看板」
「入るなも何も、俺らはここに泊まってる」
「泊まっ、……ここはもう、……」
「……?」
「……」
「オイ」

 あんなに饒舌だったドライバーが急に黙りこくった。支払い中も支払いを終えても無言。失礼な奴だな。

 不安げなナマエをなだめて宿に戻る。微妙な空気が流れていたが、今日行った場所のパンフレットだとか土産物だとかを広げれば、雰囲気もすぐに和らいだ。

「楽しかったぁ」

 畳に寝転ぶナマエの頭の下に、座布団を差し込む。寝っ転がるなら本当は布団でも敷いてやりたい。だが布団を敷くならその前に風呂……いや、待て。風呂でさっぱりする前に今一発ハメ
「リヴァイ、海行こ!」
「……そうだな」

 ……辛抱だ。


 裏手にある、大人二人がギリギリ並べる幅の砂利道を行く。白い石っころと白い砂。砂利すらも穢れひとつなく、綺麗な夕焼け色に染まりきっている。
 途中で足を滑らせたナマエの腕を引き、ハラハラしながら砂浜まで下りた。人気ひとけはない。

 夕陽がナマエの影を伸ばす。視界が包まれてわずかに暗い。遠くの空を飛ぶ鳥が真っ黒で、影絵みたいだった。

 波打ち際を二人で歩く。

「懐かしいな」
「……え?」
「前に来たとき、お前は山ほど水着を持ってきたよな」

 やたらとケツが出るヤツばっかりで、全部捨ててやろうかとあの日思った。『それ着て行きてえならラッシュガードを買え』としつこく言い、流行りのデザインがどうのこうの、みんなこれぐらいお尻出てるよ、と聞き分けのないナマエに苛立ちもした。

「リヴァイ……?」

 第一、水着を着られることからして気に入らねえ。ウェットスーツみてえに全身隠れるならまだしも。ナマエが晒した素肌を他の男が目に入れる、そんなん考えるだけで鬱陶しい。

 それにもともと、海で泳ぐっつうプランは練ってなかった。行っても近場を散策する程度。入りたいとねだられたら足首まで……のつもりだった。が、ナマエは用意周到で。

「俺のぶんも持ってきた」

 海には行かせないと俺は毎年、ナマエに口酸っぱく言っていた。にも関わず物が用意されてちゃ自明のことだがケンカになる。

「ねえ、リヴァイ、何言ってるの?」

 海水浴が嫌なんじゃねえ、それはべつに構わない。

 ただ、チャラチャラした色付きフレームのミラーサングラスをかけて飲んでるような男がいるところには、絶対、行かせたくなかった。
 ナマエがナンパ野郎に引っかかる女だとは思ってねえが、……想像するだけで気分が悪い。

「ねえってば!」
「結局、人がいねえ海を探すことにして……」

 観光地として有名な海で遊びたいナマエの気持ちもわかる、だが露出は許せない。そんな平行線のやりとりが長引いた結果だ。

 遊泳禁止でもなく静かな海は、意外なほど近いところにあった。プライベートビーチみてえに誰もいない、砂浜の白が目を焼く海――ここだ。

 宿の裏手が海なことを、俺たちはド忘れしていた。自分の睫毛が見えねえのと同じ。

「去年の今日、この時間……お前とここを歩いた」

 はためくワンピースに歩きづらそうにするお前と、こうやって。手を繋いで。ぺたんこサンダルが砂に埋もれる、なんて話すのを聞きながら。

「お前は、景色が綺麗だと」

 言って黄昏に感動し、泣くから、俺はここで指輪を渡そうと、プロポーズしようと思った。

「リヴァイ、」
「お前が今も寒がってるのは……俺があのとき、お前を一人置いて、部屋に戻ったせいだ……」
「……あ、え……? わたし、」

 もう夕方だから水着で泳ぐのは明日にして、今は足首だけ浸けてろ。海へ入りたがるナマエにそう言い聞かせ、一人、指輪を取りに戻った。

 俺のいない間に万が一海の中で足を滑らせたらどうなるか、丈の長いワンピースがまとわりついたらどうなるか、そんなことすら考えないまま。

「そっか、わたし……うん」

 ゆらゆら霞む、茹だるような夏の記憶。海上に現れる蜃気楼と似ている。

 胸が痛い。
 あの日から、ずっとだ。

「リヴァイ、わたしのことまだ好き?」
「もう……好きとかのレベルじゃねえよ」

 沈んでいく太陽を背に、ナマエが泣きそうなツラをする。なんでだ、どうした。なんでそんな顔するんだ、俺まで泣きたくなるだろうが。

「リヴァイは何も悪くないんだよ。……ごめんね」

 抱き寄せて、頭を撫で、額に唇を押しつける。全身、冷たい。こいつは体温をどっかに落っことしちまった。寒いの、苦手なのにな。どうにかしてあっためてやりたい。

「あのね、リヴァイ。あの日、わたし初めて沖縄来て楽しかったんだぁ。けどそれってリヴァイと来たからだと思う。二人なら、場所はどこでもいいのかも」
「……だったら一人でいくな」
「ごめん……」

 波がうねる。轟々と海鳴りが叫ぶ。生ぬるい潮風に包まれ、ナマエの髪の毛を梳くと少し、指先に絡んだ。こいつは確かにここにいる。

「ナマエ」

 さっき、海へ向かう直前に荷物から取り出しておいた手のひらサイズの箱を差し出し、開けて見せた。もっとちゃんとした俺で、ちゃんとした言葉で、ちゃんとしたプロポーズをするのが理想だったが、今しかない。

「俺と一緒になって欲しい」

 ナマエのツラがくしゃくしゃに歪む。手の甲をめり込むんじゃねえかと心配になるほど目に押しつけ、「ごめんねぇ……」と何回も繰り返してぐすぐす泣いた。

「受け取ってくれねえのか」

 目元を拭ってやると、首を振られる。

「受け取る、けど……」
「ナマエ、俺はお前がいねえとダメなんだ、……ダメなんだよ、なんにも意味がねえ」

 生きている、意味さえも。

 一人はつらい。お前もそうだろ、ナマエ。

「……一緒にいてもいいの?」
「いいに決まってる」
「本当に?」
「何度も言わせんな」
「……もう、ずっと傍にいられる?」
「ああ」
「離れ離れにならない?」
「ならない」
「……嬉しい」

 涙に濡れた目が細まる。ナマエが柔らかく、笑う。

 あのとき渡しそびれた指輪を、今度はしっかり、薬指にはめた。乱反射する太陽。黄昏時が終わる前に、誓いのキスを交わす。

 二人で手を繋ぎ、沖まで歩いた。どんなに暑くても、水深が深くなれば海水は冷たい。ナマエの肌が一向にあったまんねえのにも納得がいく。

「ナマエ」
「なあに?」
「愛してる」

 わたしも。と。幸せそうにするナマエと一緒に、海に沈む。ミント色のワンピースがヒラヒラ揺らぎ、ナマエは楽しげに笑った。

 死ぬなら、今日しかないと思っていた。お前と命日を同じにしたかった。そうすりゃ二度と離れなくて済むはずだ。お前と同じ死に方をして、同じように苦しんだあとは、ようやく永遠に、二人。

 “リヴァイ”

 囁くナマエを、きつく抱き締める。抱きついてくるのが酷く可愛い。ああ、震えも治まってるな、抱き締め合えば少しはあったまるらしい。よかった。これでお前はもう、寒がらない。







果ての海鳴り





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