リヴァイ×恋人夢主/リヴァイが病み気味/20210910
「おかえり」
自宅の玄関を開けたとたん、本来聞こえるはずのない声に出迎えられてナマエの足が竦んだ。鍵を握り締める手のひらに、じわりと厭な汗が滲む。
「リ、リヴァイ……なんでいるの?」
今夜会う約束なんてなかった。それに、いつもなら事前に連絡をくれる。急であっても、そうでなくても、訪ねてくる場合は。こうして前触れもなく家で待たれていたことは過去に一度もない。
「お前の顔が見たくなってな」
会いたかった、と抱き締められる。力の入り過ぎた手のひらを広げられ、湿った鍵がリヴァイの手に渡った。
それを定位置へ戻すと、彼は体勢を変えずに施錠する。ナマエの背後で音が響き、空間はぴったりと隙間なく閉じた。一見なんの変哲もなく進行する、ふたりきりの夜。
「あ、汗……かいたから」
首筋に顔を埋めるリヴァイを押し返す。九月目前とはいえ、外の気配はいまだ夏。二十二時を過ぎた帰り道はいくらか涼しかったが、さっきから汗が止まらない。
「気にしねえよ。お前なら」
薄く笑う表情はやわらかい。リヴァイはナマエのバッグを持ってリビングへ歩いていく。追いかけながらもナマエは、自身からアルコールのにおいが漂っていないか不安だった。
異性とふたりで食事に行ったことがバレたら――それを思うと動悸が激しくなる。上司の誘いを断れなかった、なんて、彼を前に言い訳にはならない。
仕事を辞めろ、俺が面倒見てやる、お前はどこにも行かなくていい、と。決まったセリフを返されるだけだ。
「急いでシャワー浴びちゃうね」
言い方がぎこちなかったかもしれない、何度も自分のひとことを反芻する。思い返せば返すほど不自然だった気がしてくる。時計を外すのでさえぎくしゃくした。
背中に刺さる視線が痛い。これは躾だと、首に手を伸ばすときの眼でリヴァイはこっちを見ている。なぜかそう、確信できた。
「……どうした?」
「ッ、」
真後ろから声がかかる。普段なら簡単に外せるネックレスの留め具に手こずり、全然気がつけなかった。
「外せねえのか」
「あ、……うん」
冷たい指先。ナマエの髪の毛を掻き分け、華奢なチェーンをうなじごと辿る指。ぬくもりを忘れてしまったみたいなリヴァイの手が、ネックレスを外す。
「ほら。急がなくていい、ゆっくり入ってこい」
「ありがとう」
やっぱりうまく笑えないまま、ナマエは浴室へと向かった。
熱いお湯をかぶり、リヴァイと付き合いはじめたころのことを考える。リヴァイとは共通の知人がいて、忘年会にて知り合うというありきたりな出逢い方をした。でもまたたく間に惹かれていき、最初のキスをした日、求められるがままに合鍵を渡した。
浮かれていたのだと思う。外見も中身も声も、仕草も癖も考え方も。彼の持つすべてが好きで、名前をつぶやくだけで胸が高鳴るほどだったし、当時はリヴァイに根付く執着心や独占欲の存在を少しも見抜けていなかったから。
お風呂上がり、ナマエはソファによりかかる形で床に座った。両脇にはソファに座るリヴァイの脚。慣れ親しんだ特等席。毎回髪を乾かしたがるリヴァイに、今夜もドライヤーを当ててもらう。
「飯は食ったか」
酔いの後押しもあってかうつらうつらしていると、意識を叩くようにドライヤーのスイッチが切れた。一気に目が覚める。
「……うん。リヴァイは?」
「済ませてきた。ここに来たのも遅かったからな」
「そ……なんだ」
手ぐしが髪をするする通っていく。慈しむように、可愛がるように。ご褒美をくれる、真夜中の手つきで。
「お前がなかなか帰ってこねえから心配した」
「……残業が長引いちゃって」
「残業、か。頑張ったな」
ふわり。リヴァイの腕がナマエの首元にまわる。後頭部へ口づけられると、言葉は頭蓋に直接響くみたいだった。
「明日は休みだろ」
「うん」
「一日ゆっくりしてろ。それか、行きてえとこがあれば連れてってやる」
遠くの映画館に行くのもいい、秋服を見に行くのも、外食するのも――リヴァイは楽しげだ。デートを心待ちにしている様子にほっとする。
なぜ帰りが遅かったのかとか、誰といたのかとか。お酒を飲んだのかとか、その場に男はいたのかとか。絶対に聞かれると思っていたのに、結局ひとつも。
嘘をシミュレーションしてばかりいた脳内が、張りつめた糸をほぐしきった。
「外食、いいね」
リヴァイの右脚に抱きつく。彼の骨ばった手は応えるようにナマエの頭を撫で、そのまま頬に移り、ナマエの顔を振り向かせた。
唇が重なる。
いとおしさを、味わう。
ときどき狂気的な愛情表現をするけれど、基本的にリヴァイは優しい。良い人だと彼を知る全員が口を揃えて言うくらい。だから緊張をといてみれば、恋人と過ごせる晩夏の宵は楽しかった。
「ああ、そういや……お前と行きたいと思っていた飯屋がある」
「そうなの? 何料理のお店?」
リヴァイ自らどこかへ行きたいと望むのはめずらしいことで、自然と笑顔に――
「ここだ」
スマホを目の前にかざされた、瞬間。ナマエの喉が引き攣れた。至近距離で視界を彩るウェブサイト、店舗情報。
「良さそうな店だろ。酒も美味いらしい」
数時間前の記憶がフラッシュバックする。酒の味はうろ覚えだけど、リヴァイが見せてきているのは間違いなく、今日仕事帰りに寄った店だ。
「完全個室で……雰囲気もいいとある」
なんで。なんで、なんでなんでなんでなんで、偶然? じゃなきゃおかしい。
「自分の女か、狙ってる女としか……行かねえよな、こういう店」
くっと顎を持ち上げられ、ナマエの首が後ろに倒れた。
「なあ、そうだろ?」
綺麗なガラス色の瞳に見下ろされる。リヴァイに表情はない。自分の目がしきりに泳いでいるのがわかる。
「ご……ごめん、なさ……」
ふ、と、彼が笑った。
頬を優しく撫でながら。
「どうして謝る。いけないことでもしたのか」
「してない、なにも、してな……ん、」
二本の指が口内へ落ちてくる。掴まれたままの顎、もてあそばれる、嘘つきの舌。
「……仕方ねえ女だな、お前は本当に」
まるで宝物を愛でるような眼差しで。駄々っ子の我儘に呆れ、しかしなんでも聞いてやると観念するみたいな甘い声で、口調で。リヴァイは囁いた。
今回は許してもらえない。もう外へ出られない。あまりにも安穏なリヴァイを見て、ナマエは、そんなふうに思った。