つきあってるふたり、壁外調査の翌日/20240914







 寝てないとやっていられないほどの悲しみに襲われることがある。眠って夢を見ていられればまだいい、やり過ごせる。でもたいてい、寝てしまいたいときに限って眠気はこないものだった。

 終わりかけの夏、昼下がりをすぎた部屋は暗い。私にあてがわれている大部屋の、二段ベッドのうち慣れない上段へのぼり寝転んでみると、存外窓が近いと知った。これでは朝はとにかくまぶしかっただろう。少し開いたままの窓から風が入れば、こまかなちりが光を受け、きらきらと舞った。

 へこみのある枕に頭をうずめてみる。私のではない枕からは、なのにおんなじ石鹸のにおいがした。大浴場にそなえつけられたシャンプーのひどくチープな香り。

 とたんに心臓がずきずき痛む。うわあああと叫びだしてしまいたいくらいの悲しみで胸が疼いた。いまにも泣きだして、傍の窓のガラスをわって、とびだして、裸足の足にガラスのかけらが刺さるのも気にしないまま走って、真っ赤な足跡をあちこちにつけてまわる。2秒後にはそうしている、という予感があるのに何秒経っても私は二段ベッドの上にいる。

 泣きたい気持ちが大きい。これがもし目に見えるものであったら。質量をともなうものであったなら、この感情はたぶん、いまいる部屋よりもよっぽど大きく重く、分厚かった。目に見えるものであったら、きっと私は窒息死していた。外に出なければ、悲しさに圧迫されて死んでいた。──解決策は外へ出ることなのかもしれない。ベッドに仰向けになり、おなかの上で指を組んでから、小窓の奥、外を見やった。深い青。正しい色をした濃い空が、とてもきれいだった。

 あーあ、あの子に会いたい。昨日の壁外調査でいなくなってしまったルームメイト。ベッドの上段ここを騒がせる、鬱陶しいあの子の笑顔がもう一度見たかった。
 手を伸ばしてカーテンをひく気力がない、まぶたをおろす。裏側に映るあの子の笑顔は春の朝焼けみたいにあざやかで、驚くほど強い。
 あの子に会いたくて胸が苦しかった。真っ赤な足跡を、でもまだ私はつけられない。

「オイ、ナマエ。いるか」

 空気が動いた。大部屋のドアがノックのあと、ひらいたためだった。息がしやすくなっていく。密封されていた部屋が開いたからか、兵長の姿がそこに現れたからか、理由はわからない。いずれにせよ、私は生きていた。あの子とちがって。

「はい。ここに」

 ぎしり、ぎしり、ベッドわきのはしごをのぼってくる音がする。私は再びまぶたを閉じた。眠ってしまいたかった。

「寝てんのか」

 兵長が傍まできたのが、さらに陰る視界でわかる。いまはこの人が季節のさかいめであるとすら言えそうだ。夏の明るさや果てない暑さをさえぎり、終わらせるのはリヴァイ兵長だ、と。そして秋を連れてくるのだろうか。ばかげた考えだ。けれどそういえば、つめたい手で私を冷やし、冬を教えるのも彼だった。毎年。

「寝てます」
「にしてはやけに明瞭な返事をする」
「上官の前ですので」
「ほう? 上官の、か。敬礼もねえうえに……目をつぶって、寝転がってやがるが」
「……」
「寝たふりは下手クソらしい」

 うすく口角をあげると、くちづけが落とされる。あんまりにも冷えた唇と、やわらかさに、雪を思い出した。

「ここがお前のベッドか」
「いえ。私の配置は、この下です」
「狭ぇな、ここのも。……幅は俺んとこにあるのと、そう変わらねえ」
「変わりませんね。違いは二段であることぐらいでしょうか」

 ゆっくり目を開ける。おなかで組んでいた指をほどき、兵長の髪を梳いた。兵長はベッドの低い柵に腕をひっかけて、こちらを眺めおろしていた。

「ここは友人のベッドです」
「そうか」
「この部屋に残った、最後のルームメイトでした。でも死にました」
「そうか」
「昨日、壁外で。立派な死でした」

 声が震えてしまった。死に立派なんてものがあってたまるかと思った。けれどそう言わなくては、ルームメイトが浮かばれないのではと思った。声のみならず唇までもが震え、口のはしをぐっとひき結ぶ。

 ひたいに手のひらがかぶった。骨ばった手、ひらにはいくつものまめがある。剣ダコみたいな、でもそうじゃなく、もう肌によく馴染んでしまったこのまめたちは、戦いの証だ。
 手のひらが下がってきて、私の目もとをおおった。

 しばらくそのまま待ってみたものの、兵長は「そうか」と言わなかった。立派な死でしたというつぶやきに、そうかと答えなかった。それはなんだかとても救いのある沈黙で、あの子に生きていてほしかった私の、想いを肯定してくれる静寂のように感じられた。兵士としてのせいをまっとうしたあの子の、だけどその生き様が、最期が、あの子とのお別れが悲しくて仕方ないことを、許してもらえた気がした。

 気づけば涙が頬を伝っていた。ひとすじ。ほんのひとすじの悲しみ。部屋をとても充たさない、私を圧迫しない質量の涙。

「お前は生きてるな……ナマエ」

 リヴァイ兵長の指先が、頬をなぞる。涙をすくいあげ、ぬぐってくれる。傷跡にそっと、薬をぬるみたいに。だめな子を甘やかす手つきだったし、なにかのご褒美みたいでもあったし、その反面燃え尽きた灰を労るようでもあった。私は兵長の前でなら駄々っ子にも優秀な人間にも燃え殻にもなれるらしかった。

「はい」

 うなずくと、応答は充分に兵士の声をしていた。
 手のひらが優しく離れていく。離れきってしまえば、窓からの明かりがまぶしい。さっきまでこの部屋は暗かったはずなのに。ひどく、暗かったのに。

「リヴァイ兵長」
「ああ」
「お散歩したい」
「……あ?」
「外、いっしょに歩きませんか」
「……構わねえが。てめぇ、ベッドは自分で降りてこいよ」

 ぎし、と再度はしごがブラウン色の音で鳴る。このベッドの色の音。頭をわずかにかたむければ、黒髪が徐々に見えなくなっていく。まなじりをごしごしこすり、涙をすっかり乾かした。

「やだって言ったら?」
「……お前なあ、下段ならまだしもだ。上段に居られてみろ、クソやりづれえったらありゃしねえ」
「じゃあ自分で降ります」
「そうしろ」

 靴ははかせてやる、と下で甘やかに言った兵長へ向かって柵を覗きこむようにすれば、つい笑ってしまった。

「なにがおかしい」
「だって」

 兵長が持っている靴が戦闘靴じゃなかったから。普段着のときにはくぺったんこの靴だから。私はいま兵装している。兵団ブーツじゃないと変ですと口を尖らせたら、兵長は「そうか」と答えた。手にした靴を床のブーツと持ち替えないまま。

「好き」

 じろ、とめつけるみたいな目つきがこちらを射抜く。

「兵長のことが好きです」
「……わかったから、とっとと降りてこい」

 私を見上げる兵長が、瞳を細めた。彼は光のなかに立っている。夏の裾が床に広がり、ゆらゆらたゆたう。

 きっと2秒後には、私は兵長の選んだほうを、ぺたんこ靴をはいている。そのまた2秒後には部屋を出て外へ向かう。しっかりとした足取りで、裸足の足の裏を赤く染めたりなんかしないで。リヴァイ兵長と夏の終わりを歩いていく。ふたりで。





夏の裾





ALICE+