20250124
やけに大きな木の下にいた。だから原っぱへ横になれば、常緑樹の緑が空だった。葉っぱのすきまから、本物の青空が燦然ともれてくるのが、すこし、まぶしい。肌に陽の光のヴェールがかぶる。服の上にも、おかげでまだらな影が浮いていた。
「アンタさあ」
アニのひざを枕代わりに寝そべっていると、やがて声が降った。そこらへんの草花をいじるのをやめ、真上を見詰める。
「常にヘナヘナしてるけど。そんなんで兵士やってけるわけ」
「ヘナヘナ?」
「いまみたいに」
ああ、とうなずく。だけど納得はしなかった。だってわたしはどこでもかんでもこんなふうに、つぶれたアップルパイみたいにぺしょ……としているわけではないのだ。
「アニの前だけだよ。アニといるから、ヘナ〜ってなるの」
「……なにそれ」
えへへ、と笑うと、アニはため息をついた。だけどひざは貸したままでいてくれる。
アニは訓練兵団に入って、初めてできた友人だった。この先も仲良くしていられたらいいと思う。喧嘩も、時にはしながらも。こうして調整日にはまたたきほどの休息を、とるにたらない話で埋めていたい。ずっと。
「わたしの頭、重たい?」
「重い。ものすごく」
「じゃあ一緒に寝っ転がる?」
「嫌だね。服が汚れる」
「ルールは破るために、服は汚すためにあるのに」
「……呆れた」
口角をあげるだけの返事をして、彼女のことを考える。
アニは小さくて、華奢だ。背も153センチで、わたしより10センチは低いのに、ひとたび対人格闘となればわたしよりもずっとずっと強靭な打撃を繰り出してみせる。それをすごいと思うし、手慣れた動作が悲しいと感じる日もあった。そんなものに慣れるような日々を、送らないで生きてこられたなら、なんて。
そよそよとざわめく木々の音色がうすく心地好い。目をとじて、息をした。濡れた土と葉っぱのにおいがした。昨日も今日も、雨は降っていないのに。大自然のなかはいつだって湿り気をおび、ひび割れかけた心に水を注いだ。
目をつぶりながらも、あとでちゃんと起こしてくれる? と確かめれば、アンタをここに置いていけるなら本当はそうしたいところだけど、などと返される。ひどい。さいてい。アニのばか。ぽつぽつ暴言を投げつけても、尖った言葉は木々の葉擦れに呑まれてさらさらになり、辺りに溶けていった。自分の発したものが雄大な自然にとりこまれてしまう。
なんだかわたしも、風にでもなってしまった気分だった。それは素敵なことだと感じる。わたしはいま、どこまでも吹いていける風だ。葉を揺らし、アニを吹きつけて涼ませる。雨が降るなら雨雲を吹き飛ばしてあげるし、壁の外までも、アニと旅をする。
「ねえ、アニ」
「……まだ起きてたの」
「わたしね。アニとならどこにでも行ける気がする。けど、アニとだったらここが始まりでも、ここが終わりでもいいよ」
「急になに」
「来年もここに来られるかなあ、って思って。ふたりで」
「さあ、どうだろうね。来られるんじゃない。また、巨人が侵入したりしなければ」
アニはいささか、暗い声で言った。ぽつりと降り出した雨みたいな声だった。
「来年もここに来たいな、わたし」
「空ならどこでだって見られると思うけど」
む、と口をとがらせて上を仰ぎ見る。鼻先や頬のカーブライン。季節になびく、プラチナブロンド。アニはきれいだ。いつでも、すごく。
「ここじゃなきゃやだ」
「なんでよ……」
「だって。アニと今日見た景色は、ここにしかないんだよ? ここ以外では見られないんだよ」
「……そう、だね」
ぎこちないくちぶりで答えたアニが、ゆっくり、まっしろなフードをふわりとかぶる。わたしはそれが、ひとりになりたいときの彼女の癖だと知っていた。
本当は、ここでひとりにしてあげるのが正しい優しさなのかもしれないと思った。でも、そんな正しさなら最初からいらないとも思った。ひざの上からどいてあげるつもりはさらさらない。アニをひとりにしたくないのは、わたしのわがままだけれど。
「アニ、来年も、その次もまた来ようね。ここに、ふたりで」
「……」
「そしたら、またアニのひざで眠るんだ〜」
わたしたちはおそらく、所属兵科を分かれる。アニはこのまま憲兵団へ行くだろうし、私は憧れの調査兵団へ入る。だからまた来ようね、という言葉は不確かな約束を乞うのと似ていたし、でもそうではなく、わたしにとっては神聖な祈りみたいなものだった。
「アニ」
「さっきからなに。アンタもしつこいね」
「あのねえ、わたし、アニのこと大好き」
「……もういいよ。わかったから。うるさい口とじてさっさと寝な」
ため息が、どこか丸みをもって吐き出された。空へ手を伸ばすみたいにして、きらきら、きらきら光る、プラチナブロンドにふれる。フードの下、首もとあたりのひもをくるくるいじる。
そのうちに満足がいった。再び目をつぶれば、視覚からの情報は遮断され、アニと私との気配だけが世界にとり残された。わたしたちはおもいがけず、完璧にふたりきりになる。
やわいまどろみのなか、ありあまるほど幸せなアニとの未来を幾度も描いて、まぶたの裏にはりつけてみる。いつか巨人が絶滅し、壁がなくなり、アニと遠くへ、どこまでも遠くへと行く未来を夢想した。なんだか絶対叶うような気になって、頬がゆるむ。
でももう、半分は眠っていたかもしれない。わたしはやっぱりいつの日か風になるんだ、と、信じていたから。