エルヴィン分隊長×衛生兵/原作第一話の日の話/20230120
日々の空模様についてなど、どうでもよかった。大雨だろうと大雪だろうと、エルヴィンは雨か、とか、雪か、としか思わない。単純に情報として処理をするだけ。この日もまた、そうだった。
太陽がてっぺんから下がりはじめた頃、調査兵団は壁外より帰還した。百以上の頭数をそろえて向かったというのに、生還者の数はおよそ二十。自力で動ける者はさらに数を下回る。
自身の分隊の部下を引き連れ、歩くエルヴィンに表情はない。持ち合わせる感情もなかった。仲間の死に慣れたわけではない。なにも感じないはずがない。でもいまは、とにかく疲れていた。一歩一歩進むのでさえ大変なくらいに。そんななか、想いを馳せる余裕はなかった。
数時間ぶりの本部につく。古城みたいな建物は、うすら寒い。せわしく働く衛生兵がエルヴィンの真横を駆け抜けていく。
廊下には、医務室に入り切らなかった負傷者たちを手当てするスペースが、取り急ぎあつらえてあった。みんな蒼白い。衛生兵らの顔も、怪我人の顔も、包帯を巻かれた身体も。間にぽつりぽつりと、緑がある。双翼の描かれたマント。あとは酸化して黒くなった血や、赤い裂傷ばかりが、場に色を添えていた。
エルヴィンは思わず笑いだしそうになった。ずいぶんおかしな光景だ、と感じたのだ。兵団本部と壁外拠点がだぶって見える。壁内と壁外とでは、環境はまったくの別物だというのに。
「エルヴィン分隊長」
廊下の途中。部下たちもまばらになり、ひとりで歩いていたところを呼びとめられる。振り返ると、やっぱり蒼白した顔つきの衛生兵がしゃがみ、エルヴィンを見上げていた。
「脇腹から、出血しています」
彼女──ナマエはエルヴィンの元へと寄って、右隣に膝をつく。腹のあたりを見やり、目視確認をはかっているようだった。
「ひさしぶりだな」
こうして君と話すのは。言えば、ぎろりと睨むようにされたので口角をあげる。懐かしさをおぼえたのだ。衛生兵はエルヴィンと同じ訓練兵団を、一期あとに卒団した女だった。過去、エルヴィンが怪我をするたび、そして放っておこうとするたびに、同じように睨まれた。
ナマエはなにも答えないまま、確認を再開する。つむじを見ていてもつまらないので、エルヴィンも自分の身体を見下ろした。負傷後すぐに巻いた包帯は血で滲み、付近を通るハーネスの皮も、やや変色している。その包帯をほどこうとした手を、掴む。
「これくらい、たいしたことはない」
嘘ではなかった。本当に、かすり傷みたいなものなのだ。エルヴィンにとっては、の話であるけれど。言葉はでも、遠くから聞こえてくる多くの呻き声にまぎれ、場に馴染まず消えてしまった。
「手当てします」
ナマエが、傍らにあった布を広げる。開かれた布は巻物のように、横に長い。なかには刃物や注射器や、小さなハサミや縫合針などが規則正しくずらりと並ぶ。やれやれと呆れ顔をするエルヴィンへ、ナマエは座るよう促した。積んだ荷箱でつくった簡易的なイスに腰をおろす。目の前には、同じようにしてつくられたテーブルがある。座るときに不安を感じた。エルヴィンの体躯は大きいし、体重もそこそこある。
「なあ」
「なんですか」
「このイスは、壊れたりしないか」
「さあ。それより、ハーネスやワイシャツのボタンくらい、自分で外していただけませんか。このままでいるなら、服を破りますよ」
「乱暴者だな」
口をへの字にさせてつぶやいたが、ナマエは「乱暴者で結構」と真顔のままだ。
腰部の金具をゆるめながら、服は切っていいと伝える。どうせ破けているし、もう着ない。脇腹に当たるハーネスがほどけると同時、ワイシャツも、一気に裂かれた。外気が素肌に触れる。
「応急処置を施した兵の名はわかりますか」
包帯をも切り裂き、ナマエは眉をひそめた。
「いくらなんでもこれはひどい。たとえばほら、ここ。これじゃあ、雑菌が入ってしまいます」
エルヴィンは正方形の荷箱の上に、だらりと肘を乗せる。そして下で手早く処置をしていくナマエへも、さあ、とお返しした。俺がやったとは、言わなかった。
足音が反響している。目だけをやれば、廊下の突き当たりを、兵士が何度も行ったり来たりしている。だれだかまではわからない。視線を戻し、石造りの廊下の、円柱の間に覗く空を眺めた。ガラスがはまっていないため、ぬるく、のんきな風が入り込み、エルヴィンをさわって流れていく。
「っ、」
腹に激痛が走った。途端に厭な汗が噴き出し、衛生兵を確かめると、縫合に取りかかっていた。
「手荒すぎやしないか」
「そんなこともありませんが。少しずつ痛みを味わいたいのなら、もっとゆっくり縫いますよ」
「……君だけは怒らせないほうがよさそうだ」
「貴方はいつも傷痍を甘く見て、勝手な判断をしますからね。たまにはお灸を据えないと」
「怖いな」
「怖い? 勝手な自己判断を下して、のちのち再起不能となるよりも?」
「同じくらい、ッ、はは……」
激しい痛みを与えられ、笑ってしまう。ナマエは相も変わらず無表情だが、自身の状態を顧みないエルヴィンに対し、怒りか苛立ちかをおぼえているみたいだった。
息子は役に立ったんですよね
なにもできることがなくぼうっとしていれば、ふいに、ひとりの街人が脳裏をよぎる。壁内に帰還し、シガンシナ区を通り抜けた際出くわした女。女は渡された息子の腕を大事そうに抱えていた。血濡れのちぎれた腕を、赤子同然に。
息子の死は人類の、反撃の糧になったんですよねぇっ……
「反撃の……糧」
無意識に独りごちる。ナマエは反応しない。独り言は独り言として散っていく。
傷口に溜まった熱がじくじくした。そこを起点として、全身に細菌がまわっていくような気がする。こんなロクでもない感覚も、ちゃんと憶えておきたいと思う。けれどきっと、やがてわからなくなるのだろう。
目頭に指を当てた。精神を脅迫するような奇妙な焦りが、エルヴィンを追い立ててくる。いつしか分隊長の座にまで登りつめた。しかし、団長の座に就くためには、このままでいても埒が明かない。なにかのきっかけがなくてはならない。ぼんやり生きていれば継げるというのなら、構わないけれど。死ぬのと、十三代目と呼ばれるのと、どちらが先だろうか。
死ぬのは怖くなかった。本当に怖いのは、団長にもなれないまま死んで、目的を果たせずに終わることだ。
ナマエの手が、エルヴィンの肌を離れたところで礼を告げる。そしてそのまま、立ち上がれば。
「エルヴィン分隊長。貴方は少々、自身の価値を低く見積もりすぎているように感じます。あるいは逆に、自信過剰なのか」
言いながらも、場をてきぱきと片付けていく。
「つまり?」
「つまり……自分の命をベットするような、一か八かのギャンブルに出るような戦い方はやめてください」
「それは、心配してくれているということか」
「いいえ。怪我人が増えると、その分こちらの負担も増えるので」
いつもどおりに冷たい口調に、エルヴィンは苦笑するほかない。
その直後。ばたばたと大きな音をたてて駆けてきた兵士が、廊下中に轟かせるように叫んだ。
「団長より伝令!! 動ける者は直ちに装備を整え出撃準備!!」
声を張りあげた兵士は混乱気味なのか、喉を震わせている。いったい何事だ、と、叫びを聞いた者全員が思ったはずだ。はっとした伝達兵は、再び叫ぶ。
「シ、シガンシナに六十メートル級超大型巨人出現!! マリアが破壊されました! 繰り返します……」
エルヴィンはいま一度外を見た。すでに夕陽が燃えている。鳥はゆるく円を描き、悠々と滑空する。今日の昼は、どういう空模様だっただろう。いつもとなんら変わらぬ色ではなかったか。
シガンシナに六十メートル級、超大型巨人出現。マリアが破壊、されました。
それは、にわかには信じ難い話だった。
「リヴァイ」
装備を直し、エルヴィンが外へ出ると、門前の広場は慌ただしく走り回る兵士らであふれていた。そのなかに見つけた部下を引きとめる。
「準備はできてるな」
「ああ」
今回の遠征でほぼ無傷だった男、リヴァイは、ハーネスの具合を調整したりトリガーの調子を見たりしていた。
「ったく……帰ってきたばっかりだってのに、これじゃおちおちクソもしてらんねえ。……てめえは済んだのか?」
「行きたいなら行っておけ、まだ時間は」
「便所の話じゃねえよ、
「……ああ、済んだ」
中身の充填されたガスボンベが、流れ作業のようにまわってくる。エルヴィンはそれを、自身の腰に備えつけながら言った。
「リヴァイ。お前は今回、私に付け」
衛生兵のものとはまた別の、鋭い目線が向けられる。
「断る。俺には俺の班がある」
「お前の索敵班は別の者に任せる」
「却下だ」
「させない、お前は私に付く。わかったな?」
「理由を言え」
「……まだ、死にたくないんだ」
エルヴィンの返答に、リヴァイはますます眉間を寄せた。抱いた疑念を隠す素振りは見受けられない。
「ほう……今回俺は、てめえを守るために出陣するのか。クソでけえ巨人のことは後回しにして……」
「そうだ」
「は、……そりゃあいい、ずいぶんとわかりやすい。ガキでも理解できる命令だ」
気温が高い。湿気た空気が、本部や兵士たちを包んでいる。掲げられたタペストリー。風ではためく、自由の翼。
「……てめえはべつに、守ってほしいなんざ考えちゃいねえだろ」
「……」
「大方、俺を駒にでもして……手柄を横取りしようって魂胆か。なあ? エルヴィン分隊長よ」
口もとを隠すように、エルヴィンは顎に手を当てた。リヴァイに戦法や戦術を教える手段としてよくチェスを用いたが、彼はいつも嫌々従っているふうだった。けれど理解は深く、していたようだ。戦術以外に、エルヴィンの思考癖についても。
リヴァイは勘づいている。エルヴィンが、ここで決めなければと思っていること。団長の座に就くためのひと押しとなる戦績を挙げるには、リヴァイの力が不可欠だと考えていること。
エルヴィンは踏み出した。部下の横を通り抜ける。
「頼んだぞ、リヴァイ」
背後から返事はなく、代わりに舌打ちが聞こえた。
リヴァイと別れてまもない地点に、先程の衛生兵を見つけだす。ナマエも戦線へ向かうべく、装備を整えている。その背中に声をかければ、細い髪がなびいた。
「なんでしょうか」
「いや。とくにこれといって、話はないんだか」
なら話しかけないでいただけますか、忙しいので、などと返されるだろうと予想していたのだけど。ナマエは黙り、一度エルヴィンの腹を見て、次に碧い眼を見つめた。
「……無茶をしないでくださいね」
予想に反した言葉をかけられ、一瞬戸惑う。
「必ず生きて、また、ここへ戻りましょう」
力強く言い、前に向き直り、ではと離れていってしまう背中をエルヴィンは追いかけた。
「なあ」
「はい」
「次また会えたら、食事に行かないか」
「いきなりなんの話ですか」
足早に歩くナマエはスピードを落とさない。
「君ともっと、会話をしてみたい」
「それくらい、わざわざ出掛けなくてもできます」
「わからないか? 誘っているんだ」
「……信じられない。約束なんかできないような、このタイミングで? 貴方って人は、本当に」
馬が待機している。ナマエとエルヴィンが離れるまでは、あと数歩。
「それで、返事は」
「考えておきます」
騎乗は、ナマエが先だった。手網を引き、吸った息を吐く頃には遠ざかっていく。
「考えておく、か」
断りはしないのだなと思う。死にたくない理由をひとつ、新たにつくってしまったと。
エルヴィンも、馬に跨った。きちんと手当てを施した腹に、響く痛みはもうなかった。