現パロ/20210529








 デートを楽しんだ帰り道。ウォール線は通勤時のラッシュのように、ひどく混雑していた。
 近くのスタジアムでコンサートがあったらしい、エレりんと書かれたうちわやハッピを多く見かける。アイドルには詳しくないナマエでも顔が浮かんだ。それほどまでに人気なのだ。
 みんな、ふわふわと夢見心地な瞳を揺らせている。ナマエと、それからリヴァイだけは目の前の恋人が夢見心地の理由だけれど。

「席が空いた。座れ」

 乗降口付近に立ち、ドア横の手すりに掴まってナマエの防壁となってくれていたリヴァイがあごをしゃくった。

「ううん」ナマエはそっちを見たものの、首を横に振る。「リヴァイさんが座っていいよ」
「いや、俺は……ああ」
「ああ。埋まっちゃった」
「仕方ねえ。混んでるからな」
「うん」

 たくさん歩いて疲れているだろう、と互いを思いやる二人をよそに、空席は一瞬で埋まってしまう。

「大丈夫か」

 リヴァイがナマエのほっぺたにそっと触れた。ナマエは背中をドアへ押しつけたまま、小さくうなずく。身動きはあんまり取れないけれど気分はよかった。がっちりとした腰に、腕をまわしているから。
 リヴァイは基本的に人前でベタベタするのを避けたがる。ふたりきりのときは存分に甘やかしてくれるのに、たとえば道端でキスをせがんでみても「あとでな」と頭を撫でるだけ。今こんなに人目のあるところでくっつけるのだって、満員電車のなせる技。
 ナマエは避けられるたびに口を尖らせた。でもなにげなく髪の毛先を絡められたり、なにげなく腰を抱いて歩道側に移されたり、なにげなく繋いだ手で指先をすりすりされたりすると、不満はたちまち消えてしまう。
 拗ねるのなんてわずか数秒。いつも結局ニコニコしてとなりを歩いてしまうのだった。

 人前でいちゃいちゃしたい。ナマエがそう思うようになったのは、リヴァイと付き合い始めてからである。それまでは遊園地や、仮に花火大会でだとしてもベタベタするカップルがいれば呆れ顔で見ていたのに。
 見せびらかしたいとか、注目を浴びたいとか。そういう気持ちは一切なく、場所がどこであろうともキスしたくなるのはなぜなのかいまいちわからない。
 だけど、きっと。たぶんではあるけれど。理由はたったひとつ。

「リヴァイさん」
「ん?」
「大好き」

 満パンの車内にかこつけて、ナマエはリヴァイの首筋に鼻をうずめた。今はぎゅっと抱きついても離されない。まわりの人だって、だれもナマエたちを気にしていないようだし。

「俺もだ」

 ぽんぽんと背中をさすられる。抱き締められているみたいで嬉しさがあふれ、巻きつく腕に込めた力を弱から強にした。

「苦しいだろうが」

 リヴァイがかすかに笑う。全然苦しくなさそうに、とても優しく。

「ん〜」

 梅雨が近い。湿気でぽわぽわになった髪の毛を、首筋にすりつけてみた。ちょうど仔猫が甘えるとき、ひたいをぐりぐりするような仕草で。

「やめろ」
「やだ」
「くすぐってえ」
「んふふ」

 リヴァイの制止の声も穏やかなので、どうやらじゃれあいに付き合ってくれているらしい。
 ガタンゴトンと電車が揺れる。ウォール線の快速列車は駅間距離が長く、ゆりかごのような揺れに意識がたゆたう。足もとは不安定だけど、よろけても腰が支えられた。よろけついでにリヴァイにぴったりとくっついてみればおそろいの柔軟剤のにおいが立ちのぼり、大好きだなあ――と。それを吸いこみ、改めて思う。
 さっきは猫みたいだったが、今度のナマエはひな鳥みたいだ。世界で一番安心できるところにいる。リヴァイの胸もと、腕のなか。

「……早く帰りたい」
「疲れたよな、立ってるのがつらいなら次で降りるか? そこからタクシーで」
「ううん。違う。早く帰って、いっぱいくっつきたいの」
「……今だってくっついてんだろ」
「足りない〜。もっと」
「これ以上くっつけねえよ」
「くっつけるよ。ほら」
「っ、お前なあ……。今どんだけ強い力で抱きついてきてるか、あとで実践して教えてやる」
「え……。それ私ふたつに割れない? 大丈夫?」

 わかってんなら力抜け、暑苦しい、などと言いながらもリヴァイだってナマエをしっかり抱いている。

「離れたくないくせにぃ」

 からかうように見上げれば、薄い唇はなにも返さないままで口角を上げた。ナマエの胸がどきどきと高鳴る。付き合って二年以上経っているが、恋人の笑みにいまだ慣れない。

「もっと笑って」
「わけもなく笑えるか」
「リヴァイさん、笑うとかっこいいんだもん」
「笑うと? なら真顔はどうなんだよ」
「怖い」

 即答。

「このクソガキが」
「きゃーっ」

 ナマエは静かに叫んで肩をすくめた。悪戯して、怒られる前に逃げるときみたく。

「帰ったら覚えてろ」

 リヴァイも静かに宣告してくるので、思わずくすくすと笑ってしまった。
 その楽しげな笑顔をよく見たいというように、リヴァイがナマエの毛束を片方、耳にかける。おまけに耳の上から下までをつまんでくにくにされるとこそばゆさで頭がかたむいた。

『この電車はウォール線快速、ローゼ行きです。次はカラネス、カラネス。お出口は左側です』

 アナウンスが流れ、電車の走行速度が落ちる。カラネスに到着して人がどっと出入りしたが、ふたりの目的地はまだまだ先。一度降りたあと再び車内へと戻った。
 ナマエたちがホームへ出たのは一瞬だったのに、いつの間にか降り出していた雨に打たれて服や肌が湿った。
 相変わらずぎゅうぎゅうの車内。夏が迫る夜の空気を巻きこみ、電車はゆっくりと走りだす。さっきより湿度を増したのは、カラネスで乗り込んだ人々が雨粒を連れているからだろう。

「もうすぐ夏だねえ」
「だな」
「海」
「……かき氷」
「りんごあめ」
「祭りに絞んな」
「梅雨入りまだかなあ」
「そろそろだろ」
「……あのね。リヴァイさん」
「なんだ」
「実は私、好きな人がいて」
「……あ?」

 怪訝な声を出したリヴァイに、ナマエは笑いを噛み殺した。「相談を聞いてくれませんか?」とおねだりすればリヴァイもすぐに合点がいったようで、「聞かせてみろ」と応えてくれる。ふたりは内緒話の声量に切り替え、ふたりだけの会話をこそこそ開始した。

「その好きな人と付き合って、二年が経過したんですけど」
「二年と四ヶ月半な」
「二年と四ヶ月半が経過したんですけど」
「ほう」
「最近同棲を始めて、毎日楽しいんです」
「結構なことじゃねえか」
「でも」

 もう一回きつく抱きついて、ナマエは至近距離を見上げる。リヴァイとの身長差は十センチもない。だから唇が、とても近かった。

「その人は、あんまり人前でくっついてくれません。私はときどきさみしくなって」
「さみしい?」
「さみしい」
「どうして」
「私はすごい好きで、いつでもくっつきたいのに。その人はそうでもないみたいなんです。……どうしたらいいと思いますか?」

 てん、てん、てん。

「……リ、リヴァイさん?」

 やってしまった? いきなり眉間を寄せて黙ったリヴァイに、不安をおぼえる。しつこいと突き放されたことはないけれど、くどかったかもしれない。同じわがままを言って困らせるのはもう二度とやめよう。

「……リヴァイさん……あの、ご」

 ごめんね――言いかけた瞬間。ぐいっと頭ごと引かれ、ナマエは抱き締められた。今度は完全に、そう形容できた。リヴァイの肩であごが持ち上がったまま目をしばたたく。抱きついていいのかわからず、手持ち無沙汰な両手は固い胸もとに当てた。
 リヴァイの背後、つまりナマエの正面には男性が立っていて、器用に片手で文庫本を開いている。カバーの外されたクリーム色の背表紙と焦げ茶色のしおり紐が視界に飛び込んだ。視線が交わらなくてよかったと思い、ほっと息をつく。

「ナマエ」
「う、うん……?」
「お前に外でせがまれると、俺はどういう気持ちになると思う」
「え……わからな」
「“私はすごい好きで”」
「っん……!」

 とつぜん耳もとで囁かれ、ナマエの腰にしびれが走った。場にそぐわぬ声が出そうになり、慌てて口を噤む。背を反らせてリヴァイと離れてみたものの、たくましい腕に抱き留められてしまえば見つめあうほかない。

「ね、ねえ、リヴァイさ」
「“いつでもくっつきたいのに、その人はそうでもないみたい”……だと?」

 今度は、リヴァイが状況を利用してナマエをドアに押しやった。ガタガタと激しい振動をじかに感じる。ドアと車両のほんのわずかな間が、車内にすきま風を送り込んでいた。それはナマエの肌を吹きつけ、ひしめく人々のほうへ流れていく。

「お前はいつもなにをどうねだる?」
「え……と。忘れた……」
「思い出せ」
「……ちゅー、して」
「とか、あとは?」
「……ぎゅってして……」
「そうだ。まだあるよな、いろいろ。そんなの惚れてる女に言われてみろ、何度その場でタクシー捕まえようとしたか知れねえ」
「へ」

 ナマエはアホくさい一音を添え、ぽかんと口を開いた。リヴァイだけは苛立ったように眉をひそめているので、はたから見ればなんの話をしているふたりか見当もつかないだろう。

「へ、じゃねえよ。なあ、ナマエ」

 唇をまた、耳に寄せられて。

「……今すぐ可愛がってやりたい。望まれた以上のことをして、グズグズんなって泣くお前が見たい」

 甘い口調。いつも[[rb:夜半 > やわ]]にしか聞かせてくれない、身も心もとろけてしまう声色。
 じわりとナマエの深くがうずいた。

「一度ねだられたらそんなことばっかり考えちまう」
「あ……」
「し。ナマエ。静かにしろ」
「だ、って……」

 夏間近の外よりあたたかいぬめりが鼓膜に触れようとしたせいで、ぞわぞわと鳥肌が広がる。もっとして欲しい、いっぱい触って欲しい。そういった願望と。

「……せっかくお前と出掛けてるってのに、帰りたくてしょうがなくなる」
「リヴァイさん……それって」
「今日もあった、悶々とした時間がな。だがお前は五分もしねえうちにせがんだことも忘れて、エイだのチンアナゴだのタカアシガニだのとはしゃぎやがる」
「リヴァイさん、それってし、思春期……?」
「……削ぐぞ」
「あははっ。やだ!」

 削がないで、ていうかなにを削がれるの? とナマエの両手がリヴァイを押しのけた。とはいえハリボテの抵抗なのであっけなく手中におさめられてしまう。

「リヴァイさんは外でくっつくの嫌いなんだと思ってた」
「それは間違ってない」
「え」
「ただ、相手がお前となれば話は別だ。今まではそういう奴らに呆れていたが」
「……私、が、初めて? ってこと? 外でくっついてもいいって感じたの」
「そういうことだ」
「っ私も! ……あ」

 立派な音量で同意したナマエに視線が集中した。いくつかの方向へ急いで頭を下げたあと、またリヴァイと向かいあう。
 気がつけばブレーキをかけられた電車が、次の駅に停まろうとしていた。席を立ったり、文庫本を閉じたり。慌ただしく降車準備をはじめる人々。

「……ナマエ、降りるぞ」
「え? でも」
「いいから来い」

 ふたりの暮らす街まではまだ遠い。しかし手を引かれ、ナマエはコンクリートブロックを踏んだ。
 雨のにおいがする。大粒の水玉はリヴァイを、ナマエを、ホームを申し訳程度囲う屋根を弾いた。

「下濡れてんな。気をつけろ、転ぶなよ」
「うん。どこか寄るの? 傘買ってく? 折りたたみ傘じゃびしょびしょになっちゃいそう」
「ここからタクシーで帰る」
「……もしかして、立ってるのつらかった? 大丈夫?」
「そうじゃねえ」

 エスカレーターが改札階へと降下する。リヴァイは一段下で、ナマエを振り返った。家を出たときは乾いていた黒髪が今は濡れている。それをそっと分け目どおりに梳けば、指先が絡め取られた。熱い。

「帰ったら、まず風呂だ」

 まず、なんて。急激に恥ずかしさが膨らみ、ナマエの顔が染まる。夕飯は済んでいた。だから帰宅後にすることは、限られる。
 互い違いに噛み合った指で、くるりと反転させられた手のひら。その甲をリヴァイの唇がかすめた。心臓が体のなかで駆けまわる。

「リヴァイさん。今日は、その。そのぉ……。お風呂一緒に入ろうねっ」

 ふたりで改札を抜け、タクシー乗り場を目指した。ナマエは早口で言い終え、仕事がある日に一緒に入ることは少ないし、長風呂もあんまりしないし、と曖昧な言い訳を選出する。
 リヴァイはやっぱりなにも言わずに、口もとだけで上機嫌を示してみせた。そのことに気がついたナマエもご機嫌になり、いつもと同じニコニコ顔でとなりを歩く。

「ねえ。あのね」
「知ってる」
「ええ?」
「俺もだ」

 タクシー乗り場にて数人の後ろに並んだ。バス停のような上屋があるおかげで濡れねずみの刑は無事に回避する。
 夜の駅前。無数のヘッドライトが行き交い、雨が白い斜線のように映った。

「私がなに言おうとしたかわかるの?」
「わかる」
「本当? ハズレてるかもよ?」
「そりゃ困るな。なんて言おうとした」
「ふふふっ。リヴァイさんが先に言ってみて」
「お前、後出しする気だろ」
「違うよ! じゃあせーので言う?」
「馬鹿野郎。んなことしねえよ、ガキか」

 リヴァイにも大概こどもっぽいところがあるとナマエは思っているのだけど。それは胸に秘めておくことにした。リヴァイ本人も、おそらくほかの人も知らない、ナマエのみが知る事実として。

「ねえ言ってよ。リヴァイさんから言って?」

 もう、お互いに正解などわかっている。ナマエが言おうとした言葉はきちっと伝わっていて、リヴァイが返したのも同じ感情だ。

「聞きたいなあー」

 ちらっと顔を覗き込んでみれば。

「あとでな」

 と、やっぱり柔らかな手つきが頭を撫でてくる。そして。

「リヴァイさん。大好き」

 ナマエは我慢できなくて、先に言って欲しかったひとことをついついこぼしてしまった。外なのにも関わらず、リヴァイがおでこに綿のようなキスをくれたから。





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