20241231
はあ、と息を吐けば白かった。
空を見る。雪がちらちらと降っている。私のまなじりに注いだそれは、ちぎった花びらよりもずっと軽くてつめたい。上を向いたままいれば、水滴になった雪片はつううと頬を伝い、落ちていった。
うなじを反らせた角度がちょうどいい、片手にもった酒壜をあおる。花壇も雪に埋もれた中庭で。おおらかに、心地好く唄う歌姫になった気分で。いま私が握るのは、マイクなどではないけれど。
兵装も解き、まっしろなぺらぺらのワンピースで来たために、おそろしいまでの寒さが肌を舐めていく。でも喉もとや胃のなか、ほっぺたはカッカと熱い。私の皮膚の下も、つまった内蔵も、しっかり生きているらしかった。お酒を入れているせいだろうか、あるいは雪景色にまみれているせいだろうか、体内だけが色づいて燃える感覚をおぼえた。
視界がかすむ。お酒を飲みすぎたかもしれない。足取りも覚束無いし、力が抜けてしまう。
ぽすん。
雪の絨毯に寝そべると、そんなまぬけな音がした。空気の抜ける音だった。ふみ荒らされた形跡のない、まっさらで純真な雪たちはやわらかく、ふかふかのベッドみたいだ。目をつぶる。
このまま死んでもいいや。
なんて、砂糖づけにしたみたく甘ったるい誘惑が頭をよぎった。それは徐々に現実味をおび、一個の選択肢として私を手招く。
「──オイ」
やがて声が。雪の結晶よりもとげとげしく、冷えた声が降った。ずいぶん重たくなったまぶたをもちあげると、リヴァイ兵長がいた。ああ、怒られてしまうなあ、と遠く思う。
「なにしてやがる」
「……眠たくなっちゃって」
「だからなんだ。んなとこで寝る奴があるか」
二の腕をひっぱりあげられて、立ち上がる。当然、雪にうずもれた酒壜までもが現れた。
「飲んでたのか」
壜を発見した兵長が声のトーンを低くする。うなずけば、お酒はすぐさま奪われた。
「兵長はここでなにしてるんですか」
「上からふらつくお前が見えた」
上? と目線を上げれば、一室の窓が視界にとまる。カーテンはひかれていない。オイルランプも灯されてはいないのか、室内は暗いようだった。
「俺の執務室だ」
「……飲む場所を間違えました」
「もともとが間違ってんだよ。雪の晩に外で飲むな。下手すりゃ死んじまうぞ」
リヴァイ兵長は平坦な口調で、死を語った。死はとくべつな奇跡だとでもいうように、そんな現象が起こることをまったく信じてないというみたいに。投げやりで、鬱屈としたくちぶりだった。
この人こそ、人の生死におおく触れてきているはずなのにと不可思議さを抱く。兵長はもう、兵士たちの最期になんにも感じなくなってしまったんだろうか。
「私は、死にませんよ」
兵長の黒髪に雪が散る。いたいけな花びらが舞うのと似ていて、きれいだった。
数秒ののち、リヴァイ兵長がおもむろに口をひらく。そうして、
「死んでも、構わない」
はらりとつぶやいた。
「そんな顔つきに見えたが。……これは俺の、気の所為か?」
おもわず狼狽してしまう。つかまれた二の腕に、力がこもった。そこはでもまだつめたい。この人の手のひらも充分に冷えているんだ、と、思った。
「バカな選択はさせねえからな。俺の許可なく勝手に死なれちゃあ困る」
「許可、下りませんか」
「あたりまえだ」
ふいに、しずくが頬を伝う。空いてる手の甲でぬぐえば、今度のは雪ではなく、たしかな涙だった。なんでいま。なんで、いま、泣いてしまうんだろう。私はずうっと、ちょっとも泣けないでいたのに。
「……リヴァイ兵長」
「なんだ」
「この冬が終わったら。また、花壇に花は咲くでしょうか」
辺りはきっと暖かくなる。けれど中庭の花壇は彩られることなく、すかすかと枯れたままになるはず。花を愛し、年じゅうお世話をしていた同期も、もういないから。
「さあな」
兵長はあいまいに答えた。咲くとも咲かないとも言わないところが、彼らしいような気もした。
「戻るぞ」
つかまれていた二の腕が、自由になる。私も襟を正した。
「お手間をとらせて申し訳ございませんでした。では、」
「ナマエ、待て。そっちじゃねえ、お前もこっちだ。俺の執務室に来い」
頭をさげ、自分の大部屋へ引き返そうとしたときにストップがかかる。ふり向けば、青灰の瞳と目がぶつかる。
「コイツは上等な酒だろ」
兵長は奪った酒壜を掲げた。なかでとろける琥珀色が、とぷり、とぷりと、さざめいた。
「……こんなモン、ひとりで飲んでちゃもったいねえからな」
ついてこい。言って、踵を返す上官の背中で、双翼の紋章が揺れる。私のものではない足跡が兵舎に向かって伸びる。これを辿って歩いたなら、私は迷子にはならないだろう。たとえば、こうしてうつむいていたって。
「……」
リヴァイ兵長がこちらを見返った。彼の口もとにも白い息が漂う。まなざしは剣呑だけれど、早く来い、と詰るというよりは、転ばないように見守ってくれている目つきに思えた。
「いま行きます」
応えれば、リヴァイ兵長は「ああ」とちいさくつぶやき、また、前に向き直って歩き出した。
早足で背中に追いつく。
「花は」
雪道を行くさなか。正面からそう、聞こえた。
「花はまた咲く。アデルがしてたみてえに、育てればな」
どくりと心臓が鳴った。
だって、アデルは、私の同期だった子の名前だ。どの季節も花壇を整えていた、同部屋の女の子。
はいとも言えないままで黙りこくると、ほとんど無視するかたちになってしまった。だけどリヴァイ兵長は以降、なにも言わなかった。もちろん、無言を貫く私を叱ることもせず。
もしかしたら。リヴァイ兵長は、知っているんじゃないだろうか。前回の、今年最後の遠征でアデルが死に、私の大部屋がすっかり空っぽになったこと。だから気づいているかもしれない。ひとりきりで眠れない夜を過ごすのに耐えられず、酒壜を抱えて飛び出てきた私の気持ちにも。
再び涙をふく。いましがたの、兵長の返答を思い返し、花を育てていた同期のことを想う。それから、私はなにかを育てるのに向いていないけれど、でも、水やりくらいははじめてみようと思う。もうまもなく今年が終わり、来年がおとずれる。そうして暖かな春が香りだす、そのころには。
すこしずつだとしても、同期が生前愛したものを、私も愛せたならいい。
リヴァイ兵長が執務室のドアを開けた。几帳面さの垣間見える室内へ、足を踏み入れる。兵士長室の灯りはやっぱり消されているけれど、デスクには湯気のたつ、飲みかけの紅茶があった。私を見つけて、休憩もそっちのけで降りてきたのだとわかった。
「兵長。ありがとうございます」
ようやくしぼりだしたお礼に、返事はない。兵長はただ、座れ、と三人掛けのソファを促した。
部屋の暖炉に火が灯る。ガラス細工みたいにつんと冷えた夜が溶けていく。ソファの傍らの、窓を見る。びゅうびゅうと風が吹きすさぶ。雪はいまも、絶えずちらちらと降っている。中庭には、ふたりぶんの足跡が残っていた。