まりもさま主催#誰でもえるゔぃんSS11月に寄せたお話です。シチュ「冬支度」セリフ「脱ぎなさい」/死ネタではありません/20211128
王都から戻ったエルヴィンはひどく疲れていた。所属兵団を掲げるロングコートのすそが、一歩踏みだすたびに足にまとわりつく。それを荒くさばきながらため息をついて、ループタイを緩めた。キース・シャーディスより受け継いだばかりの調査兵団団長の証。
来る日も来る日も曇天で気が滅入る。秋も深まり、肌寒いというにはすこし過ぎるほどの寒さが兵舎や兵士たちを鬱々とさせていた。中庭の木々も葉を落とし、沈黙している。
落ち着きたくて空気を吸うと、寒気のにおいがエルヴィンの肺を充たした。とたん、胸をかきむしりたいような焦燥に襲われた。そろそろ冬支度をしなくてはと思う。もうすぐ、団長となってから初めての冬を迎える。
中庭ではたと立ち止まり、エルヴィンは空を仰ぎ見た。真っ白なかたまりが、ふわり、ふわりと舞っている。一瞬、季節外れの雪が降りだしたのかと驚いた。
手を伸ばしてみれば、ひらに乗ったのは一枚の羽。高級な寝具のなかに詰めこまれているようなやわらかな羽だった。もちろん、体温で溶けることもない。
「失礼しました!」
ひとりの女兵士がエルヴィンに駆け寄ってくる。その、寒明けした春の陽射しのような声に、疲労感があっさり癒されていく。
「最近冷えるので夜具を出したんです。干していたら破けてしまって、中身が」
「まだ使っていたんだな」
エルヴィンは付近の屋舎の、二階部分の窓枠を一瞥したあとでうすく笑った。ひそかな不安を抱いていたものの、予想に反してとても冷たい口調になったため、安堵する。
「……エルヴィン分隊長がくださったんです。ずっと、使います」
「違う」
「え……?」
「それぞれの役職名くらい覚えられなくてどうする」
はっとした彼女──ナマエは青ざめ、再び謝罪を口にした。頭まで下げる様子に、エルヴィンの胸が痛む。呼び方の間違いなどたいして気にならない。自身でさえ、いまだエルヴィン団長≠ノ慣れていないのだから。
それどころか本当は。ナマエへ過去に贈ったものを、いまも使ってくれていると知って喜びをおぼえすらいた。かなり前に街へ出たとき、寒がりなナマエにと金をはたいて買った上掛け。なかば強引に押しつけたもの。記憶をふり返ってみると、プレゼントにしてはまったく格好がつかない。でも当時はほかのどんなものよりも良いと思った。ナマエが震えなくなるのなら。
エルヴィンがいまほど立場や肩書きを気にしなくてよかったころ、ふたりの距離はいまよりずっと近かった。
「エルヴィン、団長。肩に」
羽が。そう言って動いたナマエの、伸びてきた手をぱしと振り払う。ナマエが傷ついたような顔をする。エルヴィンは目を、逸らしたくなった。
「ごめ、」
「謝らなくていい。その代わり、同じことを繰り返さないよう気をつけろ」
「はい」
優秀な部下はすぐさま顔つきを兵士のそれに正しく替え、うなずいてみせた。そして踵を返し、あちこちに散らばった羽を拾いはじめる。しゃがみこんだ小さな背中にも、羽がついていた。
エルヴィンがナマエの想いに勘づいたのは、やっぱり秋と冬の狭間にある、季節の曖昧な時期だった。自分の想いと向き合うはめになったのも。
どれほど適当を言ったって、エルヴィンの唇で紡がれた言葉に胡散臭さはにじまない。エルヴィンはいつでも完璧な嘘を吐けたし、他人を、己をも巧く騙せた。だからこそ、ナマエを可愛く思う気持ちを殺せない自分に嫌悪がある。いくら見て見ぬふりをしても、自身の内に横たわる感情は愛みたいな色をしている。そうしてエルヴィンを悩ませ、苦しませるのだった。
調査兵団の長がだれかひとりを特別視するなど許されない。死に方こそが不平等であろうと、兵士たちの心臓の重みは平等でなくてはいけなかった。命に優先順位をつけてみても、彼女はいざとなれば早くに切り捨てるべき一兵士。生き延びてくれ、と、ナマエにだけ思う作戦があってはならなかった。
冷たくあたるのも特別扱いといえるだろうか。でも、想っているがゆえに、ほかの者と同じようには接せられない。
可愛がるか、邪険にするか。いまではその二択のみ。ならば道はひとつ。愛していると囁いてやることなど、できないのだから。
エルヴィンはノックの音にペンを置いた。懐中時計を確かめれば、ちょうど日付けを跨ごうという時刻。コンコンと二回目が鳴り終わり、扉を開けにいけば、立っていたのはナマエだった。
「お話があって来ました」
訝しげに細めた目のまわりで、エルヴィンの、金のまつげが揺れる。
「入りなさい」
渋々といったふうに招き入れたあと、デスクへ腰掛けた。ナマエはソファにも座らずただ逡巡している。寒くはないだろうか。ペラペラの寝間着姿に、心配になる。彼女は寒がりだ。
暖炉にくべる薪はまだない、だが羽織らせてやれる上着はある──そこまでを迷い、エルヴィンはまぶたをおろした。
彼女の寝間着姿を見るのは二度目だった。以前、眠れないからといってふたりで兵舎を抜けだし、川沿いを歩いた。それが一度目。リーリーとうるさい虫の声すら忘れるほど会話に夢中になりながら、ひたすら夜を辿った。辺りは当然暗かったけれど、水面に反射する月が明々と輝いていて、となりのナマエは笑っていて、怖いものなどなにもなかった。
団長になればそのぶん望む自由に近づけるはずだ、という話を、した記憶がある。
「エルヴィン団長」
ようやくナマエの顔が上がった。エルヴィンのまぶたも。
「言いたいことがあるのなら、おっしゃってください」
「言いたいこと? 話をしに来たのはきみのほうだろう。要件を簡潔に述べてくれ」
「では、質問させていただきますが……どうして、……どうしていきなり、態度を変えたの? エルヴィン」
ああ、そうだった。
こうやって、ナマエに名前を呼ばれるのが、好きだった。
変わり者だと。おかしな奴だと嘲られることの多かったエルヴィンを、ナマエは昔から嗤ったりしなかった。途方もない話を聞かせても、無謀だとは言わなかった。ナマエと語らう時間が好きだった。ナマエのことが、エルヴィンはいまも、
「まさか、そんなくだらないことを聞きにここへ? 悪いが、見てのとおり暇ではないんだ」
「エルヴィン、」
「出ていってくれないか」
「エルヴィン……お願い。これ以上、わたしのこと、嫌いにならないで……」
ナマエは燭台の上で溶けていく蝋よりささやかに、弱々しく、言った。ふたりっきりの部屋がまた一度、温度を下げたようだった。
どうしたらいいのだろう。エルヴィンは考える。考えるが、思考は狂った方位磁針みたいにぐるぐると巡り、まとまらない。どうしたらいい? ナマエはまだ、エルヴィンにチャンスを与えんとする。笑い合い、ふたりで幸福になれるチャンスを。
そういえば、あの羽は。さっきナマエの背にあった羽は、いったいだれがとってやったのだろう。
エルヴィンはおもむろに立ち上がると、ナマエの傍へと近づいた。それから。
「脱ぎなさい」
団長らしい、冷たいまなざしの命令。
カチカチと、懐中時計の針が後ろでちゃちな音をたてている。目を見ひらいたままの彼女には、おそらくそんな音など届いていない。
「脱ぐ、って」
「嫌われたくないんだろう、俺に。だったらそれなりの努力をしてみせろ」
傷つけるしかないと思った。こちらに失望させ、チャンスを与えようなんて考えをきっちり捨てさせるしかなかった。
「エ、ルヴィン、」
名を呼ぶ声は、掠れている。かつて聞いたことのない類いの声色に、ふと泣きたくなった。幼いころのように、感情をあらわにして。
自身の表情や想いを隠すため、エルヴィンは立ち尽くすナマエの腕を引いた。冬を越せずに枯れる野花みたく、脆くて細い腕。
大切だと感じる相手を、その大切さに比例して傷つけることは自傷行為とよく似ていて、深く抉れて痛むのは心の奥だった。
名前を呼びたい。ここでナマエの名を呼びたい。俺にはお前だけなんだと言いたい、
だけど、殺してしまわなくては。立場を放ってでも優しくしてやりたくなる甘さだとか、ナマエだけは生かしておきたい欲だとか、彼女へ向ける愛情だとか、向けられる恋慕だとか、ふたりで得たい未来だとか、得てきた過去だとか、愛に溺れかかる自分も、愛そのものも、今夜、すべて。
気がつけば震えていた。エルヴィンの腕も、腕のなかの彼女も。
まだ、冬は来ていないのに。