兵長×詐欺師夢主/夜会/燕尾服といえばホワイトタイですが、趣味でクラバット/20210627







 ロウソクがいくつも灯るベッドルームでは、絢爛な屋敷の喧騒も、大広間の演奏も、何一つ聞こえてこなかった。目の前の大男がドサリと倒れた音でさえ、柔らかなベルベットの絨毯が吸収してしまう。

 リヴァイはアルコールで上がった体温を煩わしく思い、クラバットに指を引っかけた。はあっ、と熱を吐いて緩める。と同時、革靴のつま先に付着した汚れを発見して舌打ちが漏れた。

 血だ。

 男を蹴り上げた際に付いたのであろう鮮血。

「汚ぇな……」

 これだから。浮かれた奴らが集まる夜会は、好きじゃない。

 傍らで伸びている男の鼻から伝う赤を見やる。それは同系色の糸で織られた絨毯に染み込み、模様の一部と化している。途端に繊細な柄のすべてが汚く感じて吐き気がした。

 ふいに視界の端が揺れる。
 大きなベッドの、透ける天蓋と飾りのタッセルが音もなく。

 目を見開いて硬直していたナマエがようやくベッドを降りたらしい。覚束無い足取りで扉に向かう姿を眺め、リヴァイは一度ゆっくりまばたきをした。

 状況判断が遅いな、と思う。もっと早く動いていたら――たとえば。二人でベッドへなだれ込み、直後に乱入してきた男の拳をリヴァイが受け止めたときにでも動いていたのなら、運良く逃げられたかもしれないのに。

「……どこへ行く」

 深い赤茶の漆塗り。つるりとした扉に両手をつき、リヴァイはナマエを背後から囲った。ドアが開かれる寸前だった。

「寂しいじゃねえか、なあ」

 耳元に囁く。口先に、冷たいダイアモンドのイヤリングが擦れる。

 ドアノブを握るナマエの手が震えていた。落ち着かせてやるみたいに手を重ね、そのまま施錠する。カチリ、とやけにのんびりした音が響く。囲った体の震えが大きくなった。

「……何怖がってる。誘ってきたのはてめぇだろ」

 身を縮めたナマエが俯けば、アップヘアで無防備なうなじやドレスから露出した背中が目に留まり、首筋に唇を押し当てた。「や、」と小さい声がして、リヴァイの鼓膜を、欲を刺激する。

 熱い。

 眩暈、発汗、異常なほどの動悸。それらはてっきり、アルコールのせいだと思っていたが。

「お、お願い、やめて……」
「……やめて? さっきまであんなに早く欲しいと駄々をこねていたクセに……もう気が変わっちまったか」

 優しく訊ねたところで、ナマエの震えは激しくなる一方。リヴァイは掴んだ顎を強引に振り向かせた。

「遊びは終わりだ」
「え、」
「これ以上優しくしてやるつもりはない」
「な、んん……っ!」

 蜜のようなグロスを舐め取り、舌を絡める。向かい合わせたナマエの抵抗はねじ伏せた。必死なのか見せかけなのか判別しにくいほど弱々しくて、哀れになる。そしてそれと同じだけ興奮した。

 ナマエを扉に押しつけるようにしながら口づけ、背中のファスナーをゆっくり下げる。一緒に素肌を引っ掻いてみれば嬌声にも似た吐息が漏れて、リヴァイを淫らに撫でていった。

 瞼を閉じれば会場を漂う香の匂いを思い出す。両端が吊り上がった無数の唇、色とりどりのドレスや声、花や瞳。中身のない会話に笑い、さして美味くもない酒を飲み、くだらない駆け引きで夜を消費するだけの空間。

 リヴァイが一人の女に声を掛けられたのは、礼服にも敬語にも肩が凝り、ついに頭痛を覚えてきた頃だった。「こんな夜、抜け出しちゃいましょう」と悪戯に提案されたのだ。

 今宵の任務は完了している。交渉は成立し、兵団は馬を手に入れた。だからエルヴィンに引き止められることもなく、リヴァイは場所を移したのだった。

 二人でグラスを傾けている間中しきりに泳ぐ女の目には気がついた。だがそのまま泳がせてやることにして、最後に辿り着いたのがこの、ナマエの宿泊するゲストルームというわけだ。

 この女の生業なりわいは何か、と考える。大方ロクなものじゃない。

 仔猫のようにリヴァイに甘え、ベッドにいざない、「貴方の好きにして」と呟いて。行為の前に押し入ってきた男のことをナマエは自分の主人だと言ったが、妻を寝取られかけた事実に憤怒するより先にまず金銭を要求しだした男が旦那、とは。笑ってしまう。

 もう少し手の込んだ芝居をして欲しいものだ。リヴァイだって貴重な時間を遣い、わざわざついてきてやったのだから。

「は、ぁ……ッ」

 口を離せば、つ、と唾液が糸が引く。

「もっと面白ぇモンが拝めると思ったんだが……見当違いだった」

 自力で立っていられないのか、ナマエはリヴァイにしがみつくみたいになっていた。すべらかなイブニングドレスが二の腕に引っかかり、かろうじて胸を隠す。

「はあ、クソ……、あちぃ……」

 紅く染まったナマエの胸元に吐き捨てた。媚薬の類いには慣れているが、身体に起こる変化は鬱陶しい。
 両目を覆い、額に浮かんだ汗ごと前髪を後ろへ撫でつける。燕尾服に合うようセットしてはいたものの、垂れてくる毛束が邪魔で仕方なかった。

「そこに膝を着け」

 リヴァイが顎をしゃくる。ナマエはかぶりを振った。しかしすでに脱力しきっているおかげで、突き放せば簡単にその場にくずおれた。

「靴が汚れちまってな」
「あ……っ」
「掃除しろ」

 リヴァイは片膝を着き、ナマエの頭を誘導した。土下座に近い体勢を取らせて顔の真下に足を置く。血で汚れた革靴を。跪いたままのナマエは動かない。

「オイ」髪を鷲掴み、床に押し下げる。「グズグズすんな」
「や……!」
「舐めろ。それとも無理矢理口に突っ込まれてえか? そういうのが趣味なら合わせてやる」
「こ、こんなのってない! 貴方、ひ、人の心がないの?」
「はっ」

 綺麗にまとめられていた髪型はとっくに崩れてしまった。艶やかな毛先をそっとひと撫でし、顎を掬う。

「そりゃてめぇだろ」

 上を向いたナマエはリヴァイをきつく睨んでいた。やはり仔猫のように四つ這いで、ブルブルと震えながら。そのアンバンランスさがどうにも愉快でたまらない。腹の底が疼く。

「もっといいツラできるよな、……ん?」
「あ、貴方がこんな、こと、やめてくだされば」
「嫌なら立て。逃げればいい」
「……っ」

 きゅっと引き結ばれた唇。端から端を親指でなぞり、リヴァイは薄く嗤った。この女が立てないことも、だから逃げられないことも、わかっている。

 舌を絡めたくらいで抵抗力を失くされてはつまらない。けれどそれほど反応がいいのだと思うと、優しく、酷く、してみたくなる。

 腕を掴み、ナマエを立たせた。

「ま、待って……!」

 部屋の中央へ引きずっていく。大きなベッドへと。気配はよたよたとついてくる。

「もうしない、そ、そそのかされたの、貴方を騙せば大金が手に入るって、貴方は兵士長だから、その、事がバレたらって、わ、私が悪かったわ、謝る、謝るから……ッ」

 殺気。

 眼光を鋭くしたリヴァイは瞬時に身をかがめ、後方へ右脚を滑らせた。
 足払いされてバランスを崩したナマエ、その手から落ちたナイフ、スッと埋まるように床に刺さった切っ先。わずかに切れた、リヴァイの頬。

「てめぇ……びっくりしたじゃねえか」
「嘘……ど、して、よけ、られるの、」
「ったく……そんなもん、どこに隠し持ってやがった。物騒な真似はよせ。ここで死にたくなきゃな」
「こ、ここで死ぬ? ありえない、兵士の貴方が、そんなことするはず、あっ……!」

 ナイフを抜き取り、ついでにナマエを起こしてベッドへ投げる。ドレスの裾がひらりひらりと流れ、綺麗な魚が宙を泳ぐようだった。

「俺がお前を殺さねえかどうか、試してみるか」

 一生懸命後ずさるナマエを、ナイフを弄びながら追い詰めていく。

「ゆ、許して、お願い、」
「言葉遣いに気をつけろ。許してください、お願いします、だろうが」
「……ゆる、して……くださ……」
「選ぶ相手を間違えたな、お前」

 可哀想に――。
 脳天までもどろどろに溶かすような声で囁き、リヴァイは甘く口づけた。

「ごめんなさい」と聞こえたが、ナマエの声は溺れたようにくぐもっていたから、気がつかないふりをする。





逸脱者の共喰い





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