交わらない彼らの夜






「臭ぇなちくしょう……こんなもん食うんじゃねえ」

 キッチンでナマエを迎えた第一声は、酷く苛立ったものだった。ニンニクをスライスしているリヴァイを覗き込むと、憎き相手を切り刻むような面持ちでいる。戦闘中の兵士みたいなオーラを放って。

「嫌いなんですね」
「苦手なんだよ……俺らは」

 戦いを終えた男が舌打ちをひとつ。退治まではできないにしても、ニンニクはやはりヴァンパイアの泣きどころらしい。

「手伝います」
「要らん」
「ニンニクの処理だけでも……」

 無反応、見向きもされない。つまり断固拒否というわけなので、仕方なく調理台を拭けばすぐさま睨まれ、ナマエはしゅんとしてふきんを戻した。リヴァイの表情が和らぐ。

「いい子だ」
「……それ嫌い。子供扱いしないでください」
「お前はお子さまだろうが」
「リヴァイさんっていくつなの?」
「さあな」
「憶えてない?」
「忘れちまった」
「ふうん……」

 ナマエはそのまま、しばらく調理風景を眺め続けた。

 あの晩以降、食事当番は決まってリヴァイだ。シリアルやジャム付きのパンを食べることもあり、そういうときは自分で用意するのだが、火を使う場合は必ず彼がやる。抜糸後も。術後ケアが不要になったなら、ナマエはようやくキッチンに立てるだろう。

 任せっきりな部分に申し訳なさもある。けれどリヴァイは案外、料理を楽しんでいるようだった。
 几帳面な男にとって食材の形を整え、適切な量を計り、色の変化を観察し、頃合いを見て仕上げ、しっくりくる皿に移す工程は少しも手間ではないのだ。

 むしろ最近はレシピサイトにすっかり夢中なほど。リビングでもスマートフォンをいじっている時間が格段に増えた。大抵――というか、絶対にレシピを見ている。ときどきは動画を。明るく弾んだ音楽に向き合っていても常に無表情であるけれど。

 ナマエが作り方を教えることはできるし、実際最初のころなんかはそうしていた。ただナマエに教わりながらだと逐一味見を要するので、面倒だとリヴァイは言う。その点掲載されているレシピに倣えば楽で間違いもないと。

 異存はあるものの。切り盛りするのはリヴァイなので、ナマエはおとなしく彼のやり方に従うのみ。

「ほら」

 そうして今夜も味見ひとつしないまま、リヴァイは夕飯を完成させた。皿の乗ったトレーを渡してくる。ふちがピザの耳みたくふっくらと丸まっている、エルヴィンと食器を揃える際に購入した薄青のトレーだ。白にも近いそれは、完成品の引き立て役にちょうどいい。

 メニューはまたもやパスタで、キャベツとベーコン、鷹の爪入りのシンプルなペペロンチーノ。付け合せにコンソメスープ。どちらもナマエのリクエスト。もちろん、ニンニクは不可欠だった。

 受け取って湯気のなかを突っ切るようにテーブルまで運ぶと、鼻を抜ける香りが食欲を刺激する。歩くたびに揺れるスープの表面で、ベーコンの油がきらきら光った。

「いただきます」

 食卓につき、手を合わせる。流し台を挟んで正面にいるリヴァイからは先程と同じく返事がないけれど、特段気にもならない。

「ん……!」

 パスタをひとくち含めば勝手に声が出た。美味しくて、ついついナマエの頬が緩む。丁寧に満たされていく空腹。

 リヴァイはその間も視線をシンクに貼りつけたままだった。さっそく片付け始めている。調味料や具材の切れ端、飛んだ油や残った水滴なんかを台所の隅々まで。洗い物は最後にまとめてやる。

 食洗機は今夜もきっと稼働しないはず――ナマエはつややかなアルデンテを巻きながら予想した。

 キッチンには大型の食洗機も付いているが、リヴァイが使用しているところを一度として見ていない。いつもスポンジでせっせと洗っている。掃除機やお掃除ロボットよりも雑巾が一番だと語る彼らしいといえば、らしいのだけど。

 黙々と片付けるリヴァイを見つめる。
 出逢った当初から、綺麗好きな人だとは思っていた。しかし近ごろそれが顕著に現われており、ナマエは不安を抱きつつあった。

 レンタルショップや散歩に加え、スーパーへ行くようになったために増えた外出頻度。リヴァイは外を歩いた時間に比例して、長く手を洗う。マンションに帰ってきたあと、まばたきもしないで両手を洗い続ける様子は毎回少し恐ろしかった。

“汚ぇだろ”

 いつだったか、もう充分綺麗ですよ、と言ったナマエに彼はそう答えた。汚いのは自分自身だと示すみたいに、泡立っている手先を、それでも強くこすりながら。

 リヴァイにもケアが必要だと思う。過剰な手洗いをするようになり、指先は随分荒れてしまった。

 キッチンの音が止む。
 再び視線を上げれば、青灰色にじっと見られていた。

「た、食べますか?」
「いや……」
「……?」
「その麺、……味は」

 ボソボソ問いかけてくるリヴァイに合点がいく。毎度味について触れるナマエが、今回は黙りこくったまま食べ進めた。考え事のせいでもあり、ひとくち目の美味しさに意識を持っていかれたせいでもあり。
 リヴァイはそれを気にしているのだろう。

「すごく美味しいです!!」
「……そうか」

 伝えるとどことなく満足げにうつむき、まくっていた袖を伸ばした。ひとまず終了、の合図。そしてカウンターからティッシュの箱を持ってきて、雑にテーブルへ放ると。

「ナマエ」
「はい?」
「ここについてる」

 自身の口横をとんとん叩いてみせた。恥ずかしさでいっぱになりつつも、ナマエは一枚抜き取って口元を拭った。そこにはかなり小さい葉っぱ、芽吹いたばかりみたいな淡い緑のキャベツの欠片。遠目からでも見つけられた視力に驚く。

「ゆっくり食え」
「はい」

 こくんと頷いた、直後。

「掃除するのは俺なんだからな」

――そこらを汚すな、という意味だろう。
 ナマエは無意識に姿勢を正して食事を再開した。途端、頭上の空気がふっと揺れた気がしたが、確かめたときには翻すリヴァイの背中が映るだけだった。

 ソファへ腰掛けた彼は本を開く。以前、読むなら洋書のほうが楽でいいと話していたけれど、今度のは日本語で書かれているらしき文庫本だ。タイトルまでは見えない。目を、こらしても。

 スープに口をつける。リヴァイが作り出した味は、喉を、胃を、ナマエのすべてをあたためて落ちていく。

 味見なしでよくこんなに、とひっそり感動した。数日前に初めて包丁を握ったとは思えない。
 というのもエルヴィンは料理下手で、何度味見を重ねてもなかなか奇抜なものを生み出すのである。

 彼は体内から睫毛の先まで隙がなく、完璧を具現化させたような男だ。そのくせ料理ができないだなんて、欠点に感じるどころか意外なギャップに愛おしさすら湧いて――

「あれ……? ニンニク……」

“嫌いなんですね”
“苦手なんだよ……俺らは”

 でも、いつも、エルヴィンは。

 浮かんだ疑問により、ナマエの手足が冷えていく。

「……リヴァイさん」

 薄くて、いっそ清々しいまでに脆い青色。恋人と選んだトレーを片隅に映したまま、呼びかけた。視線が絡まる。

「……ヴァンパイアって、人間と、味覚……違うの、」

 下がりゆくリヴァイの手。閉じられた本。積み重なる沈黙。

 呼吸も、絡まる気がした。喉の奥で。うまく飲み込めなかった想いが、ごちゃごちゃとこんがらがって。

「そうなんだ……」

 ナマエはうつむいた。

 すぐ近くにリヴァイが寄る。けれど座らない。隣にも正面にも。どこに居るべきかをまるで定められないようだ。距離感をはかりかねている。

「……気づかなかった。エルヴィンさんおかしいなって……思うこともあったのに」
「ナマエ、……黙っていたことは謝る。……だがお前が気づかなかったのは、それだけあいつを信頼してるからだろ」
「……」

 三年、それは長い年月だ。ナマエはエルヴィンと共に過ごした三年間、ほぼ毎日一緒に食事した。
 付き合いたてのころはフレンチレストランにも居酒屋にも行ったし、映画館ではポップコーンやスナックをつまんだ。家でもモンブランを出したし、朝昼晩、手料理を振る舞っては振る舞われた。

 二人でなにかを食べると、エルヴィンは必ず美味しいと言って微笑む。彼は大食いで、だから冷蔵庫も、二年前に新調した。とても大きい立派なものに。食料のストックが切れたことなどなかった。

 悲しい。騙されていただとか、そんなふうには感じない。彼の内面を置き去りにしてしまったことが、偽らせていたことが、ただ、苦しかった。

「……食えそうなら食っちまえ」

 しばしの沈黙のあと、リヴァイはそう、歯切れ悪くつぶやいた。ナマエもハッとして、パスタが乾ききる前に口に運ぶ。味は変わらず、美味しい。

 リヴァイはキッチンへと向かう。紅茶を淹れるのだろう、湯を沸かし始めた。

 まもなく完食したナマエもトレーを下げに向かうと、皿をシンクに置き、その場に立った。真っ黒い長袖姿の男はふたつのマグカップを前に、腕を組んでいる。この家にはリヴァイ用のソーサーがない。だから二人は必ずこうして、マグカップで。

「リヴァイさんにも、なんで食べてくれないのって怒ったりして……私。すみませんでした」

 ナマエは、リヴァイが朝焼けのシーン同様食事シーンを気に入るのはただ単純に血を摂るのが嫌だからだと考えていた。人間と同じものだけを食べて生きていきたいのだと。
 思い込んでいた。

“……俺、は。なれない、名無しの、脇役にすら”

 食事したいという願望が朝陽を浴びたいのと同等ならば、彼らにとって人間の食べ物は、苦痛そのものなのかもしれない。

“可哀想に”

 ジークの声が脳内にこだまする。

「忘れろ、そんなこと」

 会話の合間、作業は手際よく進められていく。スムーズに夜と交わる紅茶の香り。

 胸が詰まって、泣きたいような気持ちが込み上げた。リヴァイはいつか、この夜も忘れてしまうのだろう。自身の年齢と同じに。そしてエルヴィンも。永くを生きる彼らは、人間ではないから。

 ナマエは窓の外を見た。地上の光に薄められた濁り空。心做しか、すぐ傍にいるリヴァイの輪郭までもが薄れているようだった。







  

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