地獄でも手を繋いで
殺したい彼と殺されたい彼女(両想い)/20250417





 テキトーなサンダルをひっかけて玄関を出ると、春の夜風がつま先まで撫でていくのが気持ちよかった。後ろから気怠げな足音がして、それは少し速まったあとで私のとなりに並ぶ。追いついてきた南雲くんは上下黒いスウェットを着込み、いつものビーサンをはいていた。ぺったん、ぺったん、と不格好な音が鳴るのがおかしくて、ちょっとかわいい。

「アイス何個買おう」

 羽織ったパーカーのポケットに手をつっこんでつぶやく。私の部屋着はショートパンツだから、一歩踏み出すたび足に生ぬるい空気がまとわりついた。

「え〜? どうせ何個も食べられないって、ひとつにしときなよ」
「うーん」

 ほとほと呆れたようにする南雲くんを横目で見るけれど、結局あいまいな返事だけをして前に向き直った。
 だってわかっている。いざコンビニに着いてアイス売り場を眺めたら、あれもこれもと悩む私にこの人は言う。全部買っちゃおーよ、ナマエちゃんの食べたいやつ、と。カゴをさしだしてきながら、すべてに許しを与えるかみさまみたいな声色で。いつもそうだから、もうわかる。
 普段子供っぽくてわがままで、不遜な部分をもつ南雲くんは、ただしときおりひどく善良で甘やかしい男になった。そのことを話しても、神々廻さんも豹さんも眉根を歪め、怪訝なおもざしを揺らせるだけだったけれど。

「それにしても、きみってほんっとムードってものを知らないよね〜」
「ムード?」
「普通さあ、し終わったあとすぐコンビニ行きたい〜とか言い出す?」
 ふてくされたようなトーンで、南雲くんは文句を垂れる。

「しかもお互いまだ裸だったのに」
「そんなこと言ったって。そもそもセフレにムードもなにもないと思う」
「冷めてるなあ〜ナマエちゃんは……」

 ハア。最後はあからさまなため息で締めくくられた。そんな当てこすりをされても嫌な気持ちにならないのは、たくさん気持ちよくなったあとだからかもしれない。気分がいいから。

「南雲くん」
「なに」
「好きだよ」
「……はあ?」
「いろいろ言いながらもこうやってついてきてくれるところ、大好き」
「も〜……」

 と、南雲くんがしなしなの表情を浮かべて肩を落とすから、少し笑ってしまった。
 ふと目線を下げると、夜道にはてんてんと花びらが落ちている。アスファルトにはりついた桜の花は、小さく、白く、まるで足もとに散らばる星屑みたいにも思えた。今度は真上を仰ぐようにしてみる。でも東京の夜空に星はない。代わりに視界を埋めるのは、道路の両わきに植わった桜の木立から伸びる枝や花々の天井。風が吹くたびにしなる木々が、ピンクのヴェールに似ていた。
 そういえば、桜の花々はどのくらいの期間咲いていられるんだっただろう。二十日? 十日? 七日くらいかもしれない。うららかな季節を乗せて舞う花は、私たちを置きざりにして死んでいってしまう。あっけなく。

「ていうか、ひとりで行かせるわけないでしょ、きみのこと。こんな夜中に」

 歩きつつも街灯に照らされたヴェールをボンヤリ見ていれば、南雲くんが言った。

「ひとりでも大丈夫なのに。ナイフ持ってきたし」

 じゃーん、と見せびらかすように鈍色の刃物をかざす。彼ほどの実力はないにしても、私だって殺し屋だ。そこらへんの人間にたやすくやられるたまじゃない。そう反論すると、南雲くんはまあね、と口先で返事をした。

「でもさ〜、万が一ナマエちゃんが押し負けたとして」

 声が遠くなった気がしてふり返る。南雲くんは立ち止まり、両手をポケットに入れていた。わずかに首をかしげ、こちらをジ、と見詰める。

「そのまま僕以外のだれかに殺されたら……悔やんでも悔やみきれないじゃん。きみの最期は、僕が欲しいのに」

 とっぷりとした夜の底、漆黒の髪をなびかせて立つ彼も闇を構成するひとかけらみたいだった。空に伸びるあざやかで絢爛な桜の花たちだけが、いまは世界に色をつけている。

「……それって愛の告白?」
「あれ。ばれた?」
「南雲くんって案外重たいんだ」

 だって私の最期を自分が奪いたいなんて、ものすごく熱烈な感情だと思う。

「あはは、いまごろ〜?」

 なんて軽いくちぶりで返されるから、なんだか無性に嬉しくておもわず笑顔になってしまった。私の傍にやってきた南雲くんも笑う。とても愉しげに。
 面と向かい合う。見下ろされれば、禍々しいほどの黒い瞳がやけにきれいで仕方ない。頭の上ではざあざあと桜が波打つ。だけど私の耳にはそれよりも、ふたつの呼吸音ばかりが届いていた。南雲くんと私の命の音。私たちは淋しいくらいあたたかくて優しい春のなかにいる。殺しとは縁遠い平穏な日常も、人並みの幸福もずいぶん遠いところにあるこの夜に、ふたりぶんの呼吸だけがたしかな永遠みたいだった。

「南雲くん」
「んー?」
「万が一。私がだれかのせいで死にそうになったときは、南雲くんが私を見つけて」
「……」
「それで、最期は南雲くんの手で殺してね」

 絶対。
 口内で転がしたひとつのワードをしっかりと言葉にする。短くて心許無いお願いごとは、さざめく桜並木に呑みこまれていく。殺し屋という職業柄、好きなときに死ぬことも、望む場所で永い眠りにつくことも叶わないだろうと理解してはいるけれど、南雲くんが嘘でもうなずいてくれたら自分が満たされることを、私はもう知っていた。
 南雲くんに手をとられる。いろんな記号の彫られた指先が、私の指に絡みつく。武骨なそれに手のひらをカリ、とひっかかれ、素肌が震えた。
 指を互い違いに噛ませて繋げば自分のものより少し高い体温が、触れ合ったところのもっとずっと奥まで伝染していく。さっきまでしていた行為を彷彿とさせる手つきに眩暈をおぼえる。
 いっそこのまま死ねたらいいのに、と思った。このひとの手で、いま、この咲きこぼれる夜桜のもとで。南雲くんに、殺されてしまいたかった。
 普段子供っぽくてわがままで不遜な彼の、ときおり見せるひどく善良で甘やかしい部分をもってして、私の願望を受け容れてくれたら。欲しいものを好きだけ選びなよ、と、淡くうそぶくようにするあのときみたいに慈悲深く私を手折ってくれたなら、人殺しである私の終着点が地獄だったとしてもきっと笑ってられる気がした。

「……約束ね、南雲くん」

 絡んだ手のひらにそっと力を込めれば、彼の形のいい唇がやわい弧を描く。私はとたんに安堵して、南雲くんがうなずくのを待った。



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