キスがしつこい南雲に噛みつく話/20250419
夜ってなんの音もしないな、とぼんやり思った。自分の呼吸音しか聞こえてこない空間で、ベッドに手足を投げだしてどうにか息を整える。
隣にいる男をそれとなく窺えば、南雲くんは後ろ手をついて座り、少し湿った黒髪をかきあげていた。とりたてて息は乱していない。いつものことといえばいつものことだけれど、なんとなく悔しかった。
服を身につけるのが億劫で、うぶな格好のままうつ伏せになる。シーツのかすかなつめたささえも心地好く感じて自分の熱のありかを知った。大ぶりの枕を抱きかかえるみたいにしながら、部屋の奥、窓を眺めると、うすくひらいたままのカーテンの隙間から月明かりが青くこぼれている。
「ナマエちゃん」
ぎしり、ベッドが軋んだ。うちのベッドはシングルだから、体格のいい人と寝るとどうにも手狭になってしまうのが難点だ。
「わ」
なんの前触れもなく、背中の上に南雲くんが乗っかってくる。
「うあ……重い、」
「あはは。僕の下で動けなくなってるナマエちゃん、弱っちくてかわいー」
覆われて、体重をかけられてしまうと身じろぎくらいしかできない。やめてと非難すれば南雲くんは上体を浮かせた。私の背中と彼の胸もとは、でもいまも重なり合ったまま。
「……ね、ナマエ」
「あ、」
さらさらなびく黒髪が、私のこめかみのあたりにかぶる。耳たぶを甘く噛まれると、冷めきらなかった熱がまた広がり、じわじわ全身に回っていく。
「もう一回しよ」
ちゅ、ちゅ、とやわらかいくちづけが与えられた。子供のお遊びみたいなそれは耳たぶにも、ひたいにも、髪の毛にも。
そのあいだにも南雲くんの手は私の脇腹をツと伝い降りていく。もがいてみたところで、ほとんど囲われているような状態ではたいした抵抗なんか叶わない。
「な、ぐもくん」
「んー?」
キスは背中にも降ってくる。ぢゅ、とひときわ強く吸いつかれた一箇所がやけにぞくぞくして眩暈を誘発した。景色が、頭のなかがぐるぐると回る錯覚に襲われる。私はいま、横になっているのに。
「も、おわり……今日は、だめ」
「え〜、なんで?」
「なんでも、」
「んー。どうしよっかなー」
会話の最中でもくちづけはやまない、背骨を辿ってどんどん下がっていく頭。ふれる黒髪がとにかくくすぐったくてどうしようもなく、腰が浮いてしまうのを抑えられなかった。
「ねえ、本当に……!」
南雲くんの頭が背骨の終わりに近づいたとき、寝返りを打った。おへそらへんに彼の顔がくる。伏せられていた黒いまつげが上がると、まっすぐに見詰めてくるまなざしはあけすけな色をはらみ、濡れていた。雨に降られたあとの湿った花びらみたいだった。
お腹付近にある顔の、両頬をつつむ。
「ナマエちゃん、絶対だめ?」
「……だめ」
だってもう二回もしてへとへとだし、明日も仕事で朝が早い。コンディションは整えておきたいし、お肌のためにもたくさん眠りたかった。
そういうことを言い連ねれば、南雲くんはすぐに寝かせてあげるから、なんて堂々と嘘をつく。すぐに終わるはずないくせに。この人の最中のしつこさは、すでに身にしみて覚えている。
「わかった。もうおとなしく寝まーす」
そのあともあーだこーだと応酬を繰り返し、結局先に折れたのは南雲くんのほうだった。観念したらしい彼は私の体を挟みこむみたいに両腕をつき、上に覆いかぶさってくる。外からもれてくる蒼白い灯りがあるから、彫刻みたいに完璧な筋肉のおうとつも、素肌のあちこちに彫られたタトゥーも、胸もとの
祈りの手もよく見えた。
「おやすみのちゅーしよ」
南雲くんがにっこり笑う。真っ黒な瞳、虹彩の真ん中に私の輪郭が映る。少しぼやけてるような気がするのは、あんまりにも距離が近いせいかもしれなかった。鼻先が、唇が近づいて、南雲くんのにおいが強く香って。視界はわずかに暗くなる。頭上の太陽が翳ったときに似てるな、なんてふと思う。
「ナマエ」
「……、」
頬を撫でられ、髪の毛を耳にかけられ。骨ばった指が、私の唇の形を確かめるように動いた。やわい上下をわり開かれると、粘膜がくち、と濡れた音をたてる。
南雲くんがゆっくりと目をとじていくから、私も同じようにした。
「ん……」
重なる唇。今夜一度目のそれじゃないためか、初めからどこか強引なキスは簡単に激しくなる。歯列を辿った舌に侵入されれば口のはしから声がもれた。さしこまれた舌と絡み合い、口内じゅうをまさぐられると、さっきまでの余韻もあいまって体は快感を拾ってしまう。逃げる舌にそっと歯を立てられて吸われたら、ひとたびおさまった熱がたちまちくすぶるのがわかった。
「なぐもく……もう、」
「まあだ。まだだよ、ナマエちゃん」
こんなのおやすみのキスじゃない、思って彼を押し返すものの、南雲くんはびくともしない。終わらないキスに肌が震え、こぼれる吐息に甘さがまじってしまう。呼吸を奪われる窒息感。たくましい腕で囚われているという閉塞感に、思考が焼き切れていく。
「っ」
耳、に。指先を入れられると、キスのリップ音が脳内に直接響いてくるようだった。焦りが加速する、──このままじゃ、四回目がはじまっちゃう!!
焦燥に駆られるまま、囲い込んでくる男の体を精一杯押し返した。力はやっぱりうまく入らなかったけれど、南雲くんは少しの距離をとった。私の息が、私自身が限界だと、気づいたのかもしれない。
その隙を見逃さない。今度は私が馬乗りになるように位置を入れ替わり、南雲くんを押し倒して、それから。
「んっ……」
筋肉質なはだいろ。南雲くんの肩口に、噛みついた。してやられるばかりじゃなく、やり返してやろう。そんな思いだったし、そろそろ終わりにしてほしいという願望をこめたつもりでいた。ん、と小さな声をこぼした彼は、そのあとでほんの数秒、息を詰める。
言葉はない。音のない夜、耳が痛むような静寂に耐えきれなくなってしまい、鍛えられたお腹の上に両手をついてソッと起き上がってみると。
「あは……」
南雲くんの両手が私の腰を掴んだ。するり、と、肌を撫でられる。
「なにいまの。やばー……♡」
彼の瞳孔は、ひらききっていた。深夜でもしっかり確認できるほどに。
いや、やばーなのはこっちですけど! そう叫びたい気持ちが急激に込み上げる。危険信号のようなものが、頭蓋のうちで鳴りはじめていた。
慌ててベッドを降りようと、急いで南雲くんから離れる──けれど。
「どこ行くの?」
「あっ……」
「ね、もっと噛んでよ、ナマエちゃん……」
後ろから伸びてきた手にすぐさま捕まって、私は逃げ場を失ってしまった。