20250707
「どうやって逝きたい?」
夕暮れ時だった。敵地であるともいえる標的のアジトはコンクリートがむき出しの廃墟ビルで、割れた窓や欠けた壁から、真っ赤な夕陽が射し込んでいる。
少し離れたところ、赤い光のなかに居る南雲さんの横顔を見詰める。大ぶりの刃物を手にした彼が見下ろしているのはターゲットの小男だった。仲間たちが死に、最後の生き残りになったターゲットは尻もちをつくようにして座り、ORDERの男を見上げていた。
「ほら、答えなよ。短冊に書いておいてあげるから」
震えるばかりでなにも言わない相手を急かす南雲さんは、片手をポケットにつっこみ、ささやかなため息をひとつ。
夕焼けで赤くさざめくコンクリの上にしゃがみこんで、そのやりとりを眺めた。単に彼の補佐を任されただけの私に、やることはもう、ない。
ターゲットの男がなにかを言った。私には言葉は聞こえなかった。だけど南雲さんは聞き取ったらしい、取り出したペンを律儀に走らせはじめる。
こんなの用意しちゃった〜! 今日は七夕でしょ、と短冊の束を見せつけてきた数時間前の彼をぼんやり思い出した。南雲さんは今日、狙ったターゲットを殺る寸前、毎回どんな死に方がいいかと問いかけている。そうして必ず短冊に書き込んでいるのだった。「願い事、叶えてあげるよ。僕って優しいからさ」なんて光の射さない瞳で囁きながら。
影法師が動く。ターゲットの男が這いずり、逃げようとするけれど、瞬時に事切れてどさりとその場に倒れてしまった。ナイフを滑らせた南雲さんは空中で
刃を振り、刃物に付着した血を落とす。そのまま立てかけてあったジュラルミンケースに武器をしまうと、こちらへのんびり足を向ける。
「お待たせ〜」
待ち合わせ場所に、遅れて到着したときみたいな軽快なくちぶり。私も立ち上がって向かい合った。
「待ちくたびれました」
冗談めかして返すと、ごめんごめん、と会話が続く。
「近くの喫茶店でパフェ奢るから許してよ」
夏限定のパフェらしくて〜、なんて穏やかな笑みを頬に浮かべる彼に私まで口角を上げてしまった。
「南雲さん。他にもなにか食べていいですか?」
「もちろん。メニューにあるもの全部頼んであげる」
夕闇を浴びる南雲さんは逆光だ。大きな影法師みたい、なんの音もしなくなった敵地にゆらりと立つその姿だけが、いまはただ黒い。
「おなかいっぱい!」
「僕も〜」
昔ながらの雰囲気を醸し出す喫茶店を出ると、辺りはすっかり夜だった。空は濃紺で、地上のけばけばしたネオンを反射して光っている。
アスファルトの道路、ひっきりなしに行き交う車、多くの喧騒、夏の蒸した空気。都会の街並みを南雲さんと進む。いまいるところから本部まではそう離れていない、腹ごなしに歩いて帰ろうという南雲さんの提案に乗った結果だった。
「そういえば。短冊飾らないとですね」
ぽつりと言えば、南雲さんも「ああ」と口をひらく。
「そうだったね、忘れてた〜」
「書かせておいて忘れるの、ひどくないですか」
「ちょっと。書かせたって言い方は違くない? 彼らの願い事、書いてあげたの僕だから」
子供じみた訂正を挟みつつも、南雲さんは輪ゴムでしばった紙束をポケットから取り出した。赤、黄色、ピンク、青、緑。さまざまな色をした細長い紙切れが、タトゥーの彫られた手のなかで夜風に煽られ、カラフルに揺れた。
「笹も用意してるんですか?」
七夕の短冊といえば、笹の葉にぶら下げるものだ。会社に置いてあるのかな、そんなふうに思って訊ねると、でも彼は「まさか」と目をまんまるにしてみせる。
「そこまでは準備してないよ。笹、買うの面倒だし」
「……」
どこか呆れ心地になり、前に向き直る。隣では南雲さんがこれどうしよっかな〜、とつぶやいた。その甘ったるい声は、真夏の暑さに溶けていく。
と、胸もとのあたりが振動した。私のスーツの内ポケットにある社用のスマホが鳴っている。任務かもしれない、げっそりとした心地で確かめれば予想どおりの連絡が入っていた。
「仕事〜?」
「みたいです」
「そっか。じゃあ僕は」
「南雲さんも来てください」
「え?」
「え、じゃないですよ! 手伝ってください、私、今日たくさん後方支援したんですからね」
「そうかな〜。ほとんど僕がやった気がするけど」
「……ほとんど南雲さんがやりましたけど……」
ぐう、と唸るように返せば彼は笑った。「でもいいよ」と続ける。
隣を見上げれば、南雲さんは短冊をしまい込み、こちらを眺めおろした。彼の下まぶたが湾曲する。この夜にも負けない仄暗い笑みをはりつける様子は、まさしく殺し屋然としている。
「……僕もしてあげる、後方支援」
生ぬるい風が吹いた。南雲さんの、長めの黒髪がさらさらなびいて、目もとが陰った。
次の目的地は天高くそびえるツインタワーだった。都心からのアクセスが良好な土地にある、地上42階建てのタワーマンション。最上階は敵対組織の根城となっていたらしい、全員を片付け、ふうと息をつく。
「やるね〜! きみひとりで充分だったんじゃない?」
壁一面に夜景を映す大きな窓ガラスをバックに、ソファへ腰掛けている南雲さんがにこやかな声をこぼした。彼の手にはまた短冊。迎え入れた死のぶんだけ数を増やした願い事だ。
「サポートのおかげです」
拳銃をしまいながらも答える。今回の任務を楽に終えられたのは、実際、南雲さんがターゲットたちの腱を切ったり武器を奪ったりするといった小細工を仕込んでくれたからだと言えた。
「そう?」
彼がソファから立ち上がる。
「そうですよ」
「じゃあさ。ご褒美、ちょうだい」
私の傍まで来た南雲さんは、首をほんの少し、傾けた。
「ご褒美?」
「うん。きみからの」
おもわず、うーん、と悩んでしまう。だってこの人は、きっとなんだって手に入れることが叶うだろう人だ。私がさしだせるものなんてたかが知れている。
「……なにが欲しいんですか?」
物を。いろいろ思い浮かべてみたけれどしっくりくるものは一個もなく、致し方なく聞けば、南雲さんは。
「やっぱりいいや。僕が、自分で手に入れる」
数瞬の沈黙のあと、そう言った。
──なにが欲しかったんだろう。考える私の傍ら、彼はそれを見抜いたように口角でうすく笑う。秘密、とでも囁くみたいに、そっと。
「あ」
フローターの到着を待つさなか。窓の前を陣取り、ずいぶん低いところを走る車の列だとかテイルランプが生み出す光の川だとかをぼうっと見ていたとき、ふと思い立って顔を上げた。視線の先には煌びやかな夜景と、星なんかひとつもない、濁った夜空と。
「どうかしたー?」
後ろのほうから声をかけられ、ふり向くと南雲さんは再びソファでくつろいでいた。座面の上、彼の近くには短冊のかたまりがある。
「それ」
と指させば、南雲さんも短冊に意識を向けた。
「飾りません?」
「ええ? いま?」
「はい」
きょとん、としてみせる南雲さんをこっちこっちと手招く。この世にはもういない人々の願い事が書かれた紙切れを持ち、彼はやってくる。
ふたりで、バルコニーへと出た。
「うわ〜、絶景だね〜」
ぴかぴかと明滅するネオンの洪水。きらめくライトの粒たちが刺々しく、目にまぶしい。横を見ると、南雲さんの頬にも光がいくつか当たっていた。
「南雲さん」
「んー?」
「短冊、ここからばら撒きましょう」
「……バルコニーから?」
「はい。
都会じゃ、天の川は見えないし」
彼にじい、と見詰められる。正しい黒さを秘めた眼。その瞳孔にもネオンが反射している。まなざしに、星空をとじこめてしまったみたいだった。
「でも、地上にはたくさん灯りがありますから。地上が星空の代わりです」
「……あはは!」
吹き出し、南雲さんは破顔する。
「悪い子だね、ナマエちゃん」
そうして楽しげに、高らかに笑い声を漏らした。愉快でどうしようもない、といったふうに。
「じゃあこれ。きみのぶん」
山ほどもある短冊のうち、半分が分けられた。受け取って、果てしなく広がる光を見据える。
せーのと南雲さんがつぶやいた。
紙切れをつかんだ手を、バルコニーの向こう側、柵の奥にまで投げ出す。
勢いをつけてばら撒いた色とりどりの紙たちは、願い事を引き連れて、夏の夜の真ん中を花びらみたいに舞い踊った。赤、黄色、ピンク、青、緑。殺されゆく寸前の、最期の祈りが書かれたカラフルな短冊が、散りぢりになっていく。
満天の星空によく似た地上に降り注ぐそれらは、ひどく儚く、綺麗に映った。
「きみは?」
「え?」
「願い事、書いとく? ここで願えば叶いそうじゃん。いま飛んでいった短冊の願いは全員ぶん叶ってるし」
「……それは、そうでしょうけど。むしろ南雲さんこそ書いておいたらどうですか?」
「僕?」
「さっき言ってた、ご褒美。ちゃんと手に入りますようにって」
「そうだね〜。じゃ、書いとこっかな」
案外素直にペンを持ち出した姿を見て呆気に取られつつ、彼の手もとを覗き込む。短冊はだけど、即座に隠された。見せてくれてもいいじゃないですかと口を尖らせるものの、だめでーす、とすげなくお断りされてしまう。
「叶いますよ〜に」
南雲さんがひとことつぶやいた。つまんだ紙切れを、空へ放つ。
夜に浮かんだ短冊は夏の風に攫われて、どこまでも遠くへと舞っていく。それはきらきらまたたく夜、途方もなく揺れる光の渦に呑み込まれ、やがて見えなくなった。
「なに書いたんですか。教えてください」
「やだ〜」
「ケチ」
「えー? 僕、今夜の食事代全部払ったのに」
困ったように小さく笑う南雲さんに、私も目を細める。
「叶うといいですね、願い事」
「うん。ま、叶うかどうかはナマエちゃんにかかってるんだけどさ」
「えっ。私にですか?」
「そうだよ」
「……私、したいことなんでも叶えてあげられるほどお金持ってません」
弱々しく吐き出すと、やわらかな目線を向けられた。夏の夜にとても似つかわしい、漆黒の瞳。
ただし彼は、なにかを言うことはなく。フと優しく笑い、また、まばゆい光が散らばる景色に視線を戻してしまった。結局、欲しいものはなんなのか、わからないままだ。
私も夜景を見下ろす。高層ビルの群れ、点滅するライト、宝石箱がひっくり返ったような夜は幻想的でもあるけれど、反面、いくらか無機質でもある。
だからだろうか、隣で息づく南雲さんのぬくもりがいっそう際立つみたいだった。その気配に安心して、私はしばらくぼんやりと、たゆたう街明かりを見ていた。