気づかないふり
20250720





 休日のスクランブル交差点はいつにも増して人がひしめいている。輪郭の濃い雲と深い空、景色に染みつくような夏の青を背景に、乱立する商業ビル。備え付けられた大画面モニターにはひっきりなしに広告が流れ続けていた。それを見ていたら信号が青になったので、ナマエたちはざわめきのなかを歩き出す。
 進むというより、人をよけて歩く、といった感じ。まっすぐ行けなくて右、左とジグザグ歩いていれば、一歩ぶん先を行っていた南雲がふり返った。

「手、繋ご」

 さしだされる手のひら。軽く腕まくりされたシャツの袖、覗く手首のあたりにはタトゥーが彫られている。ナマエはこくりとうなずき、彼の手を取った。
 南雲と歩くと、楽だった。ちらちら見られたりきゃー、と声を上げられたりはするものの、たいていの人たちがよけていく。南雲は太陽に向かって伸びた夏のひまわりくらいの背があるし、容姿端麗でもある。だから物珍しさで、向こうのほうから道を開けてくれるのかもしれない。
 交差点を渡り切り、いくつものビルが立ち並ぶ歩道を行く。今日はふたりで、夏のスイーツを食べようと街に出てきている。目当ての店は、もうすぐだ。

「暑い……日傘持ってくればよかった」

 ナマエがぐったりと肩を落としながら言うと、南雲はうーん、と曖昧につぶやいた。

「日傘あると手繋ぎにくいからな〜」
「たしかに……」
「ね、ナマエちゃん」
「なあに?」
「僕が日除けになってあげよっか」
「ええ?」
「僕の影に入りなよ〜」

 つい、あはは、と笑ってしまう。南雲は上背があり、体格にも恵まれているけれど、さすがに影に入ったらどうかという提案をされるとは夢にも思っていなかったから。

「あ。南雲くん、あのビルだ!」

 目指すところが見えてきた。ナマエは嬉しくなって、一箇所を指さして微笑んだ。その指先を視線で辿った南雲も口角を上げる。

「いっぱい食べようね〜」
「ね!」

 南雲が笑顔を深くした。熱ささえはらむ生ぬるい風に吹きつけられた彼の長めの黒髪が、さらさらとなびくのが、なんだかとても綺麗だった。
 ふたりして前に向き直る。やがて、普通に繋がれていただけだった手同士が恋人繋ぎになった。指を互い違いに絡ませられると胸のあたりがくすぐったい。ナマエも、きゅっと彼の手を握り直す。会話は途切れたまま、真夏のなかを歩いていく。
 ふと、南雲が指先を動かした。親指で、甲のあたりをすり、とさすられて、ナマエの肌が小さく震える。横をちらりと仰ぎ見るけれど彼は真正面を見据えていた、手はほとんど無意識に動かしたみたいだった。
 すり、すり、と撫でつけてくる指先はおさまらない。羽根でなぞってくるようにやわらかく、軽く、すべらかな触れ方。いつも真夜中にしてくれる、特別にも似たさわり方だ。可愛がり、じゃれつくみたいなもの。
 そういえば、するとき毎回、手をこんなふうに繋いでいることを思い出す。南雲は行為の最中、指同士を絡めたりキスをしたり頭を撫でたりと、ナマエをいつだって甘やかしてくれた。
 変なこと思い出しちゃった、と緩む意識を引き締める。せっかくのデートに出てきてるのに、えっちなことばっかり考えてる彼女なんてきっと嫌に決まってる。ナマエは思い、背すじを伸ばした。
 瞬間。

「ッ、」

 南雲の武骨な、ナマエのより太くて硬い指が、カリッ、とナマエの手のひらをひっかいた。セックスのとき、それもひとつになっているときに、南雲はよくこれをする。
 腰から脳髄までがびりびりと痺れるようだった。ナマエは大きく肩を跳ねさせ、一気に熱くなる頬でうつむく。心臓がばくばく鳴っている。炎天下にいるせいだけじゃ、ない。
 赤く染まってしまった顔、潤んでしまった目で道路を見下ろしながらもなんとか平常心を取り戻そうと必死になって歩いていると、隣の南雲が歩幅を縮めた。スローダウンした歩行速度。どうしたんだろう? と横を向けば、彼は。

「……南雲くん?」

 ナマエがいるのとは逆側の道路のほうを見やり、繋いでないほうの手、空いてる手で口もとを覆っていた。横顔というより、なだらかな鼻すじのラインやこめかみ、漆黒のまつげの先ばかりが見える。名前を呼んでも、こっちを見る気配はない。

「どうかした?」
「いや……、」

 塞がれたままの唇から漏れ聞こえた声はどこかぼやけていた。いや、とだけ言った南雲はまた、黙ってしまう。
 手をぎゅ、っと繋ぎ直された。きつく。次からは、目的地のビルに辿りつくまでにおかしな触れ方をされることはなかった。

「……ナマエちゃん」

 五階建てのビルの、エレベーターを待っているところで名前を呼ばれる。なあに? とふり仰ぐと、南雲はナマエの頬を優しくさすった。

「今日は早く帰ろうね」
「疲れちゃった?」
「んーん」
「?」
「あ、エレベーター来たよ〜。行こ」

 彼がドアを開けてくれている。早く帰りたい理由は結局はっきりしなかったけれど、ナマエは問い詰めることもせずにおとなしく乗り込み、行き先階ボタンを押した。



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