20250725
やけに暑くて目が覚めた。重たいまぶたを持ち上げると、背中から抱きこむようにされていることに気がつく。首の下にさしこまれた筋肉質な腕にはいくつかの模様が浮かんでいる。やっと見慣れてきた、南雲くんのタトゥー。
目の前には液晶画面があった。私の下敷きになっている腕、その先の手がスマホをいじっている。明度を下げた画面内で繰り広げられるのはシンプルな数字のパズルゲームだった。
部屋はまだ暗い。南雲くんと二回して、私が寝落ちてから、時間はたいして経ってないのかもしれない。
しばらくスマホの画面を見詰める。私の身体に乗っけられたほうの手が、弱い光を放つ液晶をタップし続けている。
と、メッセージのポップアップがぽんと表示された。南雲くんはパズルの指を止める。画面上に示されたバーのなかにはローマ字で女の子名前が記されてあった。それから、会いたい、というひとことも。
南雲くんがメッセージをタップしてひらき、すぐにスライドして閉じる。既読無視を貫くのか、あとでちゃんと返すのかどうかはわからない。
まぶたをぎゅっとつぶった。胸のあたりに刺さった棘が痛み、ズキズキした。──もうこんな関係やめなくちゃ。身体だけの、代わりがいくらでもいるような関係は。
ふいに抱き寄せられる。後頭部に唇を押し当てられるのがわかった。泣きたくさせるような優しいキスだった。
そのまま南雲くんは、パズルを再開する。指の背に彫られた記号を見るともなしに見たあと、腕のなかでそっと寝返りを打った。
「ん……あれ、起きちゃったの〜?」
深夜の静寂に似合うゆるい口調が、私の鼓膜をくすぐる。起きちゃった、答えれば南雲くんはスマホを置いた。
向かい合わせになった私の頭を撫でつけて、寝乱れた髪を整えてくれる。その甘やかな手つきに目をとじて、与えられる心地好さを独り占めした。
「……いま何時?」
南雲くんに身を寄せるようにして聞くと、一時くらいかな〜、と返ってくる。そっかと返して起き上がり、のびをひとつ。そうしてベッドを出ようとすると、お絵描きまみれの腕に身体を抱き留められた。
「どこ行くの?」
「喉渇いちゃって」
「僕も行く〜」
なんて言いながら、腰にくっついてきて離してくれない。ごろごろ寝そべる南雲くんをふり返ろうとすると。
「あっ」
腕を引かれる。身体はまた、ベッドに逆戻りした。
「南雲くん、」
「お水なら僕のあげるから」
「んん」
湿ったキスをして、そのまま、服の裾から侵入した手に胸の先端をつままれて。おもわず甘い声をこぼした。
ストップをかけようとすると、その前に腕はするする抜かれていく。南雲くんは枕元にあったペットボトルを取って水をひとくち。そうして再びくちづけ。
「ん、」
真上から覆われたまま重なった唇同士、隙間からぬるい水が落ちてくる。こくこくと喉を鳴らせば頭を撫でられて、胸の内側が満ちていく心地になってしまった。
だって、こんなの。愛されてるみたいだ。
錯覚だ、と思おうとするのに心のなかの自分がかぶりを振る。
「ナマエちゃん」
「ッあ……」
私のあちこちを丁寧になぞりながら南雲くんは耳もとで囁く。ぞわ、と快感が広がる。
「今週の土曜日、なにしてる?」
「ん、今週、?」
「そ〜。会おうよ」
「今週、は友達と予定が、」
身体じゅうを這う手指がぴた、と止まった。南雲くんは数秒黙ったあと、片肘をベッドについて上体を起こし、はあ、とため息をつくみたいにして黒髪をかきあげた。
「そうだよね。ナマエちゃんには友達がいるもんね。きみの人生のなかには僕以外の人間がいるんだもんね」
筋肉質な肉体がどさりと上に倒れ込んでくる。体重をかけられれば重たい、潰れてしまいそうな気分になりつつ背中に腕をまわした。南雲くんの髪の毛が、首筋に当たってくすぐったかった。
「……僕にはきみだけなのに」
うそつき、と思う。
さっきだって、私じゃないどこかの女の子から連絡を貰い受けてたくせに。
「あ、なぐもく、」
片方の手が絡まり合い、互い違いに繋がれた指先がはりつけにされる。もう片方の空いた手を、南雲くんはなめらかに動かした。武骨な指が腰から脇腹までを辿る。それはみぞおちをかすめ、また、胸のふくらみへと。数時間前にしたばかりだというのに彼は熱を持っていて、恥じることなく押しつけてくる。つい、変な声が出てしまう。
「あはは、可愛い声〜。ね、ナマエちゃん。いつもたくさんおもらししちゃうから喉が渇きやすいんじゃない?
堪え性ないもんね〜」
「違、ッん」
「もうちょっと我慢覚えてみたら? 練習、する?」
「まって、」
「待ってほしい?」
こくりとうなずけば、南雲くんはいたずらな指先を静止させた。
「気持ちいい〜って顔してるけど。やなの?」
「や、なわけじゃ……なくて、でも、いまは、」
「ふうん? いいよ〜。いくらでも待ってあげる。……ナマエちゃんが欲しくてなまんないよ〜♡ っておねだり、してくるまで」
「ッ、」
耳を甘噛みされて肌がびくりと跳ねる。全身はもうとっくにとろけはじめていて、南雲くんを欲しがっていた。
でも。
「あのね、南雲くん……」
「なあに?」
改まって名前を呼ぶと、南雲くんは私の隣へ移動した。腕枕をしてくれる彼に、本当は、このまま心まで預けてしまいたかった。
「私、」
もう、こういう関係は終わりにしたい。
たったそれだけ。たったそのひとことだけが言えなくて、結局口を噤む。南雲くんは私をじい、と見て、それから抱きすくめた。なあに、ナマエちゃん。もう一度訊かれても本心を言い出せない私は、おそろしく臆病だ。
「……もう一回、したい」
「……」
夏の夜みたいなまなざしに見詰められる。私が隠したい気持ちまでを、見抜くような目つきだった。だけど追及されることはなく。
「しよっか」
おでこに唇を当てられた。ちゅ、と甘いリップ音が響き、髪をとかれる。それはあるいは、私の虚勢が剥がれ落ちる音だった。
南雲くんがサイドテーブルの淡いランプを灯した。セックスのとき、彼はいつも電気をつけたがる。私はいつも隠したがって、そうすると南雲くんは笑って、全部見せてよ、と溶けたキャラメルみたいにどろどろの声で、甘く、囁くのだった。
また上になった南雲くんの、鋭角な鼻すじがささやかな灯りに照らされている。鮮烈な夏の陽射しから守ってくれそうな影のかたまり。黒色を味方につけた南雲くんに、囲われる。
南雲くんが目をうすく伏せた。私の唇を見詰め、頭を傾ける。鼻先がぶつかって、私も焦がれるように目を閉じた。
唇が触れ合う音はだんだんと激しさを増し、かわいいリップ音なんかじゃなくなっていく。
ぴちゃ、と鳴るそれが大きくなるごとに、さっきの女の子もこういうキスをするんだろうか、他にも会ってる子はいるんだろうか、とひどい嫉妬に縛られた。もっとくちづけてほしいのに、すぐさま胸板を押し返し、突き返したくもなった。
「ん、南雲くん……」
私の首すじにも口を寄せ、徐々に下がっていく頭。はだいろの部分に吸いついた南雲くんはつけたばかりの跡を見て、満足げに口角をあげた。そこをツとなぞられて腰が震える。
「……ね、もっとつけていい? いいよね、ナマエちゃん」
なにかを答える前に、弱く、強くも吸われてキスマークが増やされた。その合間にも身体じゅうをさわるようにされて甲高い声が止められない。
「あは……キスマークだらけだ。似合ってる」
南雲くんが上体を起こす。引き締まった体躯があらわになり、二の腕だとか脇腹だとか、胸もとに彫られたタトゥーがぼんやり見えた。
「……これじゃあ他の男とセックスできないね、ナマエ」
真っ赤に染まっているはずの痕跡をてんてんと辿り、南雲くんは低くつぶやいた。
私には南雲くんしかいないよ。私がしたいと思うのは、あなただけだよ。
そんなことは言えないまま、今夜もきつく目をつぶる。だけどまぶたをおろしても、そこには愛しい人の面影が浮いていた。私はやっぱり、南雲くんが好きだった。たとえ身体だけの関係であっても。南雲くんの世界に、私以外の女の子がいたとしても。
「南雲くん……」
好きだよ。私はあなたが大好きだよ。言葉にする代わりにきゅっと抱きつく。抱き返されれば淋しくなった。好きだよと、言ってくれたらいいのに。僕もナマエちゃんが好きだよ。きみだけだよ。と。
「……どうしたの? 今日は甘えんぼさんだね」
いいよ〜、いっぱい甘やかしてあげる。南雲くんはぬるい眠りにいざなうような、とろんとしたトーンで囁いた。私はそれが結局大好きで、うん、とうなずくと彼にますます抱きついた。胸のなかから他の女の香りがしてこないことだけが、いまはただ、救いだった。