ドカマウントを取らせていただく
20250727





 先週彼氏と、結婚についての話をした。左手薬指にある婚約指輪がきらりと光るたび、胸の底がくすぐったくなるんだろういう想像をめぐらせて眠る夜は悪くなかったし、ふたりしてどんな結婚式がいいかと語り合うのもとても楽しかった──んだけど。

「あ、いたいた。ナマエちゃー……じゃなくて南雲さ〜ん♡」
「……」

 まただ、と思ってげっそりと肩を落としてしまう。婚約だとか結婚だとかの話をした相手、南雲くんとは同業で、会社も同じだ。だから働いていても顔を合わせることが多い。あとはこんなふうに、名前を呼ばれたり。

「南雲くん……」
「なあに?」
「その呼び方はやめてっていっつも」

 言ってるのに、なんて言いかければ周囲から好奇の目で見られていることに気がつく。結婚がどうのこうのという話をした翌日から私が南雲くんに「南雲さん」と呼ばれだしたことで、お付き合いしていることが周知してしまったせいだ。向けられるまなざしのなかには純粋な殺意も入り交じっていた。南雲くんは、モテる。

「ねえ、婚約もしてないんだから普通に苗字で呼んで」
「普通に苗字、南雲じゃん」
「違うんだってば!」
「でも南雲さん呼びすると、周りに牽制もできるしマウントも取れるし、一石何鳥? って感じなんだよね〜」
「マウント取らなくていいから……」
「だめ?」
「だめ!」
「ええ〜ケチんぼ」
「なんとでも言ってください。私、まだ南雲さんじゃないんだし」
「まだ……ってことはいつかはそうなるってことだよね〜♡」
「なるかもね」

 つっけんどんに言えば、南雲くんはむっと口先を尖らせた。そうして私の横を陣取り、エレベーターを目指して歩き出す。

「もーつめたいなあ。じゃあいいよ、いままでどおりナマエちゃんって呼ぶから」
「そうして」
「ほんとにいいんだね?」
「いいよ……」
「わかった。ナマエちゃんがそこまで言うなら、ふたりのときはせめて名前呼びするよ」
「ふたりのときはむしろなんでもいいよ!」

 ナンデヤネン、とつっこみたい気持ちになったところにエレベーターが到着する。なかに人はいない、ふたりきりだった。
 スーツ姿の南雲くんはふう、とひとつ息を吐き、ネクタイを緩めた。ちらりと見れば首すじのタトゥーがあらわになっている。
 外から戻ったばかりなのか、かすかに浮かんだ汗が玉を作ってタトゥーの上に浮き、やがて伝い落ちた。南雲くんが夜、ベッドのなか以外で汗をかいてる姿は初めて見たかもしれない。

「なに? ナマエちゃん」

 視線に気づかれてしまった。脳内再生されるピンク色を追いやり、なんでもないと慌ててかぶりを振れば、南雲くんは「そ?」と前に向き直る。
 少し後ろにいる私からは長めの襟足と、片耳と、頬から顎にかけてまでのラインがうっすら覗けた。

「ナマエちゃん」
「なあに、南雲くん」
「いつか結婚しようね」
「へ……」
「いつになるかわかんないけど」

 南雲くんは相も変わらず前を向いたままだ。なにこれ、まさかプロポーズ? そんなわけ──。

「僕の苗字、もらってね」

 南雲くんがふり向いた。陰っていたエレベーターのなかに陽射しが射し込む。
 窓付近、奥にいる私を見るようにしてる南雲くんは順光の光を浴びている。そこにあるのは花が咲くみたいな笑顔だった。
 手が伸びてくる。私の髪を撫でつけ、毛先をとき、絡めて遊ぶようにして離れたかと思えば指の背で頬をすり、とさすられて目を細めた。私の大好きな、手つきだった。

「うん。もらってあげる」

 答えると、南雲くんはやったあ、と声を上げて笑った。その顔がひどく嬉しそうで、私はどうしたって幸せで、もうプロポーズはこれでいいかも、と、理想のされ方とは程遠いけどあんまりにも胸が震えたから、これが私たちの結婚の約束でもかまわないな、とさえ思った。



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