20250729
青空が広い日だ。
憩来坂商店街は今日も賑わっていて、どこを見渡しても行き交う人の姿ばかりだった。道端には多くののぼりが立てられ、頭上でも広告のためのフラッグが風を受けてそよいでいる。
生花店のなかから路面を窺えば、ざわめきに充ちていた。ひしめき合う人たちは、まるでひとつの大きなうねりのように思える。
「いらっしゃいませ」
バイトを終えて着替えが終わったころ、私の働く花屋にひとりのお客さまが訪れた。
首すじにタトゥーのあるその男性はブラックスーツを気込み、背中に大ぶりなジュラルミンケースを背負っている。彼、南雲くんは花屋の赤いひさしの奥から店内へと。
夏のひまわりみたいに背の高い南雲くんは他のスタッフと二、三の会話をしてからさらにこっちへとやってくる。陰った店内にいると、のっぽの影法師のようだった。
「ナマエちゃん、ひさしぶり〜」
「ひさしぶり、南雲くん」
とろけた甘ったるさをはらむ声は、耳にしっとり馴染む。
「いま終わったとこ?」
「そう。もしかして、なにか欲しかった?」
「ううん。ナマエちゃんに会いに来た」
スーツのスラックスに両手をさしこみ、南雲くんはひとこと告げた。開け放たれた入口の向こう、深い夏の青空をバックにして笑う彼は季節感から放り出されたみたいに爽やかで、清廉としていた。
南雲くんが背を丸め、こちらを覗き込むようにする。
「このあとってさ。なにか、予定ある? なかったらなんか食べようよ」
「私、憩来カフェの夏限定パフェが食べたい!」
「いいね〜。行こ」
にこり、笑みを深めた南雲くんが、私のバッグを持った。持ってくれるの? 聞けばうなずかれる。身長のある男の人と女物のバッグはどうしたって不釣り合いで、おもわず笑ってしまった。
「なにがおかしいんですか〜」
「ううん。ありがとう」
「いーえ」
バイト仲間や店長に挨拶をして外に出る。ひさしの下を抜け、並んだプランタースタンドの傍を行けば燦々と照る太陽に身を焼かれるみたいだった。
「ナマエちゃんさ」
「うん?」
「なんかゴキゲンだね〜。なにかあった?」
「……わかる?」
そわそわと浮ついていた気持ちが、余計くすぐられていく。私が少し背伸びをすれば、南雲くんは身体を傾けた。彼にこそこそ、耳打ちをする。
「実はね。彼氏ができたの!」
「は……彼、氏?」
「そう、初めての彼氏だよ!」
「ちょ……え、どういうこと」
南雲くんが足を止めた。私も同じようにする。と、私たちをよけるみたいに、ランドセルをしょった子供たちがきゃあきゃあと駆けていった。風船のはじけるような笑い声が通り過ぎていく。遠くで、蝉がわんわん鳴いている。
「……僕とごはん行って、彼氏さん大丈夫なの」
太陽が高い。逆光になった南雲くんはひどい蝉時雨のなか、立ち尽くし、でも汗ひとつかいてない様子で真っ黒な瞳をこちらへ向けた。
「大丈夫だよ。南雲くんは、仲の良いお友達だし」
「友、……そっか」
彼が一歩踏み出す。影が近くなる。そうして私とのすれ違いざま、それ、と言った。
「日傘。ささないの?」
「ささない。南雲くんといっぱいおしゃべりしたいから」
「……」
憩来カフェはこの先、憩来坂をくだる途中にある。ビル一帯がレンガ造りになっていて、みずみずしいグリーンのつたが絡む建物だ。目指そうと、歩き出せば。
「あっ」
南雲くんに、日傘も取られた。
「持ってくれるの?」
二回目、同じ問いかけをするとやっぱり彼は「うん」と口先でうなずいてみせる。
「南雲くんも一緒に入る?」
「いや、さすがにそれは」
「冗談だよ」
いつもからかわれてるから、ほんの仕返しのつもりだった。だけど南雲くんは怒りもせず、笑いもせず。最後までなんにも、言わなかった。
レンガ造りの建物に入ると、ブラウン基調にまとめられた店内が視界じゅうに広がる。
一箇所の壁は大きな黒板になっていて、メニューがチョークで手書きされていた。日替わりランチの文字は少し、はじっこがかすれている。
サマーパフェ、という単語を目にとめて案内された席に腰を下ろした。革張りのソファもダークブラウンの、しゃれたボタン留めがされているアンティーク家具だった。
「南雲くんはなに食べる?」
長テーブルを挟んだ真向かいにふたりで座る。座席は窓際の一角。ステンドグラスになっている窓ガラスからは、色とりどりの光がさしこみ、私たちの間に降り注いでいた。
南雲くんがスーツのジャケットを脱ぎ、傍らに掛けるころ、店員さんがメニューやおしぼり、水を置きに来た。透明なグラスのなかで、カラフルな光を浴びた水が揺らぎ、きらめく。
「ナマエちゃんはパフェ?」
「そうする」
「僕も甘いものにしようかな〜」
「じゃあ、違うもの頼んでシェアしようよ。半分こしよ」
首をかしげて見詰めると、南雲くんは「いいね」と答えた。
話に花を咲かせてるうちに届いたのは、マンゴーのパフェだった。オレンジなどの柑橘類や杏仁風味のジェラートも乗っかった、華やかなもの。
南雲くんのほうはこまかくカットされたフルーツが山盛りの、バニラアイスの乗ったブルーベリーパンケーキ。ふたりして甘味が好きなところが、仲良くなるきっかけだったことを思い出す。
「いただきます」
「いただきま〜す」
冷えたマンゴーは甘く、オレンジは甘酸っぱく、まろやかなフルーツソースは口当たりがいい。ジェラートも、ささっていたシガールもバイト疲れに効く甘さだった。
「おいしいねえ」
「ね〜」
もぐもぐと口を動かしながら目を細める。正面の南雲くんは近くの窓ガラスから射し込む陽光に照らされて、髪の色を普段より明るくさせている。それがなんだかとても、まぶしい。
「はい。ナマエちゃんのぶん」
ふたりしてスイーツを食べ進めていたところ、テーブルの上に皿が置かれた。取り皿の上にはミニパンケーキが出来上がっている。取り分けた南雲くんが、盛りつけたらしかった。
そこにはメインであるフルーツの、一番大きくみずみずしいかけらがいくつも添えられている。バニラアイスも、たっぷりと。
食べ終わる頃合いには西陽が傾きはじめていた。手もとが赤く染まり、夕焼けの色がたゆたう。
ドリンクのおかわりを頼み、なんてことのない雑談が一段落したとき。ずっと悩んでいることを相談してみようと意を決して、話題をそっと切り出した。
「あのね。南雲くんって……彼女いる?」
「僕? いないよ」
「作らないの?」
「……今はいいかな〜」
答えつつ、南雲くんはガムシロップを入れたアイスティーをくるり、とまぜる。
「いたことは?」
「むかーしね」
「その。聞いてもいい?」
声のトーンをひそめた。周囲に他のお客さんがいないことを確認するみたく辺りを見回し、また、南雲くんに向き直る。
「なあに?」
「……彼女がいたとき、お泊まりって、してた?」
真剣な面持ちをしていたと思う。私は文字通り、真面目に問いかけてたから。
「は?」
「えっと。彼女と、ひと晩中一緒にいたことある?」
「なんで。ナマエちゃん、お泊まりの予定が入ってるの?」
「うん……。でも、私、そういう経験なくて。彼氏の家に泊まる、とか……」
「……」
「誰かとちゃんと付き合うのも、初めてなくらいだし……。お泊まりも、ちょっと早いかなって気もしたんだけど」
「断ればいいじゃん」
つめたいトーンだった。彼氏とつきあってすぐお泊まりだなんて、軽率だと思われただろうか。
うん、と曖昧に答え、すべてを濁すように自分のアイスティーを飲む。
「ナマエちゃんは?」
「え?」
「したいの? お泊まり」
「……わかんない」
「だったら」
「ただ。……彼と過ごしてみたい、とは、感じる……」
カラン。氷がグラスのなかで音をたてた。場にそぐわない、軽快な音だった。
「ふうん……」
南雲くんがらメニューをひらく。空っぽになった飲み物の、次が欲しいのかもしれない。
「けど……不安なの」
ストローをいじる。口をつけるでもなく、うつむき加減に、目を伏せて。南雲くんの、視線を感じたままで。
「私、キスもしたことないから。ちゃんとうまくいくのかな、失敗して呆れられたらどうしよう、って。練習しようにも、動画……とか観てるだけじゃ、いまいちわかんないし」
「練習、ねえ」
「彼はいままでにも彼女がいたことが何回もあるらしいの。だから、その。なにもかも初めてってなると、めんどくさいのかな、とか……そういう話も、たまに聞くし」
「じゃあ、僕と練習する?」
「へ?」
はっきりとした声色で言われ、顔を上げた。南雲くんはネクタイを緩め、ワイシャツのボタンをぱち、とひとつはずして続ける。
「いや、男って案外あっけなく冷めるものだからさー。全部が初めてってだけで萎える奴もいるくらいだし」
「や、やっぱりそうなんだ……」
「そのうえセックスどころかキスも下手ってなるとどうだろうね」
「それは……」
「せっかくなんだし。ここで上手なやり方覚えておいたほうがいいんじゃない。とりあえず、キスくらいは」
「でも、」
「それで彼氏さん籠絡させて、……その言い方はだめか。ナマエちゃん以外無理〜♡ ってなってもらうほうが良くない、ってこと。僕、そこらへんの女の子に変装してあげるよ。そしたら浮気でもなくない?」
そうなのかな。女の子が相手なら、浮気じゃないのかな。相手が南雲くんでも。
「……南雲くんは、いいの? それで」
この人は、私の練習をするのに、本当につきあってくれる気でいるんだろうか。
「もちろん。それでナマエちゃんが幸せになれるなら、いくらでも相手するよ」
にこやかに彼は笑う。……南雲くんって優しい、他人の幸せをここまで応援できるなんて。
「ナマエちゃん。……僕今夜空いてるけど。どうする?」
夜色の、黒い瞳にジッと見詰められた。
「お……お願い、します」
答えれば、少しのあと、南雲くんはアイスティーの最後のひとくちを飲んで立ち上がった。まるで初めから帰すつもりなんかなかったとでも言うみたいに、私の日傘とバッグを持ちながら。
結局、何杯目かのおかわりはしないまま、ふたりでカフェをあとにした。