IV
二十一時過ぎ。
何件も入る着信に気がついてバーラウンジを出た。そうして折り返せば、相手はスマホの向こうで激高した。
リヴァイとはもう会いたくない。ほかにも女がいるんでしょう。今日の飲み会……部下のお祝い? も、本当かどうか。ねえ聞いてる? なんで黙ってるの。私のことどうでもいいの?! 私いま、リヴァイが今日の予定をすっぽかすからすごく傷ついてるの! すっぽかしたわけじゃない? そんないいわけ聞きたくない。部下との飲み会なんて断ってよ! ううん……いいの、ごめんなさい。私ね、本当はこんなこと言いたくてかけたんじゃない。会いたくて。リヴァイにひさしぶりに会えると思ってたから。このあと、会えるんでしょう?
電話口から聞こえ続けた言葉を反芻する。ラウンジに戻っても、金切り声はしばらくのあいだ耳に残った。
わかりきったことをピィピィ喚く奴が嫌いだ。あとはそうだな、さめざめ泣く女も好きじゃない。見た目がどれだけ良かろうと、興醒めする。何事にも耐え忍べ、我慢しろと言うわけではないが、たかだかセックスするだけの相手に入れこむのはバカげている。
通話したそいつも、最初は物分りのいい女だったはずだ。身体の関係は楽でいいとすら言っていた。ってのに、なぜ回数を重ねるごとに変わっていくのか。やればやるほど想い入れが強くなるのが女だというなら、男とはとことん真逆だと感じる。はまって抜け出せなくなるくらいだったら、ハナから身体だけの相手なんざ作らねえほうがいい。
そいつとはカタをつけ、番号は着信拒否に設定した。会わないでも指先ひとつで終わる関係、そんなのばかりを築いている自分に時々こうして嫌気がさす。
とはいえ、名前がつくような関係性をだれかと築くつもりはさらさらない。どこぞのクソメガネなんかは、俺を親友だと名指ししてくるが。……他人との繋がりなんつうもんは、どうせいつか途切れて終わる。永遠に続くんだと信じていても。たとえば死で。もしくは失踪で。信じて、置いていかれるのはゴメンだ。
「……足りねえ」
「え?」
「とでも言いたげなツラに見える」
気分が悪ぃ。ナマエの視線がうるさかったせいじゃない、さっきの女のヒステリーが、頭から離れないせいで。捌け口になるような、適当な女がすぐに欲しかった。飲み足りねえと嘘までこいて、ホテルのラウンジにのこのこついてくるような女……だとか。
「そんな、みっともない顔でしたか」
「みっともなくはねえが。まあ、気をつけろ」
なあ、そんなツラ晒してちゃ、お前、いまにとって喰われちまうぞ。
二十二時三十分。
「ごちそうさまでした」
「満足したか?」
上昇してくるエレベーターのフロアランプから、隣に立つ女に目を移した。ナマエも点滅する表示を見上げていたが、俺のほうに向き直る。顔は、赤くはねえが、いつもに比べて眠たげだ。
「……はい」
あからさまだな。不満でしゃあないと言いたそうな表情には、いじらしささえおぼえる。普段会社で見る姿からは想像がつかない一面だ。
「まだ満足いかねえなら、どこか行くか」
「え?」
エレベーターに乗り込む。外で突っ立ったままの女にあごをしゃくれば、ナマエも慌てて乗った。なかにいるのは俺たちふたりのみ。フロントのある二階を押すと、オレンジ色のネオン、数字が降下に合わせて減少していく。なんかのカウントダウンみてえに。
「ナマエ」
密室空間で、名前を呼ぶ。気配をこわばらせたのが手に取るようにわかった。横を向く。潤んだ瞳に、見つめられている。
「嫌なら帰っていい。どうするか、お前が選べ」
息を呑む音。こいつもガキじゃない、俺の言っていることの意味を、正しく理解したんだろう。
「私……」
エレベーターが目的階に到着する前に、向かいの口はひらかれた。
二十五時。
浴室で汗を流し、ホテルに備え付けのバスローブを羽織った。部屋に戻ると、行為のあとで寝落ちた女が起きていた。ベッドに寝そべったままこっちを見上げるツラは、部下の……っつうよりオンナのそれだ。暖色のランプがあちこちに暗い影を落としている。
「飲め」
水を手渡し、ベッドに腰をおろした。髪からひっきりなしに落ちてくる水滴が鬱陶しい、前髪ごとかき上げる。
「私も、シャワー浴びてきます」
「だったらこれを持っていけ」
と、女物のバスローブを押しつけようとしたが、ナマエは首を振って自分の服に手を伸ばした。その手首を掴む。肌はまだ少し汗ばんでいて、肌に吸いつくのが心地好い。
「帰っちまうのか」
裸の上体を隠すシーツをひっぺがし、組み敷いて、見下ろした。
「帰、ります、」
「明日の予定は。土曜だ、仕事はねえが」
「友人と夜、食事に」
「夜、か。だったらあと何時間かはいられるな……お前と」
肩にくちづける。首筋に張りつく湿った髪を直してやれば、小せぇ反応が返ってくる。唇を肩から鎖骨、鎖骨からさらに下へ。へそに舌先を入れると、職場ではとうてい聞けない声が上がった。
「課長……」
「ああ」
「きもち、きもちいい……」
「は。素直でいい」
肌が合う。こいつとやって、久々にそう感じた。いままでにも相性がいい奴はいたが、ここまでどろどろになるセックスはそうできない。
よかったところはほかにもある。ナマエはやる前に俺の気持ちを確かめようとしてくることもなく、ベッドのなかでも好きだと言わなかった。キスをせがむこともねえ。別の奴らと大きく異なる点だ。かなり酒が入っても通常時と大差を見せない、加えて無駄に甘えてくることもねえこいつを、俺のものにしてやりたい。違う野郎のモンでも構わねえが……覚えさせたかった。俺のやり方を、ナマエの身体に。
朝四時。
もう一度軽くシャワーを浴びたあと、スーツに腕を通す。寝ている女のことは起こさない。代わりにモーニングコールをセットしておき、メモとタクシー代をサイドテーブルに置いて部屋を出た。
俺はもともと、他人と眠ることができない。他人の体温、寝息、存在感、動き、すべてが睡眠の邪魔になる。女とホテルで会っても、女の家に行っても、ひどく疲れていても、眠気が強くても。行為が終われば、必ず自宅に帰った。神経質なんだと言われるが、どうしようもねえ、昔っからだ。
タクシーに乗車する。窓の向こう、足早に夜明けを迎えようとしている街のくすんだ青が、目に滲みた。腕を組んでうつむくと、ナマエの残り香が立ちのぼる。プライベートの連絡先くらい聞いときゃよかったか、と、いまになって考えた。
だが結局、二秒もすれば興味は失せ、どうでもよくなっていた。あいつもほかの奴らと同じ、眠れねえ夜の暇つぶしでしかない。いくら相性が合うったってどうせ飽きる。
いつもみてえに、きっとすぐ。