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 教師が出ていくと、教室が一気にざわつきだした。今日は朝っぱらからひとつの話題で持ち切りだ。

「ねえ、リヴァイくん聞いたよ。大丈夫?」

 横に立った女ふたり。適当に返事をして、授業の準備をする。あちこちから視線を感じるのは、こいつらが話しかけてきたせいじゃない。学ランの、詰まった襟が、いつもより苦しい。

「あたし心配で」
「さわるな」
「痛っ」

 ああ。やっちまった。強く振り払ってしまった。だが仕方ねえだろ、馴れ馴れしくされたら不快になる。肩にいきなりさわられたら。

「ちょっとー、せっかくこの子アンタのこと心配してんのに。さいてー」

 心配だ? 昨日までまともに話したこともなかったよな、俺たちは。友達でもなんでもねえだろうが。なのにいらねえ心配なんかしてくるな。

「あの態度もしょーがないって。だってお母さんがほら」

 ひそひそと、耳打ちするにしてはでけぇ声が聞こえてくる。
「可哀想だよね」「心配〜」「なにがあったの?」「知らない? あいつの母親が病気で」
 やめろお前ら、うるさくて適わねえ、頭がおかしくなりそうだ。

「まじかわいそ。不幸すぎ」

 教室の隅で、泣きはじめる奴がいた。
 無関係な人間の死を悲しんで泣ける、それは優しさか? 他人の死を語り尽くして疲れたあとは良く寝ていい夢でも見て明るい朝を迎えてくれ。二度と泣いてくれなくていい。どうせお前ら、俺の母さんが死んだことなんざ、今夜には忘れちまうだろうが。


 短く吸いこんだ息で、現実に引き戻された。まただ。また、ガキのころの夢を見ていた。久々にベッドで眠ったからかもしれない、これだから、横になって眠るのは好きじゃねえ。
 目もとを拭うと眼球が滲みた。涙でも出たのかと思ったが、汗をかいたらしい。部屋着を替えようと、ベッドを出る。自分の鼓動すら不愉快な目覚めだ。

 脱いだ服は洗濯カゴに突っ込み、キッチンでコップ一杯の水を飲み干した。それでも厭な乾きはおさまらない、寝室に戻ってスマホを取る。……ああそうだ、そういやナマエの連絡先を知らねえままだったか。いや、そもそもこんな早朝じゃ、連絡したところで寝てるに決まってるよな。

 リビングに向かった。ベッドで寝るのはやめだ、ソファに腰掛けたほうがよく眠れる。深く眠れば夢も見ねえ。
 が、眠気は完全にさめていた。うつむいても腕を組んでも目を閉じても、脳内が騒々しい。しかたねえ、休日朝のニュースをつける。ポップな色合いのスタジオと、やたら白い歯をちらつかせるコメンテーター、スーツ姿のニュースキャスター。
 線はぶれていく。ピントを合わせるのさえ、いまは億劫だった。ゆうべも確認したニュースが繰り返し流れる。朝イチのスクープが。週間天気予報が。そして話題は訃報に移った。結局テレビを消す。静寂。正面にある暗い画面の内側には、このリビングが鏡写しになっている。


 翌週、会社で別れた部下といつもの場所──シーナのセントラルホテルで落ち合った。フラストレーションをぶつけるような行為に没頭する。

「か、ちょう」
「……」
「あっ」

 逃げてえんだろう、身をよじるナマエの腰を、後ろから掴んで引き寄せた。甲高い、しかし苦しみ悶えるようでもある声がもれてくる。その全部を見ながら余計奥にねじこんでいく。なあ、手加減してやらねえとな。ああだができそうにない、お前に酷くしたくてしょうがねえんだ。

「こっち向け」

 髪を片側に寄せ、耳を露出させる。囁いて、歯を立てる。耳たぶに、次はうなじに、次は肩に。何度も噛まれて痛みを覚えたのか、こいつは俺の口先が肌に当たるだけで全身をこわばらせる。それでもやめることはしない。嫌がるどころか、反応を増すのがたまらねえからだ。仰向けにさせて覆いかぶさればツラはどろどろで、自然と喉が鳴った。

「……は、」

 クソ、だめだな、いい加減限界だ……俺も。


「おはようございます」

 朝。ひらいたエレベーターに乗りこむと、後ろからナマエが続いた。いっそ笑えるぐらい簡潔な挨拶をすませる。はたから見りゃ、ただの同僚に映るだろう。俺たちはゆうべも、ホテルで待ち合わせたってのに。


 昼。商談のあと適当に昼飯を摂る。
 手狭な定食屋の天井、角のあたりには神棚があった。古ぼけた小せぇテレビも置かれている。やけに絞られたボリュームで、なんてことのない番組が垂れ流しになっている。仕事のことを、とりとめもなく考えながら眺めた。
 定食に箸をつけ、三分の一程度食い終わったときスマホが震えた。ディスプレイに表示されているのは今朝方顔を合わせた女の名前。

「おつかれ。ああ、大丈夫だ。どうした」

 電話口の向こうで話しだす声は、どこか急いていて慌ただしい。なんかしらの作業をしている風景を想像した。朝イチに確認した社内ポータルを思い返す。こいつにはたしか、午後、一件の予定があった。念の為、いったんスピーカーに切り替えてスマホを確認する、が、緊急事態を報せる連絡は入っていない。

「ああ、あの薄らヒゲんとこだろ。お前今日そこに……資料の作り直しだ? えらく急だな。……ほう。で、間に合いそうにない、ってか。間に合う? ならいいじゃねえか、なにがあったってんだ。……バカ言え、お前が取りつけてきたんだろうが、俺が行ってどうす……吐きそうだと? 待て、落ち着け。いいか、落ち着けと言っている」

 用件は、ふたを開けてみりゃ泣き言だった。めずらしさについ声をひそめる。仕事にひたむきな奴だ、弱音をもらすときもあるが、飯にでも連れ出さねえ限り自ずと吐き出してくることなどない。業務上の相談はあっても。こんな電話をしてくるなんざ、よっぽど参っちまってるんだろう。
 とはいえ、だ。

「しゃんとしろ。できるできないじゃねえ、ここまできたらやるしかねえだろ」

 ナマエを甘やかすつもりはコレッポッチもない。俺がいなくたって、充分戦える女だ。しかしまあ……そうだな。

「お前ならやれる。だれがお前にイロハを叩き込んだと思ってる。そうだ、よくわかってんじゃねえか。サイアク……万が一しでかしちまっても、俺があとでフォローに入ってやる。だからとっとと腹括れ。いつもどおりのお前でいい」

 少しぐらいは、ケツを叩いてやってもいいか。
 ナマエの口調が冷静さを取り戻したのを確かめたあと、通話を終了する。
 奴は俺の部下で、俺は奴の上司であるのだと、あたりまえの事実を急に再認識した。……だらだらした関係性は、終いにするべきなのかもしれない、そろそろ。


 夜。ワイングラスを傾けた。目の前のテーブルにはツマミが数品。
 数日前、あのあと無事契約を獲ってきたナマエに、なにが食いたい、どこにでも連れて行ってやると言えば、所望されたのはマーレ料理専門店だった。初めて来たが、悪くない。

 グラスをおいて適当にネットニュースを読む。女の手洗いは長い。あいつも例にもれず、なかなか戻ってこなかった。
 今日一日で起こった出来事に目を通していくうち、ふと、このあいだの訃報が脳裏をよぎる。ニュースキャスターの悲愴的なツラと、数分と経たずに切り替わったスタジオの空気感。

知らない? あいつの母親が病気で

 俺の親も、すでにいない。唯一の肉親だといえた母親が死んだのは、俺が中学三年のころだった。火葬後、骨上げしながら死んだら遺るのはこれだけかと感じ、とたんに全部がアホらしくなったのを憶えている。どれだけ必死こいて生きたって、だれかを大事にしてみたって、燃やされればただの骨だ。死はそこそこあっけない。人との繋がりは永遠には続かねえものなんだと、あのとき実感した。俺を引き取った、伯父が蒸発したときもだが。

不幸すぎ

 だが、過去に聞いたその言葉にすら、いまは腹立たしさをおぼえない。憐れまれるのが嫌でしゃあなかったあのころは、俺も相当ガキだった、っつうわけだ。
 個室のドアがスライドした。戻ってきた女が席に腰掛けるなり、店内のBGMが変わる。

「あ、この歌」

 ナマエが天井を軽く見上げた。俺も同じようにする。知らねえ歌が、流れている。

「好きなのか」
「はい。この歌を歌っているバンドが。シガンシナ出身の幼馴染三人組で、まだ若いんですけど実力派で。今度、映画の主題歌もやるらしいんです」

 小さく笑い、浮かれて話す姿を初めて見た。そういえば俺は。こいつの好きなモンを、いままではほとんど、聞いたことがなかったな。

「映画、か」

 ワイングラスに目を落とす。知り合いのクソメガネが、職業柄、どこぞの招待券だとか試写会のチケットだとかをもらう、と言っていたことを思い出しながら。






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