03


「You're jolly late,Bourbon!(遅いわよ、バーボン!)」
「Sorry,You're an early riser.(すみません、貴方は早いですね)」


 昨夜と同じ車に乗り込むと跳んできたソプラノの声に苦笑を張り付けて返すと、彼女は舌を打ち「早く出して!」と声を上げて懐から煙草を取り出した。英国では一六歳で煙草を吸えるし、女性の喫煙者も多い。しかし彼女が十六歳に見えるかと問われればそれは否である。日本人より大人びて見える外国人だとしてもせいぜい十歳ほどか。それにここは日本であるし、と考えたところで犯罪組織の一員に云う事でもないと笑った。そう考えてしまうのは仕事柄、でもあるが、やはり彼女が裏の人間のようには見えないせいである。今日も変わらず上品なフリルのワンピースに身を包み薄手の黒いコートを肩に掛けている。髪は一つに纏め赤いリボンが飾られたポニーテイル。何度見てもショーケースに飾られた人形のようにしか見えない。その彼女が紫煙を燻らせている姿は、どうも現実から遠く離れちぐはぐなお伽噺を見ているいるようだ。


「Don't stare at me! (ジロジロ見ないで!)」


じろりと鋭い視線を送られ軽い口調で謝罪し彼女に倣って外の風景を見た。その表情にしっかりとした怒りの感情をみて、人形ではないな、と馬鹿らしい感想を抱いた。







 車が止まったのは首都にある大きなビルだった。「あなたは待っていて」という言葉と共に車を降りて行った彼女の背を慌てて車から降りて追いかけた。半歩後ろを歩く黒服の男がこちらに視線を送ってきたが「アリス」と声を掛けると彼女は横目でこちらを見やり「勝手にして」と口を開いた。胸中でほっと息を吐いて気を取り直し、辺りを見回した。普通のビジネスビルのように見えたが職員と思わしき制服に身を包んだ者がアリスに対して綺麗な礼をしているのをみて、エンフォード家の持つビルではないかと見当付けた。エントランスを抜け十数人は入れるような巨大なエレベーターへ乗り込むと男が行き先を決める階数ボタンを押していく。2階、5階、1…「バーボン」彼の手元を隠すように視線上に上品なフリルタイがうつる。彼女へ視線を向けると、上手く身体を滑り込まれたせいで操作がわからないままエレベーターが静かに動き始めた。外の見えるような窓はなく完全な個室であるが、浮遊感からして地下へ向かったことがわかる。先ほどのは裏コードなのだろう。こんなビルにそんな設備が。


「普段はピムスでいいの。わたしが云った時だけ、アリスの名前で呼んで」
「ああ、わかりました」
「彼も組織の一人なの。あの家に居たのも、全員」
「じゃあやっぱり、ここではアリスと呼ぶべきじゃ?」
「名前を呼ばなくてもいいように、云う事を聞いてほしいわ」


運転手役の男はこちらの存在など感じ取れていないかのように扉をじっと見つめ微動だにしない。肩を竦めてみせるとベルのような音が響きエレベーターの扉が開いた。
 昨夜は一通り館内を案内されそのまま自室へ送り届けられた。扉の外の気配が遠ざかっていくのを確認し、部屋の中探る。ホテルのスイートのようだが、カメラはないものの盗聴器が仕掛けられている。しばらく連絡はメールだな、と算段をつけ荷物を降ろした。ここまで案内した男は無駄口を叩くことなく、最低限しか話すことはしなかった。いくつかの質問を投げかけたが返答がないことを確認すると自分も口を開くのをやめ、大人しく案内されることに専念したのだった。
 常に幾人もが警備している所をみると、彼女は幹部の中でも相応の地位にいるのだろう。それか、彼女自身が抵抗する力の持たない非力な存在か。肩に掛けたコートに銃程度のものは所持しているだろうが、室内ですらこうもぴったりと付き人がいるのを見ると”非力なピムス”が濃厚である気がした。


「昨晩は良く眠れたかしら」
「お気遣いどうも。少し落ち着きませんでしたが、よく眠れましたよ」


 彼女は薄暗い廊下を進んだ先にあった部屋へ入り、壁一面に設置された複数のモニターと携帯端末を交互に忙しなく視線を動かしている。背中を見つめている体で視線だけを動かしモニターを横目で覗きながら軽い口調で返答しつつ情報収集を行う。英語や仏語、ロシア語などの複数の言語が使われているようだった。携帯端末から顔を上げこちらをみるピムスがにやりと口角を上げ笑う。


「任務よ。今晩0200に動くわ」
「どちらへ?」
「まだ、秘密。裏切り者の始末ですって」


端末の光に照らされた彼女の顔に陽光の下に居るような白さはなく、青白い光に晒されアンドロイドのような作り物のように見えた。しかしその瞳にはしっかりとした意志が疼いているように見える。――「貴方との初任務だ、楽しみにしておきます」得意の笑みを張り付けて返すと彼女は面白くなさそうに目を細めモニターへと向き直った。



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