05

 食事はホールに来るとコックコートを着た初老の男性が運んで来てくれる。一人暮らしでは多忙さも相まって特に朝食は手軽に済ませてしまう事が多く、何もせず食事が出てくるところはピムスと行動を共にするようになり唯一感謝したことだった。今日の朝食はエッグベネディクトのようだ。焼き立てと思われる柔らかいイングリッシュ・マフィンのうえに食欲をそそる香りのベーコンと艶やかなオランデーズソースが鮮やかだ。ポーチドエッグにナイフをいれればとろりと黄身が零れる。うん、美味しい。家主のピムスが英国人故か食事は洋食のほうが多く、少しだけ和食が恋しくなるものの、レストランで食べるような食事に文句はない。


「Hi,Bourbon.You alright?」
「おはようございます、ピムス」


朝食を堪能していると、いつもの運転手が開けた扉からピムスが現れた。今日の彼女は黒いフリルのワンピースに身を包みシルクのリボンタイが胸元で眩しい白を放つ。緩く巻かれたペールブロンドの髪が黒地の衣装の上に主張しベルモットを――否、組織の人間を彷彿させる。


「今日も任務ですか?」
「いえ、今日は特に予定はないわ。あなたも好きにしていていいわよ」
「それにしては随分と気を使った服装ですね」
「あなたも忙しいのでしょう?色々と」
「いえ、組織からは貴方と共に、という任務しか受けてませんし、命は貴方を通して伝えると聞いてますから」
「疑われるのが嫌なら、貴方が1から10まで疑うことはやめることね」

引かれた椅子に座りながら疲れるだけよ、と彼女は答えた。情報を欲している身としては、組織内の情報を積極的に集めている自分にその存在が欠片も入ってこない彼女を調べることが当分の目標となっている。彼女には少なからずそれが伝わっているのだろう、煩わしく感じているのは当たり前だ。しかしこの貴重な機会を逃すわけにはいかない。ベルモットとは行動を共にすることが多いが彼女は秘密主義だ。そして探る相手としては些か面倒な相手となる。幼い分ベルモットを相手にするよりは比較的にやりやすいだろう。


「組織の命に従うだけですよ。貴方と共にいる、という命にね」
「…そういう事にしておいてあげるわ」


ティーカップに口を付けた彼女の視線が僕に向く。色素の薄い睫毛が瞬き口元には笑みを零している。ただ特筆すべきことといえば、彼女が年相応の振る舞いではなくとても大人びているということだ。家ぐるみでの癒着があるのならば、幼少期からこちらの世界に浸っていると考えていい。陽光の下で大人に守られて育つ子供とは根本が違う。更に子供が相手とはいえ、彼女には何人ものボディーガードが付いているし全員を相手にするとなると少々厄介である。幹部とはいえ始末――”口を閉ざすこと”に成功すれば組織にはどうとでも云えるが、自分が無傷であることが条件となると厳しいだろう。食事に手を付け始めた彼女のあの小さい頭の中では何を考えているのか、それを推測するにはまだ情報が不足している。







(あの車は…)


 食事を終えた彼女は実りのない会話はしない主義であると告げ早々にホールを後にし私室に戻っていった。追いかけようにも例の運転手が眼光を鋭くして見てくるもので、渋々と自分も部屋に戻ったが、微かに聞こえたエンジン音に窓を覗くといつもと変わらない黒塗りのセンチュリーロイヤルがエントランス前に止まっている。ナンバーも同じだ。ピムスは出掛けるのだろうか。手早く上着を手に取るとエントランスへと向かった。


「置いていくつもりですか」
「プライベートよ、貴方が来る必要はないわ」
「ボディーガード代わりですよ」
「ボディーガード?フフ、無駄な努力だけれど、ご心配ありがとう?」


ピムスを車に案内した男が運転席のドアを半分開けてこちらを見やったが何かを云うことなくドアを開け乗り込んだ。煙草を燻らせながらスマホを操作していたピムスがこちらをみて口を開いたが降りろという拒否はない。今度こそ運転席に座った男がバッグミラーでこちらの様子を確認すると問題なしと判断したのか、静かにアクセルを踏み込む。


「日本にご友人でもいるんですか?」
「友人ねえ…」


鼻で笑うように曖昧な言葉であしらわれるとその後の返答はなく手元に集中している。回答は期待できないな、と自分もスマホを操作し始めた。
 1時間ほど走ると昨夜見た風景であることに気が付いた。クリスと呼ばれた裏切り者の男たちを始末した場所だ。何かやり残したことでもあったのだろうか。車が止まると開けられたドアからピムスは無言で降りていく。その手には助手席に置いてあったのだろう、運転手の男が手渡した花束を持っている。黒い服に身を包み、手には花束。もしかして…。スマホを手にし車の外に立つ男に倣い自分も車から降りる。


「What is she doing?(彼女は何を?)」
「Same as usual.(いつものことだ)」


彼はそれ以上口を開く気はないようで、一瞬だけ交差した視線は再度スマホに向いている。仕方なく彼から聞き出すことは諦め彼女の背を追う。


「いつもこんなことを?」


既に踵を返し戻ろうとしていたピムスの正面で歩を止めた。花束は倉庫前の地で横たわっている。そう、まるで手向けのように。この光景を、見たことがある。こびりついて落ちない、忌々しい記憶。思考を巡らせて蘇るのはスコッチ――あいつの死に場所だ。清明に思い出すことができる。あの出来事のあと、ただ一度だけ足を運んだ時、確かに今に似た光景を見た。


「命は平等にあるべきよ」


その命を簡単に葬った人間とは思えない口調だった。静かに、しかし何かが渦巻く気配を感じる。「ならば何故?」思わず出た言葉に自分自身驚いた。ただ、今回葬った彼らのことだけを指しているのではないと感じ取れた。一方で、その言葉を聞き怒りのような感情が芽生えた。少なからずあいつを重ねている。ついこの間のように思い出せる、無理矢理閉じ込め、己の力へ、復讐という形へ昇華しているあの忌々しい記憶が鮮明に呼び起こされてしまった。


「貴方は殺すことに躊躇いがなかった」
「代償は受けるべきよ。裏切りには制裁を、その通りだと思うわ」


不自然にならないように繋げた言葉に彼女は迷いなく己の見解を口にした。しかしどこか、云い聞かせているようにも感じる。否、そうあってほしいと幼い少女に抱く思いが見せている幻想だろうか。馬鹿馬鹿しい。人から離れた美しさを持つこの少女も、所詮はただの人殺しで、犯罪者だ。


「信頼なんて、この世界ではゴミクズのようだから」
「自分が死んだ時、そうして欲しいんですか」


口角を上げて言葉を紡ぐ彼女に思わず八つ当たりのような言葉が出る。振り返れば大人げないことを口にした。しかしその時、彼女は確かに傷付いたような表情を見せた。それは一瞬で、瞬きの間にはもう消えていた。返答は得られずそのまま横を通り過ぎていく彼女の背を追いかける。幻か、現実か、確認する術を持たない。



160614


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