06

 手渡したペットボトルの紅茶を口にしたピムスが溜息を零す。「早くホームに帰りたいわ…」たかが120円のペットボトルに詰められた紅茶に、いつも口にしている高価な紅茶の味を求められても困る。苦笑して誤魔化してみても、彼女も僕も互いに視線を交差させることなくただ一点を見つめている。
 いつもの朝食時、甘いバターの香りが食欲をそそるベイクドビーンズをトーストにのせて頬張っていると( 今日はスタンダートなイングリッシュ・ブレックファストだ )任務だといってワンピースに身を包んだピムスが現れた。唐突な任務はいつもの事だと既に割り切れていたが、どうやらいつもの任務ではないらしい。その身を包むワンピースは運転手つきのセンチュリーロイヤルを足にしているような子どもの格好ではなく、街中を歩く普通の子どもが着ているようなものだった。「そうゆう洋服も良いですね。可愛いですよ」「10分後に出発するわよ」発言は可愛いからは程遠い。しかし彼女とは多くの時間を共にしているせいか”慣れ”始めている。他の組織の人間と共に行動することはあったが、ここまで四六時中共に居たことはない。そのせいか、それが彼女の容姿のせいなのか…否、彼女に近付こうと努力している自分がいるからだろう。先日の一件のことはまるで初めからなかったかのような彼女の態度も要因の一つ。別に自分が絆されているわけではない、彼女の行動や発言パターンを大方理解したということだから、悪い事ではない。誰にするわけでもない言い訳が胸中にひしめく程度には、絆されているのかもしれないが。

 こうして連れて来られたのは街中に点在する森林公園の一角だった。休日とあって子どもも多い。木陰のベンチを陣取りきっちり一人分のスペースを空けて二人並んで座っている。


「それにしても、こんな日のあるうちに、こんなところで…その情報正確なものなんですか?」
「知らないわよ。ジンからのお達しだから、やるしかないでしょう」
( やるしかない… )


その言葉に絶対的な上下関係を見て取れた。この大層な態度の少女でも、あの悪人面を向かい合わせればそこには見た通りの力関係が出来上がるらしい。
その整った顔にちらりと視線を向けていると、ボールを追いかける子どもたちがベンチの前を横切っていった。それなりに気温も高く日差しはこうこうと照りつけているものの、子どもたちは元気に走り回っている。それに比べ彼女は大きな白いハットを被り隣には黒いレースのついた上品な日傘。日差し対策は万全のようだ。浮いてしまうことを自覚しているのか、渋々と折り畳まれた傘を名残惜しむように手元に置いている。( 十分浮いているけどな )ワンピースの裾から伸びる足は日焼けを知らないように白く、地面に届かず宙に浮いているもののその両脚はぴったりとくっつけられている。洋服を見繕おうとも、仕草は隠せないものらしい。


「あなたは遊ばないんですか?息抜きにボール遊びとか」
「冗談でしょう」
「逆にこうして座ってのんびりしてるほうが不自然な年齢だと思いますけど、あなたは」
「その私の隣に座って何もしていないあなたも、なかなかよ」
「こうしているのも暇ですし、その情報の信憑性、僕は調べられますよ」
「余計な行動はしないほうが、身のためよ」


彼女がこちらへ向き「帰っていてもいいわよ」無表情で冷たい視線を送ってくる。その額に浮かぶ水滴の一粒を見て思わず、汗かくんだな、と新しい発見をしながら肩を竦めて見せると、何かを感じたのかぴくりと反応をし視線が向こう側へと帰っていった。追って自分も視線を向けると、無難な私服に身を包みアタッシュケースを持った中年が大きな木の木陰に立っていた。


「思いきり怪しいですね」
「堂々としすぎね」
「おや、珍しく意見が合いますね」


返答はなく、彼女はそちらを見つめている。ある程度の距離があるため注視していても普通の人なら気が付かれることはないだろうが、相手が警戒をしていればこちらを不自然に思うこともあるだろう。一般人を装っているもののその程度のことは彼女も理解しているようで、対交線から現れた私服の男が現れるとこちらに顔を向けながらペットボトルの蓋を開けて口をつけた。


「あの男は随分警戒しているようですね」
「そのようね」


会話をしているように装いながら向こうを伺うその仕草は、僕から見ても文句なく完璧にこなしている。こういったことは慣れているようだ。自分も同じようにしながら監視を続けていると少し会話を交わした男は相手の男に手渡すためだろう、アタッシュケース足元に置き去りにし踵を返していく。


(…あ)


残った男は何かを考え込むように顎を触ったあとスマホを弄り始めた。何かのヒントにならないかと手元を注視しているものの、さすがの距離に得られるものはなさそうだ――そして不意に、男の視線がこちらを向いた。バレたか?どうやり過ごすかと策を脳裏に巡らせていると僕の裾が小さい手に引かれる。


「ねえ、兄さん、あれを見て」
「え?」


その手の正体はピムスで、僕の裾を摘まんだ反対の手は男の方向の――手前にある、木に引っ掛かった風船に向いていた。その麓には彼女と同い年くらいの子供が飛び跳ねている。


「兄さんなら、とれるでしょう?」
「ああ、もちろん」


首肯し立ち上がるとピムスが今度は両手を広げこちらを向けてくる。すぐさまその意図に気が付き男から彼女を隠すように背を向けて立つと表情は変わらずともいつもの声色で口を開いた。


「勘の良い人ね」
「向こうの監視がいるのでは?」
「周辺の状況は監視させてるわ」


両手でピムスの脇に手を当てベンチから降ろしてやる。もちろん彼女は自分の乗り降りができるが、万が一こちらの唇の動きが見えている場合のための保険だろう。彼女の容姿を生かした良い案だ。そしてその軽さに改めて子供であることを実感し、目眩がしそうだった。


「それにしても、可愛いことを云いますね」
「黙りなさい”兄さん”」


傘とペットボトルを手に風船のほうへ小走りに寄っていくピムスを追いかけていく。男はこちらを見やったり、スマホを確認したりと忙しそうに視線を動かしている。警戒心はあるようだが動きに慣れがない所をみると、彼の力量も知れたところだ。


「あの風船、きみの?兄さん、届く?」
「まかせて」


今にも泣き出しそうな女の子が首肯するのを見て、僕に視線を向けた。子供にとっては壁の上にあるように感じるだろうが、余裕で届く範囲だ。引っ掛かった風船を取り渡してやろうと彼女たちの方を向くと、ピムスの持っていた高価そうな日傘は青い草の上に横たえられ、その手は女の子の手を握り締めていた。


「はい、これだね」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
「よかったわね」
「今度は気を付けるんだよ」
「うん!」


手を振って走っていく彼女に手を振って返していると「戻るわよ」と囁くようなピムスの声が届いた。背後に男はまだいるようだが、目的はあの取引の確認であったのか、これ以上怪しまれないようにするためか、任務内容を知らない自分には判断することができない。日傘を拾い歩き出したピムスに着いていこうとすると、背後の気配が近付いてくるのを感じた。


「やあ、君たち、俺の落としたハンカチ、見てないかな」
「…ハンカチですか?どういった物ですか?」
「青いハンカチなんだ」


背後を振り返ると対象の男だった。その手にはアタッシュケースが握られている。そんなものを片手に、足音も立てずに背後に寄るとどう考えても怪しまれるぞ、と胸中で男に呆れながら考える素振りをしていると、今度は片腕にピムスが抱き着いてきた。


「おじさん、誰?ハンカチなんて、みてないよ」
「悪い悪い、さっき、俺の方を見ていただろう?だから知ってるんじゃないかと思ってな」
「風船は見てたけど…おじさんは近くにいたの?」
「ああ、あそこの木の下にいたんだ。影になってたかな」
「そうなんだ。おじさん、恥ずかしがりやさんなんだね」
「いやぁ…はは」
「すみません、この子の母親が待ってるので、もう行かなきゃ」
「ああ、そうかい…すまないね」
「いえ」


はやくママのところに行こう、とぐいぐい腕を引っ張ってくるピムスに苦笑を零し引かれるがまま歩いていく。男はしばらくこちらに視線を向けていたがしばらくするとそれは外れた。


「こうゆうの、慣れているんですね」
「子供のフリ?」


誰がどうみても子供にしか見えないが――そんなことを口にすれば彼女の気分は急降下するだろう。しかし抑えられない笑いを零せば、彼女は僕の腕を掴んだままじっとりとした目でこちらに視線を送ってきた。



160820


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