07

――アリス・エンフォード <コード>Pimm’s
イギリス・ロンドン出身。エンフォード家令嬢。
八年前、当時エンフォード家当主夫妻が事故死。当時夫妻は化学者でありながら優秀な経営者であり、化学・医学・薬学を中心に経営する会社を更なる拡大へと導く。死後、一人娘であるアリス・エンフォードが当主・経営者となる。――

部下から送られてきた調査書を眺めながら、生粋のお嬢様である彼女に視線を投げた。美しい装飾の芸術品であるティーカップを片手に筆を進めるその所作は彼女の生まれや育ちを狂いなく表している。名門パブリック・スクール卒業後、英国内の最優秀大学を飛び級し学年首位での卒業。輝かしい経歴は正しく上に立つべき存在。しかし彼女はどうみてもまだ子供だ。詐称経歴なのか?それとも別人が成りすましているのか。疑うのはいくら資料を漁っても彼女の写真一枚でてこない事にある。戸籍なんかはいくらでも偽装できるし、生まれや育ちを証明する両親は事故死の天涯孤独。疑うなというほうが難しい。


「暇なら帰ってくれるかしら」
「はは、貴方のその似合わない姿が可愛らしくて」
「クライヴ、彼に紅茶のおかわりは不要よ」


艶のあるデスクに手を置き柔らかな革のオフィスチェアに体重をかけて身体を伸ばす彼女。パチリと開いたその瞳には確かに強い責任感や意思を秘めている。――夕方、エンフォード家のオフィスビル。電話やペン、キーボードに忙しなく手を移していた時間は終わったようだ。今日もいつもと変わらず運転手の男が付き人として彼女のサポートをしている。初めて名を聞いたが、クライヴというらしい。彼女の椅子を引き立ち上がったことを見届けると次は部屋の出入り口へ。扉の前で待機する姿は一寸の狂いもなくそれが当たり前であることを主張している。自分もソファから立ち上がりアリスの前へ手を差し伸べた。


「お疲れさまでした」
「…貴方の興味を惹きそうなものはないわ」


予想通りその手に何かが触れることはない。すぐ傍を通り過ぎていく小さな背中にありきたりな反応を返しつつ、それを許可だと認識しデスクの上に重なった書類を覗き込む。企画書、税金書類、経営方針書…。扉の開く音が聞こえて慌てる素振りをみせてその後を追っていく。書類に大した興味はないが、彼女へ繋がるものならば、意味は大きく違ってくる。歩に合わせてゆれるペールブロンドを見つめていると、不意に強い視線を感じ顔を上げた。――クライヴ。英語の発音からすれば彼も英国人だろうか。屈強な体格に鋭い眼光。微笑みを貼り付けて首を傾げて見せるが、何か云いた気に眉間に皺を寄せただけで、すぐ彼女へと視線を戻していった。いつもなら、彼女しか目に入っていないといった態度であるが、少々気になる様子だ。話しかけようと口を開くと被せるように彼がアリスと会話を始めた。一体なんだったんだ、あれは――。







「それで、この恰好は一体?」
「似合っているわよ」
「ありがとうございます。貴方もいつも以上に素敵です」


そのネックレス、随分高価そうですね、とは言葉にはしなかった。煌びやかな宝石は本物だろう。そして自分の身を包むものもまた。曇りのない白で構成されたスーツ、重みのあるタイピン。ある程度のグレートは身だしなみとして必要不可欠ではあるが、彼女の家柄を考えれば桁が違ってくる。同じ様に白に包まれたアリスはスマホを確認し、いつも通りの黒服のクライヴは眉間に皺をよせている。


「時間ね。行くわよ」
「はあ…」


説明もなくスーツを渡され着替えさせられ、高級ホテルのパーティー会場へ。何度つついても目的を口にすることがなく”パートナー”は進んで行った。

 満月を背に、シャンパングラスを片手に。「待て」の任務を遂行中。彼女からの言い渡された任務はジンやベルモットとは比較できないほど楽な内容である。信用できないがための任務なのだろうが、これでは逆効果だ。仕事を与えられない時間は情報収集に充てるのにうってつけだ。説明もなく連れてこられたこの会場にはどうやらエンフォードの”経営者代理”として来ているらしい。聞き慣れない名前にその美しすぎるドールフェイスは微笑みを浮かべて返答する。軽く調べると、アリス・エンフォードの親類にあたる者の名前だとされていた。偽装された相手とは知らず、立派なスーツの男も宝石を携えた女も一回りも二回りも違う少女へ好意的な笑みと台詞で挨拶を掛けていた。彼女の周囲には人だかりができているが、会場内は「エンフォード家の…」という話で持ち切りだ。あれも彼女の顔のひとつなのだろう。こうなってくると、彼女が本当にアリス・エンフォードであるのかも疑わしい。犯罪組織の幹部である”ピムス”に乗っ取られたとも考えられる。それならば、本物は…。嫌な考えが脳裏を過りグラスを持つ手に力が入る。


「なにを考えているのかしら」
「……貴方までいるなんて」


その声に顔を上げれば、思った通り――ではなく、見覚えのない姿の女。深紅のドレスに身を包み、不敵な微笑みを浮かべるのは十中八九ベルモットだろう。グラスを持ち上げられ、誘われるがままグラスを重ね合わせると「Hi,bourbon.」とメゾソプラノが鼓膜を揺らした。銀幕スタークリス・ヴィンヤードの姿ではなく、コーラルレッドのショートヘア。ワインレッドの唇を薄く開き彼女は思わずといったように笑いを零した。


「じゃじゃ馬に付き合わされているようね」
「可憐なお姫様のエスコートなら嬉しい限りですよ」
「お姫様…ね」


彼女の視線がピムスへと向く。ピムスもまたその視線に気が付いたのかこちらに視線を寄越した。装飾品の光る手をヒラリとさせたベルモットに倣い、笑みを送ってやればピムスは反応も表情を変えることもなく会話へと戻っていく。待てと命令されたペットの真似事をしてやればよかったか。表情がなくともピムスが”気に入らない”と訴えているのがわかった。


「程々にね。絆されると火傷するわよ」
「火傷?まさか」


そう返した俺の目をみたあと、ベルモットは再びピムスへと視線を戻した。そこに浮かぶのは嘲笑、嫌悪――そんなマイナスな感情が手に取れた。それにしては、優しく、慈悲を感じさせる声で言葉を紡ぐ。そんな魔女はヒールの音を響かせながら歩きだした。


「A sleeping child looks like an angel.(眠っている間は天使ね)」
「それはどういった…」


こちらの言葉は最後まで聞かず、自分の喋りたいことだけ吐いて遠ざかっていくベルモット。これ以上会話を続ける気はないのだろう。どうもこちらの社会に生きる女は自由のベールが好きなようだ。彼女の囁いた言葉を復唱し鼻で笑った。容姿は別として、天使とはかけ離れた子供だ。しかし、眠っているとは、どうゆうことなのだろうか。


180428


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