06

あれから降谷からの電話はないけれど、一度安室くんとはポアロで話す機会があった。私と安室くんの会話はこれまでよりも確かに柔らかくなったものの、それは他人の目で見れば分からないほどのものである。それでもこの前までと違い、今の私は安室くんと友人であるとこともなげに言うことが出来る。

「でも光彦くん、すぐ元気になってよかったね!」
「ほんとだぜ!犯人のやつらもひでーことするよな!」
「凍え死んじゃうかと思いましたよー…」
「っとに、安室さんが来てくれて助かったぜ…あっ」

そして今日、訪れたポアロはいつもより賑やかであった。テーブル席で、椅子に座れば地面から離れるその足をぷらぷらさせながらお揃いみたいにオレンジジュースで喉を潤している小学生たち。
その中の一人に、見覚えのある男の子がいた。その男の子も入り口のベルを鳴らした私を見つけて声を上げる。

「お姉さん、久しぶりだね」
「久しぶり、コナンくん。梓さん、私アイスコーヒーお願いします」
「春さんいらっしゃい!すぐに持って行くのでお好きな席へどうぞ」
「はーい」

もうお決まりのようになっている一番端のカウンター席に向かおうとすると、来ているニットの裾を下からちょいちょいと引っ張られた。

「ねーねーお姉さん、一緒に座ろうよ!」
「え、でもコナン君、お友達と…」
「お姉さん、コナンくんのお友達なのー?」

コナン君の提案に戸惑っている私は、あっという間に彼のお友達らしき子供たちの興味の的になり、あれよあれよと言う間にその輪に引き込まれる。

「蘭姉ちゃんの学校の先生してる人なんだ」
「わあー!先生なんですか!」
「すげえー!」
「お姉さん、こいつらがこの前話した少年探偵団のみんなだよ」
「そうだったんだ!探偵なんてすごいねえみんな」

この間話してくれた事、本当だったんだ。無垢な笑顔を跳ね除けて別の場所に座ることなど出来るはずもなく言い出しっぺのコナン君と、なんだかやけに整った顔の女の子の間の席に腰を下ろせば、少年探偵団のみんなの自己紹介がはじまる。コナン君は言わずもがななので省略されて、元太くん、歩美ちゃん、光彦くん。ぐるりと一周した最後、いまだ口を開いていない美少女に視線が集まる。

「…まず自分が名乗ったらどうかしら?」
「オイ灰原、」
「あっ、確かにその通り。ごめんね。高階春です。」
「じゃあ春おねーさんだね!」
「うん、そう呼んでくれると嬉しいな」
「……灰原哀よ」
「よろしくね、哀ちゃん」

灰原哀ちゃん。雰囲気に違わず名前までミステリアスである。
区切りのいいタイミングで梓さんが出してくれたアイスコーヒーで喉を潤していると、コナン君がこちらを見ながら口を開いた。

「春さんは安室さんとも知り合いなんだ。ねー?」
「ははは…そうだね…。」

コナン君のにっこりした笑顔になにやら裏を感じ取って空返事になってしまったけれど、子供達は特に気にした様子はなかった。ただひとり、哀ちゃんだけには少し距離を取られてしまったけれど。安室くん、一体この子達に何したの…。

「俺たち、こないだ安室のにーちゃんに助けてもらったんだぜ!」
「もしかして、さっき話してた…?」
「歩美たちね、冷凍庫に閉じ込められちゃったんだけどね、安室さんが助けてくれたんだよー!」
「え、冷凍…ええ?」

平然と口にされた言葉に一瞬理解が追いつかない。それは立派な殺人未遂事件である。それを大変だったねー、なんてまるで勉強の話みたいに話し合う子供達にあんぐりと口を開けることしかできない。米花町はたしかに事件の多い町だと思うけれど、それにしてもこの子達、慣れすぎではないだろうか。

「大丈夫だったの?」
「とーっても寒かった!でも怪我はしなかったよ!」
「安室さんがこう、犯人のお腹にパンチしたんです!かっこよかったですよー!」
「パ、パンチ…」
「春おねーさんは、安室さんのパンチみたことある?すっごいんだよ!一発で犯人倒しちゃったの!」
「見たことはないけど…想像つくなあ」

私の知る動いている安室くんなんて高校の体育の時くらいだけれど、その当時だってずば抜けて運動神経がよかった。パンチ…に心当たりはないけれど、走らせてもラケットを持たせても、なんだって彼は一番だった。そんな彼を一目見ようと女子の群れができていたのもよく覚えている。

「ねえねえ、安室さんとどれくらい仲良しなのー?」
「どのくらい…うーん、大学生の時からだから、十年ぶんの仲良しかなあ」

実際にはその半分以上の期間、私たちは他人だった訳だけれど。

「十年だったら、僕たちが生まれる三年前からお友達なんですね!」
「それって、すっげー仲良しだよな!」
「春お姉さん、やっぱり安室さんは昔からかっこよかったの?」

小学生といえど、立派なひとりの女性である。歩美ちゃんの興味津々な瞳に目を細めた。

「そうだね…かっこよかったよ、とても」
「やっぱりー!」

かっこいい人は最初からかっこいいんだね!なんて、ちらりとコナン君の方に視線をやる歩美ちゃんは、まさに恋する乙女の表情をしていた。それから賑やかに話しだした子供たちを微笑ましく眺めていると、右隣から視線を感じた。

「…あなた、」
「ん?なあに、哀ちゃん」
「彼の事が、好きなのね」

私は警戒するに値しないと判断されたようで、さきほど遠ざかった距離はいつのまにやら元に戻っていた。けれどその視線はけして柔らかいそれではなく、澄んだ瞳は私を見定めていた。
子供らしからぬ口調と雰囲気で、哀ちゃんは静かに言う。コナン君も元太君たちになにやら絡まれていて、きっとその声は私にしか聞こえなかっただろう。

「…好きだよ。友達だからね」

コナン君にしろ哀ちゃんにしろ、本当に小学生なのだろうか。哀ちゃんに言われた言葉の意味を正しく理解しながらも、まるで同年代の友達に問い詰められた時のように言い訳がましく最後に一言付け足した。それからへらりと笑いかければ、哀ちゃんは大げさにため息をついた。

「初対面の私にも分かるものを、"友達"が気づいていない筈が無いと思うけれど?」
「…哀ちゃんって、とっても大人なんだね」

澄ました顔で口にするそれはオレンジジュースだけれど、他の子たちに比べると減りが遅いようだ。

彼女の鋭い言葉は、今まで私が感情をしまい込み続けた事などなんの意味もないのだと告げていた。そして私もそれをどこかでわかっていた。忘れたふりなんてしたところで、胸の奥底にしまい続けたところで、私の何倍も鋭い彼が気づかないはずがないのだと言うことを。

「まだ、いいの」

そう。それでもまだ、私はこの感情に名前を付けたくはない。

「…滑稽ね、とても」

目の前の美少女は、小学生らしからぬ難しい言葉を呟いてオレンジジュースをまた一口喉へと流し込み、それからもう私の方を見なかった。