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「もう着くけど…出てこれる?」
「大丈夫、いまいくね」
たった一言、今までで一番短い電話だった。けれども今までで一番、心が躍るのを隠しきれない通話内容である。なにせ今日は約束していた、ほとんど十年ぶりに降谷と酒を飲み交わすことが出来る日なのだから。
「こんばんは」
「うん、こんばんは。とりあえず乗って」
「お願いします」
「すぐに降りるけど」
「えっそうなの」
「俺も飲むから春の事送れないし、この辺の居酒屋にしたんだ」
だからコインパーキングに停めるだけ。車に乗り込んだ私を確認してからそう言って、今日も今日とて真っ白な彼の愛車はゆるやかに発進した。
金曜日の午後九時、一週間働いた身体はアルコールを欲してなのか、それともこの状況になのか、やたらにそわそわしている。今日もスーツを身に纏う降谷に、曜日感覚は存在していないように思うので、この日時を選んだのは私の為だと思って良いのだろう。
「降谷も飲むって、仕事に差し支えないの?」
「明日は休みなんだ」
「休み……!降谷が…」
「春は俺を何だと思ってるんだよ」
休み。降谷が。休み。なんど頭の中で繰り返したっていまいちしっくりこない。仕事をしている以外の降谷に会ったことがないせいか、降谷から休みという単語が出てくるのがとても不思議に感じてしまう。
「…人間」
「お、正解」
眉を下げて笑う降谷は紛れもなく私とほとんど同じ年月を生きた、適度な休息を必要とする人間であるというのに休みが似合わないだなんて、おかしな話だ。
ハンドルを握るその指にも宿る体温があることを、私はとうに知っているではないか。
そうして着いたのはよくある居酒屋のようだった。 引き戸をガラガラと開けて私に先に入るよう促してきた降谷に従う。
「いらっしゃいませ」
活発そうなアルバイトらしき男の子に出迎えられた。カウンター席と、隙間をあけて並ぶテーブル席。中も至って普通の居酒屋に見える。酒の味を知ったばかりの降谷と私が行ったような。ちょうどその頃と同じような歳の子たちがテーブル席で楽しそうに酒を飲み交わしていた。
「予約してた高階です」
「!?」
「えーっと…はい、高階さんですね、こちらへどうぞ」
その様子を思わず見つめてしまっていた私の背後から投げかけられた声に肩がひくりと跳ねる。それ、私の名前ですけど…?
スタスタと奥へ進んでいく店員さんの案内に従って歩き出した降谷と横並びになると、降谷の顔は面白そうに口角が上げられていた。
「ねえ今名前、」
「ここ、奥は個室になってるんだよ」
「……そうなんだあ」
「だからここにしたんだ、気兼ねなく話せるし」
降谷はどうもいますぐに私の疑問を解消するつもりはないようで、戸惑う私の言葉には聞く耳を持たずいつもより幾分かゆったりした口調で好きに話す。確かにすれ違うので精一杯な通路はお手洗いへの道のようであるのに、その両側には閉じられた引き戸が並んでいた。店に入ったときの光景とは違う、見慣れない景色に緊張にも似た気持ちが生まれる。
「お席はこちらです」
その一番奥、店員さんが手を掛けた引き戸の先には小綺麗なテーブルセットがひとつ、明るすぎない照明の元で佇んでいた。
向かい合わせに座った私達の手元にドリンクメニューが差し出される。
「よかったら先に飲み物伺います!」
「俺は生中」
「私も同じで」
「かしこまりました。すぐにお持ちしますね」
店員さんお辞儀をして去っていくのを見送ってから、まだ何も乗っていないテーブルに手のひらを付けてずいと前のめりになった。
「ねえ、実はいいお店だとか言わないよね…!」
「言わない言わない。メニュー見てみなよ」
「ならいいけど…いつもこういうとこで食べてるの?」
「いつも…って言うと、デスクで半分寝ながらカロリーメイト齧ってることが多いかな」
「…絵に描いたようなワーカーホリックだね……」
「だから仕事以外で食べにくること自体久しぶりだよ」
ひらりと差し出されたメニュー表に並ぶ値段は確かに降谷の言う通り普通の値段設定でほっとひと息ついた。それをテーブルの真ん中に置けば、降谷もそのメニュー表を覗き込んでくる。どこか楽しそうにメニュー表のふちに指を滑らせた降谷が目線だけをこちらに向けてきた。
「さっきのは、仕事上あんまり迂闊に名乗れないから予約の時に春の名前を借りたんだ」
「、もー、それなら言っといてよ、びっくりした」
「ははは、ごめん。春の驚く顔で言ってなかったなって思って」
「顔笑ってたよ」
「あんまり見事に思ってることが顔に書いてあるから、つい」
「またそれ…」
「気にしてるの?」
「さすがに最近考え読まれすぎててね…」
高校生とか、小学生とか。言いはしなかった部分に降谷は気づいたみたいでああ、と心当たりがあるように何かを思い出していた。そのわざとらしく惚けたような表情に、そもそも私が考えを読まれて困ることなんて降谷関連の事しかないというのに、とどうしても責任転嫁したくなってしまう。
そうしているうちにコンコンと引き戸を叩く音がして、先ほどと同じ店員さんが生中二つを片手にやってきた。
「ご注文お決まりですか?」
「あ…」
そういえば、メニュー表にある値段をざっと見ただけでメニュー自体にはほとんど目を通していなかった。
「適当に頼んでいい?」
「うん、お願いします」
「じゃあ、枝豆と…」
ぱぱっとメニュー表片手に注文をしていく降谷を盗み見る。今日は前にスーパーで会った時よりも隈は薄いようだ。明日は休みだと言っていたが、適度に休みは取れているのだろうか。そういえば降谷に再会してから今まで、休日の降谷に出会ったことは一度もない。それは主に出会うのがポアロでということもあるだろうが、夜に電話で話す時でさえ降谷は仕事の合間にかけてきているようだし。
「…春?」
「……わ」
「乾杯しようか」
「そうだね」
意識の逸れている間に注文は終えたようで店員さんも既に下がった後だった。気づけば盗み見ていたはずの降谷と目が合っていて、その手にはジョッキが握られている。慌てて私もジョッキに手をかけて降谷のもつそれに近づけた。
「じゃあ、おつかれ」
「降谷もおつかれさま」
「乾杯」
ジョッキ同士がぶつかって、カランと氷の音が響く。それは降谷と私の、何度目かのはじまりの音だった。