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半日出勤の土曜日というものを好きになることはないけれど、なにも嫌な事ばかりではない。
なんだかんだと早起きした日は身体の調子が良いし、仕事終わりには友達と合流してランチにだって行ける。最近はポアロでお昼を食べる楽しみだってできた。憂鬱だとはいいつつ、仕事が終わる頃には気分が良いのが常なのである。
そしてそれは天気が良ければ尚更だ。仕事を終えて職員玄関から外に出れば太陽はきらきらと街並みを照らしていて、スキップでもしたいような気持ちになるが、流石にそうもいかないのでゆっくりと足を踏み出す。今日はこれから、最近顔を出せていなかった喫茶ポアロへ向かうのだと朝から決めていた。だけどこの休日の外の空気をもう少し吸っていたくて、すこし遠回りしていくことに決める。そうして目に付いた、いつもは入り口の前を通るだけである米花公園の中へと足を踏み入れた。

公園の中は休日らしく賑わっていた。木陰でレジャーシートの上にお弁当を広げて談笑する若い女の子たち。深く帽子を被ったお母さんになにかをせがんでいる男の子。大きな犬を連れてゆったり歩く老夫婦。誰もが大事な人と大事な時間を笑って過ごしていた。休日とは本来そのための時間であることがよく分かる光景だ。そんな様子を視界の隅に入れながら舗装された道を歩けば、土曜日だからと気持ち大ぶりな物を選んだピアスが風を受けて小さく揺れたのに、私は休日であることを噛み締めた。
公園の中ほどに差し掛かったところで、風景の中に見知った顔をいくつか見つける。芝生の上で集まっているのは蝶ネクタイか特徴的なコナン君を始めとする少年探偵団のみんなであった。私が声を掛けようと芝生へと足を踏み入れると、私に気づいたらしい子供達の方から元気の有り余る声が飛んでくる。

「春おねーさんだあ!」
「こんにちは!」
「春さんもお休み?」
「こんにちは。朝だけ学校行ってていまからお休みだよ。」

走り寄ってきた歩美ちゃんと光彦くんの目線に合わせて屈みこんで言葉を交わす。その後ろから歩いてやってきたコナン君の声に応えてから目の前の二人の少し汗をかいた頭にぽんぽんと軽く触れると、ぱああっと二人の顔が大きな笑顔を作った。

「みんなは何して遊んでたの?」
「サッカーです!」
「コナン君に教えて貰ってたのー!」
「へえ〜、上手なの?サッカー」
「好きなだけだよ」

少し照れ臭そうに頬をかいたコナン君はなんだか久々に年相応に見えた気がした。光彦くんがまたまたあ!とコナン君の隣に回って彼を肘で突く。

「哀ちゃんと元太くんは?」

なんだかいつも五人セットのように一緒にいるイメージが強く、いない二人の姿を探してしまう。

「灰原は日焼けするからパスで、元太は今転がってったサッカーボールを…」
「おおおーーーい!コナン!受け取れよーーーー!」

コナン君の説明する声は遠くから聞こえる聞き覚えのある声に遮られた。声のした方を振り返ると思った通り、私の歩いてきた舗道を挟んで向こうの芝生にはぶんぶんと大きく手を振っている元太くんがいた。おー!と返事をしてボールに向き合うコナン君と、ボールの進路上にいた歩美ちゃんがその場から距離を取ったのが確認できたのだろう。いっくぞー!とまた大きな声が投げかけられて、元太君の足は勢いよくボールを蹴飛ばした。ふわっとボールが空へ向かうのを見てから、サッカーが上手だというコナン君の方へと向き直る。
すると、何故かボールを捉えていたコナン君の視線はこちらに向けられた。目が合うと彼は私に向かって大声を張り上げる。

「っ春さん危ない!」
「ん?」

ガツン、と頭に強い衝撃が走る。くらくらと揺れだした頭を抑えようとするけれど、その手は私の身体ごと、芝生の上に投げ出された。ちくちく顔に突き刺さって痛い筈なのに、なんにも感じない。
そして、意識は暗転する。










香ばしいコーヒーの香りと、ふわふわと、気持ち良いなにかに包まれた感覚を覚えて閉じられていた目を開いた。見知らぬ天井が映る。どうやらどこかに寝かせられているようで、手を動かしてみたところ包まれているふわふわの正体は手触りのいい毛布だった。頭を傾げようとすると痛みが走る。後頭部がひんやり冷たい。

「っつ……」
「あ、起きた。頭動かしちゃ駄目だよ、春」

近くから柔らかい声が掛けられる。頭を動かさない方が良さそうであることは先程の痛みが証明してくれたので、声の主を確認することは出来ない。しかしその耳触りのいいテノールの持ち主を私が間違えることはない。

「……………安室くん………?」

一瞬迷ってその名前を呼ぶ。迷いのある私の声に気づいたのか、彼はそうだよ、といやに優しい声で応えた。その口調から、やはりそう呼んで正解だったのだと悟る。

「ちょっと待ってて」

そう言って安室くんは部屋から出て行って、すぐに扉の向こうから賑やかな声がたくさん聞こえてきた。先ほどから漂うコーヒーの香りから、ここはポアロの休憩室かどこかなのだろうなとぼんやりと見当をつける。真隣にある柔らかい壁のようなそれはきっとソファの背もたれだ。どうやら後頭部を冷やしているのは氷枕のようで、少し身じろぐ度にカラカラと涼しげな音が脳に響くのが心地よい。
しばらくそうしてゆらゆらと意識の境目で揺れていると扉の開く音がして、足音がこちらに近づいてきた。

「サッカーボールが当たったって聞いたけど…覚えてる?」
「うん。…みんなは?」
「春が目を覚ましたって言ったら安心したんだって、今みんなでアップルジュースを飲んでいるよ」
「そっかあ…」

近づいてきて椅子に腰かけた安室くんは、想像に違わずマグカップのマークが描かれたポアロのエプロンを身につけている。バイトは?そう聞けば、休憩時間だよと返された。頭の動かせない私の視界に入るように、安室くんは私の顔を覗き込んで首を曲げる。男の人にしては長めの、しかもさらさらの明るい茶髪が彼の顔に影を作った。
その顔を見るのはあの夜からはじめてのことだった。だからといって私たちの間に流れる空気は以前となんら変わりないそれである。当たり前だ。名前のついた感情はそれでも長い間抱えていたものであったし、いまさら態度が激変するなんてことはまず無い。

「医者にみせるほどじゃないと思うけど行くなら連れていくよ」
「ええ…ありがと、大丈夫です…」
「そういうと思った。でも家までは送ることになってるから」
「え、決まってるんだ」
「少年探偵団からの依頼だからね」

病院にかかることが好きな人間はまずいないと思う。かからなくていいのであればそうするに越したこと無いというのが昔からの考え方であるけれど、断る事も見越していたらしい彼は小さくため息をついてからもう一つ私が断ろうとしていたのに先に手を打ってきた。その手には仮面ヤイバーのキラキラしたカードが握られている。そう言われて尚断る理由などどこにも見当たらない。

「みんな、お大事にだって。元太くんはごめんなさいって」

謝ることなどないのに、とは思うけれど、その気持ちが人を優しく育てるのだから、私のする事といえばその言葉をありがたく受け取ることくらいであった。また今度遊んでね、と伝えて貰うことにしよう。

「コナン君のサッカーが見れなくて残念だった…」
「ああ、上手だもんね」
「見たことあるの?」
「あの子とサッカーしたら負けちゃうかもね。」

負けず嫌いの彼がそう言うなんて、本当に認めている証なのだろう。ますます見たい。
そうして安室くんと話してようやく回るようになってきた思考はひとつの疑問を思い浮かべる。

「…というか、もしかして、」

ここまで運んでくれたのって。
最後まで言わずして、私を見下ろす彼の口が弧を描く。

「意識のない人間って思った以上に重いんだね」
「…それは、どうもお手数おかけしました」

やっぱり彼が私を運んで、そしてきっと車でここまで連れてきてくれたのだろう。ポアロで働いていたのだろうに、申し訳ないことをしたな。それにしても言葉に嫌味が含まれている。話し方こそ安室くんのものだったけれど、放たれた嫌味は間違いなく安室ならば言わないものだった。この部屋には私と彼しかいないのにも関わらず徹底して安室くんでいるのだから、安室くんが発する優しい言葉を吐いてくれたらいいのに。 素直にお礼も言えずむっとして彼の視線から逃げると、僅かに動いた頭が鈍く痛んだ。これ、たんこぶとかできてるのかなあ。

「いっ…」
「ほら、大人しくしてなきゃ。もう暫く寝てて」
「う、わっ」

言葉の割に荒々しく目元を彼の大きな手で覆われた。近づいたことでコーヒーの香りが強くなる。けれど少しがさついた指の感触が、彼がただの探偵助手の喫茶店アルバイターではないと知らせていた。

「…安室くんの手あつい」
「暖かいって言ってほしいな」

体温が高いのだろう、彼の手は氷枕で程よく冷やされた私には熱かった。その体温は沸々と私の感情を沸きあがらせるけれど、そのまま縋ってどうにかなれるほど私は真っ直ぐじゃない。

「…ありがとう、今日」
「僕の出勤日で良かったよ。来週からまた暫く居ないところだったし」
「そうなんだ。…本職の?」
「うん」

目を覆われたままぽつりと言いそびれたお礼を口にする。決して眠いと思っていた訳ではないのに、環境が整ってしまえば私の脳は睡眠を取ろうと呼吸をゆっくりにさせていった。声を潜めて問えば、彼も同じようにして肯定する。

「……なるべく怪我しないでね」

安室くんの手の下で目を閉じた私の脳裏には、頬にガーゼを貼り付けて両手首に包帯を巻いて接客している安室くんが浮かぶ。あの日の怪我は警察としての仕事で負ったものだと私は考えていた。あの時彼はちょっと、なんて言ったけれど、私にしてみればちょっとの範疇ではない。彼にしてみたら本当にちょっとの事だったとしても、それはそれでどうかと思う。怪我は怪我だ。探偵としての仕事でも怪我をすることがないとも言えないが、それならばあの場で隠す必要はないように思うし。

「春がそう言ってたことは覚えておくよ」
「曖昧だなあ」

ひそひそ声のまま一瞬だけ姿を見せた降谷に小さく笑えば、彼も笑って私の目元から手を離した。

「そろそろ戻るよ。あと二時間くらいだけど、出来れば寝てて」
「うん、寝そう…」
「あはは、ならよかった。」

堪えきれずに欠伸を漏らせばぱちり、電気を消した安室くんが部屋を出て行く。暗くなった部屋で心地よさに包まれた身体はやんわりと沈んでいって、自ずと瞼が閉じられる。
きらきらの太陽と、彼の髪色が交わる夢をみた。