02

あの日降谷は、約束通り家まで送ってくれる道すがら、私の質問に答えてくれた。私がした質問はひとつだ。『どうして警察官になった筈の降谷が、喫茶店で働いてるの?』降谷は苦笑いでお前はそういう奴だよな、と懐かしさを滲ませた声で応えてから、ぽつりぽつりと、私が道案内する声が混ざる中で話してくれた。
警察の中でも特殊な部署に配属された事、ポアロで働いているのはものすごく省略すると警察としての仕事であるという事、ポアロで働く時のみにならず、外出の際にも大体は『安室透』と名乗り、立ち居振る舞いも変えているのだという事。安室=降谷だとむやみに周りに知られる訳にはいかないという事。
車の中で淡々と話す降谷は、働いていた時のような変に愛想の良い話し方ではなく、昔のような少しだけぶっきらぼうな話し方だった。なるほど、立ち居振る舞いを変えているというのはこういう事か、とひっそりと納得した。
私の住むマンションに到着すると、「安室としてになるけど、ポアロでは頻繁に働いているからまた顔を出しにきてくれ。」と言い残してすぐに走り去ってしまった。

「あむろ、とおる」

全く馴染みのない呼び方でこれから友人を呼ぶことになるのだろう。車中、隣り合ったシートにならんで座って、緊張で指先が冷たくなったのは私だけだったのか。感動の再会に胸を打ち震わせたのは私だけだったのか。なんて、掻い摘んで聞いただけで毎日激務であることが分かる降谷に言える筈もなかった。




「えっ、高階先生?」
「わ、鈴木さん、毛利さん、こんにちは」
「すっごい偶然!」
「私たち良くここでお茶してるんです!先生も良く来るんですか?」
「ぜーんぜん。ここに来るのは今日が二回目かな」

仕事が落ち着いた土曜日、二週間ぶりに訪れた喫茶ポアロで私を出迎えたのは安室透でも、あの可愛らしい店員さんでもなく、私の勤める学校の生徒であった。
がたん、と椅子を鳴らして立ち上がる彼女たちがこの場所にいることにはなんの疑問もない。この喫茶店の上の階が、毛利さんの自宅だからである。
はじめてポアロに来たのだって、足を怪我して学校を一週間ほど休むことになった毛利さんに、課題を届けに行った帰りだったのだ。

「そうだ先生、ひとりなら一緒にお茶しません?」
「えー?うーん、そうだなあ」

有難いお誘いだしご一緒してもいいのだけれど、学校の先生と一緒にお茶だなんて、誘ってくれた鈴木さんはともかく、毛利さんは嫌ではないのだろうか。
そう思い答えあぐねていると、突然低い声が耳に届く。

「それなら水は鈴木さんの隣の席に置いておこうか?」
「ひっ」

いらっしゃい、とにこやかな笑みを浮かべて毛利さん達の後ろから姿を現したのは安室透である。

「びっくりさせたかい?」
「いや、大丈夫…」
「荷物はそこのカゴに入れるといいよ」
「ありがとう、…安室くん」

私の返事を待たずして鈴木さんの隣の席に新しいグラスを置いた降谷はあの日の車の中の雰囲気とは大違いで、その差を目の当たりにした今、すごいなあ…と素直に感心してしまう。昔からなんでも出来る男だったけど、演技も上手いのか。
そういう私は演技はからっきし、嘘だってすぐにバレるタイプの人間だ。せめて徹底した安室呼びに慣れなくては。目の前の男の顔を伺いつつ恐る恐る安室の名を口にしてみると、呼ばれた当人はにっこりと笑みを深くする。間違いなく要訓練という意味の笑顔だ。
その無言の笑みに苦笑いを返していると、なにやら私と安室くんの間できらきらと輝く瞳が四つ。あ、これは嫌な予感。

「せ、先生もしかして…!」
「安室さんとお知り合いなんですかっ!?」
「え、えっと」

ほら来た。ここの常連だという彼女達は安室くんとも知り合いのようだし、当然のことである。
ただしついこの間知ったばかりの安室透事情と私の演技力を考慮すると、こんな簡単な質問にさえ迂闊に答えられない。

「僕と春は大学の同級生だったんだ。ね?」
「そう、だね」

上手な嘘のつき方は本当の事と嘘の事を混ぜて話すことだったか。確かに私達は同級生だが、高校時代の、である。大学時代も付き合いはあったけれど通う大学は別だった。確かにそんな微妙な嘘、当人同士でなければばれやしない。そもそもつく必要があるかも分からないくらいの嘘だけれど、安室くんにとっては必要な嘘だったのだろう。

「ところで春、注文は?」
「あっ…じゃあアイスコーヒーと、ハムサンドで。」
「了解。」

そういって安室くんはカウンターの奥へ戻っていった。そういえば今日は、あの女の店員さんはいないようである。
さて。めでたく上手に嘘をついた安室くんの言葉に同調するだけで済んだけれど、まだ油断はできない。色恋の話題で毎日輝く女子高生から放たれる次の言葉なんて決まりきっている。

「なあんだ、てっきり恋人かと思ったのに」

席にどっかり座り込みながら鈴木さんがぼやくその言葉は予想に違わなかった。鈴木さんも毛利さんもどちらかといえば学校内でも気さくに話しかけに来てくれる方で、その内容の半分は恋愛に関することなのだから。特に鈴木さん。そうでなくなって華の女子高生、色恋沙汰には私なんかの何倍も敏感だし、探究心が疼くのだろう。

「園子、いきなり失礼だよ!もうー!」

毛利さん、顔に『私もそう思う』って書いてあるよ。

「違う違う」
「うっそだーあ!」
「本当です。」
「えー、二人とも美男美女でとってもお似合いなのに!」
「もう…それより二人とも、昨日までのテストどうだったの?」
「うわ!ここでその切り返しはなしでしょ〜!」

ずるいとは思ったけれど、無理矢理に教師面を貼り付けて話題をすり替えてしまう。安室くんが戻って来る前にこの話題を終わらせてしまいたかったのだ。

私と安室くんの関係は出会ってから、空白の期間を経ていままでずっと友人である。けれどもそれはなんとも危うい、いつ壊れたっておかしくない飾りだけの関係だった。あの頃の私は、安室くんを、降谷を、一等大切に思っていたから。降谷が私の事を呼ぶ時の声が好きだった。いつだって揺るがないその瞳が好きだった。けれどその分、友人の枠からはみでた時に私が降谷の隣に居られるかと考える度に怖くなった。だから私はそれを恋とは呼ばずに、友愛を貫いてきたのだ。結局降谷は突然姿を消して、私は宙ぶらりんになった感情を持て余したまま過ごすことも出来ず、思い出として閉じ込めてしまったのだけれど。

長い間閉じ込めてきたその感情は、年月とともに姿かたちを変えたのだろう。降谷ともう一度会ったときに溢れそうになった気持ちの名前が友愛なのかどうか、私には分からなかった。

「お待たせ。アイスコーヒーと、ハムサンド」
「ありがとう。いただきます。」
「ごゆっくり」

降谷の声が昔の私を引きずり出してくるようだ。ああ、かっこいいなあ。
テストについて話し出した毛利さんと鈴木さんの声がアイスコーヒーの立てる氷の音でかき消されていく。今でも私と降谷の関係は、友人と呼べるものなのだろうか。