愛ってなんだ
愛って何だ、義って何だ。
彼女が上杉家で過ごすようになってから、随分と時間が経つ。それでも彼女には理解が出来なかった。
未来からなど来たという、誰もが眉唾物だと言って取り合わないだろうことにも全く懐疑の目を受けず彼女を保護し今に至る。
それこそが上杉の言う義の精神なのだろうか。
ともかく、現代で愛された経験というものが皆無という環境下で育った彼女にとって、上杉家の家風は異質そのものだった。
だからこそ、愛というものの正体を知りたい、という気持ちもあるのだが。
「どうしたのだ、そんなつれない顔をして」
初めに彼女を見つけたこともあって、兼続はよく彼女に構っていた。今もそうだ。二人分の茶を自ら運び、話しかける。彼女がこの世界で生きていられるのは、兼続のお陰という他ならない。
「兼続様」
彼女も兼続のことは、好ましく思っていた。何しろ、兼続は「茶道具集めなど嘆かわしい」「このような遊びは軟弱だ」などといった考えを持っている。それなのに自ら率先して茶を入れて来たのだ。
これも義と愛の真髄、というやつなのだろうか。こうした兼続の行動が始まったのは、彼女がたまたま「お茶でも飲みたい」と呟いたことがきっかけであった。
現代と違ってジュースがある訳ではないから、とふと発しただけだったのだが、結果的に兼続よ心を刺激したようだった。彼のそういった行動は彼女を快くさせていた。
「あの山犬……いや、政宗に以前、茶会に呼ばれたことがあってな。私は作法に詳しくないため、危うく恥をかきそうになったのだが……近頃はお前に美味しい茶を飲んでもらうため、自ら茶器を選び、茶を立てることにしたのだ。お前の喜ぶ顔が見られれば、私は嬉しいぞ! 何しろ、この茶には私の義と愛が込められているのだ!」
兼続は饒舌に語り出す。まだこの世界にやってきただかりで右も左も分からぬ彼女に対しても、彼はよく尽くしていた。
そんな兼続の話は少々暑苦しい部分もあるが、彼女にとっては全てが新鮮で楽しいものだ。こうした彼の言動や、態度、行動が、いわゆる愛というやつなのか。彼女は、身振り手振りを使って話す彼を見て、そう思った。
「ふふ。いつもありがとうございます、兼続様。兼続様の愛、受け取りますね」
だからこそ彼女は、自然と「愛」という単語を用いて礼を言った。が、その時兼続に異変が起こった。
「……!」
それまで捲し立てるように話していた兼続が、急に押し黙ったのだ。彼女はそんな様子を見て、何か間違ったことを言ってしまったのではないかと不安になる。
「おお! お前にも私の愛が伝わったか!」
が、彼女の心配もよそに、兼続は今までよりも増して大声を放ち、彼女の懐に抱きつくかのように飛び込んで来た。彼女の持っていた茶器が揺れ、茶が少し零れたのだが、兼続はそのような些事に気を留めずにいる。
彼女は「あ、」と小さく声を上げ汚れた衣服を見るが、兼続は気づいてすらいないようだった。
「日頃愛を説いていた甲斐があったな! 今お前は、初めて自分の口から「愛」を語ったぞ!」
彼女は呆然としたように固まる。そうか、自分は初めて「愛」という言葉を口に出したのかと。だからこんなにも、兼続は喜んでいるのだ。
兼続は彼女に顔をぐいと近づけ、朗らかに愛を語り出す。「私は嬉しいぞ」「お前は立派な義戦士になれる」などと。
兼続の言っていることをはっきりと理解出来るとは、やはり言えなかった。しかし新たな発見もある。彼女は間近で見る兼続の顔が、存外整っていることに気づいたのだ。
睫毛が長い。涙袋が大きい。思えば、彼の顔をこうしてまじまじと見るのは初めてだったかもしれない。彼女は気恥ずかしくなって、兼続から目を逸らした。決して顔だけで判断している訳では無かった。今まで兼続が彼女に行ってきた行為の好ましいと感じたもの全てが、今この触れ合うかのような距離感によって増幅されているようだったのだ。
「顔が赤くなっているぞ? この恥ずかしがり屋さんめ!」
相変わらず兼続はにこにことして彼女を見つめていた。それがさも当たり前であるかのように。
兼続がどういう気持ちで愛や義を言い表しているのかを彼女が知るのは、まだ時間が必要なのかもしれない。それでも、彼女は自分の心音の激しさと共に自覚することになる。
「ああ、これが愛なのだ」と。
(20231203)