誰が為に武器を振るう
乙女が流浪の剣士、宮本武蔵と知り合ったのは随分と前のことだ。戦国と三國。二つの世界が混じりあってからどれほどの月日が経ったのだろうか。
「敵に対しても敬意を払って戦うだろ、徐晃って。俺の目指す道と、共通している部分があるんじゃないかと思うんだよな。だから一緒に居て居心地がいいんだ 」
かつて武蔵はそう乙女に言ったことがある。武蔵のような人間に自分の主君を褒められるのは嬉しいものだと彼女は思うものだった。
「徐晃様も、あなたと出会ってから一層鍛錬に精を出しています。私も嬉しいなあ。武蔵様に稽古を付けてもらえるのもとても楽しいですよ」
そう言って互いに笑う。武蔵が徐晃を好ましく感じているのと同様に、乙女も武蔵のことを好ましく思っていた。乙女は女性でありながら戦場に立つ人間だ。自分が力で男性には及ばないということを知っているからこそ、彼女は常に努力し続けている。徐晃も武蔵も、そんな彼女を揶揄せずに、一人の人間、武人として接していた。それこそ彼女がこの二人を敬愛している理由だった。
「世界がこんな感じになっちまってから色々な所をぶらぶらしてきたけどよ、俺の居場所はここなのかもしれねえ……あんたや徐晃と居るのは、好きだしな」
束の間の幸せなのかもしれなかった。二つの世界は遠呂智を倒してからも元通りにはならず、人々は未だに混沌とした世の中で、力を合わせて生きている。
魏も戦国の世も戦いの終結につれて安定、発展を遂げている。しかしいつ元の世界へ修復されるのかは、誰にも分からない。
乙女も、可能ならば武蔵と共に居たいと思っていた。以前遠呂智が復活した時も共に行動していたし、まるでこの世界が誕生する前から戦友として戦っていたような……そんな気持ちを持つまで、武蔵の存在は乙女の多くを占めていた。
「武蔵殿、乙女殿! 遅くなって申し訳ない。それでは、参ろうぞ」
三人が歩き出す。風が吹き、乙女の長い髪を揺らした。
この毎日が続けばいいのに。乙女がぼんやりと考える。最も、その願いは届かないことになる。
突如現れた巨大な怪物。八つの首を持つ妖蛇は、天地を覆い街を喰らった。これまで人々が協力して出来上がったこの世界の、均衡が崩れ落ちた。妖魔は各地を襲い、多くの人が敗れた。
「俺は小田原城に向かう。今一番妖魔の被害を受けているし、あそこが落ちれば俺らはもう終わりなんだろ? だが諦めねえ。俺の剣は、人を斬るためのものじゃない。人を守るために使ってみせる」
乙女と武蔵が別れる前夜だった。朝も夜も、不気味な色をした空が広がっていた。もうこの世界には昼夜の区別をする方法すらない。こう呟いた武蔵の表情は、はっきりとは分からなかった。
「ここで、お別れということですか」
乙女の表情もまた、はっきりとは分からない。ただ彼女に渦巻くのは、決して武蔵には言えない感情だった。私情のため武蔵に「行って欲しくない」などとは到底言えないのだ、と彼女は思う。彼は盟友でありもう一人の主君のようなものだ。ただ、それ以上のものではないし、自らの考えで武蔵の持つ崇高な理念や、理想を崩してしまうのはいけないことなのだと彼女は自分の心に蓋をした。
「まあ、そんな顔するなって。俺は天下無双! それよりも、あんたのほうが心配だって言うか……徐晃がいるから大丈夫だと思うけどよ……」
乙女が武蔵に抱いている気持ちと同じような感情を、武蔵も持っていた。小田原城に向かう彼とは反対に、彼女と徐晃は洞口を守備するという役割を持っていた。彼も、「自分と一緒に来い」とは到底言えなかった。恐らく、洞口よりも小田原のほうが妖魔の包囲が厚い。小田原城が落ちれば人間の再起は不可能かもしれないが、生き残る一抹の可能性に賭けるならば、洞口に居る方が安全だった。
「武蔵様……」
きっと今も上田城では戦いが行われている。だが各勢力を治めていた長はもうどこにもいない。例えば北条氏康や孫堅と言った名だたる将は妖蛇出現と共に生存を絶った。自分たちは本当に生き残ることが出来るのだろうか。この世界を再び人間の手に戻すことは出来るのだろうか。乙女はそう思った。
「また会おうぜ」
武蔵は背中を向けて歩き出す。いつだったか、戦場で武蔵はこう言ったことがあった。「天下無双の四字が背中で泣いてる」と。彼自身が泣きたくなるほどつらいことはあるのだろうか。本当に小田原城に行くことが、貴方は怖くないのか。
乙女はそう言いたかった。だが結局何も言えずに、彼の背中を無言で見送った。彼の姿が見えなくなるまで、ずっと立ちすくんだまま。それが乙女が武蔵を見た、最後の夜だった。
「夢……?」
暗い天幕で乙女は目覚めた。最後に武蔵を見た日の夢を見ていたようだった。頬に触れると涙を流した跡があった。
「武蔵さんを、助けに行かないと」
乙女は起き上がる。初めて彼女は時を渡ろうとしていた。彼女は未だに信じることが出来ずにいたが、武蔵を救えるならなんでもいいと思った。彼に対する思いを、はっきりと伝えに行かなければならないのだ。
この戦いが始まってから、多くの人が倒れ、生存が分からなくなってしまった人が大勢居た。その中には彼女のよく知る魏の将も存在する。それでも彼女は、静かに耐えた。自分の知らない所で生きているのかもしれない。そう鼓舞することも出来た。それでも武蔵が小田原で散ったという事実だけは、耐えられなかったのだ。果敢に戦場で敵に立ち向かう姿も、自らの道に悩む姿も、全てが好きだった。それに気づいたのが、遅すぎたのだ。だが、まだやり直すことが出来るということも、乙女は知っている。
今度こそ小田原城へ。乙女は決意を秘めた。
「皆様、準備はよろしいですか」
かぐやの声に、乙女や甲斐姫は頷く。乙女にとって、過去に遡るのは初めての経験だった。彼女は未だに信じることが出来なかったが、否応にでも信じさせられることになる。
かぐやが手をかざすと、乙女の体は光に包まれた。眩しさに目を閉じ……気づけばそこは、目的としている地だった。乙女はこれまでの戦いのことを思い出した。気を引きしめる為だった。
洞口の守備、そして妖魔軍との戦いは乙女達の勝利に終わった。と少なからず乙女自身は……乙女だけでなく徐晃も、共に戦った官兵衛達もそう思っていた。窮地の小田原城に向かうはずだった半兵衛は予定を変更して洞口に残り、彼の力によって敵を退けることと、人間同士による同士討ちを防ぐという結果を導いた。
しかし戦いの後半兵衛から告げられたのは「俺は運命を変えるために未来から来た」という衝撃的な言葉だった。
本来の歴史では洞口は陥落したのだという。それは恐らく、人間同士の間に起こされてしまった戦いを止められなかったことと、その隙を妖魔の軍勢に突かれてしまったことが原因だった。
つまり、以前の歴史では乙女は死んでいたかもしれないということだった。半兵衛達が時を渡ったことにより、再起の礎が整い始めたのだという。
だからこそ、慢心があったのかもしれない。いくら過去が変わったからといって、そこから先の未来が救われるという保証はまだないということの重要さを彼女は理解出来ていなかった。乙女は洞口の戦いが終わった後、長篠の援護に向かった。武蔵のことが気がかりではあったが、戦いの疲労や距離を考えると、小田原に向かうことは不可能だったし、それでも無事だろうと高を括っていた。その結果が乙女を絶望させたのだ。以前の歴史では陥落してしまったという小田原は、各地で妖魔軍と戦ったことにより包囲が薄れ、勝利した。だが武蔵は戻ってこなかった。
「……ねえ、大丈夫? まだ気分が優れないなら、無理しないで。今度は洞口からの援軍が無事に来てくれるんだから」
甲斐姫が乙女に話しかける。小田原に向かうまであと少しだった。
「ありがとう、ございます……でも、もう大丈夫です。私はいつまでも立ち止まっていられないから。私自身で向かわないと、意味が無い気がするのです」
武蔵が戦死したという報が乙女にもたらされてからの彼女の様子は見るに堪えなかったと、徐晃は後に洩らした。その最期を直接見た訳では無い。それでも乙女にとっては、一時的に食事が喉を通らなくなるほどの悲しみに襲われているような状況だった。
島津義弘の過去……かつて乙女が守っていた洞口に戻り再び妖魔軍を蹴散らし、小田原への援軍を促すという戦いにも、彼女は参加出来なかった。そんな彼女を思って徐晃はここで始めて過去に戻り、武蔵の為に妖魔と戦ったのだという。良き主君に恵まれていると、乙女は改めて感じた。
それでももう、甘えていられない。武蔵を救いに再び小田原に戻るという計画に、彼女は自分から参じた。自らの手で救いに行かなければ。彼女の胸にあるのはその感情のみだった。
「あたしと同じね。あたしも、自分の手で小田原城を守り続けたいの。守り通す! 絶対!」
甲斐姫と共に乙女は進軍した。妖魔の包囲は以前の……陥落してしまった時の歴史よりは格段に少なくなっているはずだ。それでも乙女にとってはやはり大軍であることに変わりはない。
槍を構え、乙女は敵に立ち向かった。
妖魔の攻撃を避け、槍を振り下ろす。妖魔とは何度も戦ってきたが、おぞましい断末魔はいつ聞いてもぞっとするものだ。
甲斐姫や孫尚香と共に、互いの背を預けつつ進軍していく。甲斐姫の父親、成田氏長を救援しし、乙女達は妲己によって奪われた小田原城へと向かう。
「乙女、あんたは武蔵さんの所に! ここはもうあたし達だけで大丈夫。妲己が城の中に兵を隠してることだって、もうあたしは知ってる。だから、早く行ってあげて!」
浪切を振り乱しながら、甲斐姫は乙女にそう言った。彼女の器量の大きさと細やかな心遣いに感謝する。
「甲斐殿も、無事をお祈りします。ご武運を!」
一度この戦いを経験した甲斐姫が敵に後れを取るとは思わなかったが、まだ油断は出来ない。乙女が妖魔を薙ぎ倒しながら先を急ぐと微かにに聞こえたのは伝令兵の声。どうやら洞口からの援軍は無事にこの地へたどり着いたらしい。
戦場で気を抜いてはいけない。そんな初歩的なことさえも見失うほどに乙女は伝令の声に耳を傾けてしまう。その一瞬を妖魔は見逃さなかった。
「はっ、油断したな」
武器を落とした妖魔の最後の抵抗とでもいうのだろうか。妖魔は乙女の長い髪を力任せに掴み引っ張る。乙女は引っ張れるがままに地面に倒れ込みそうになり、思わず悲鳴を上げた。
「舐めないでくれる!?」
完全に組み敷かれる前に何とかしなければいけない。乙女は自分を鼓舞するためにも多きな声を上げた。そして左手で常に懐に隠し持っている短剣を手に取り、躊躇せずに自らの髪を切り落とした。
「あなたに構ってる暇なんかないの」
妖魔の体をすり抜けるように抜け出す。急いで短剣を仕舞い、槍を持ち直して駆けた。綺麗だった髪は肩の当たりで不揃いに切られている。そんなこと、乙女にとってはもうどうでも良かった。武蔵が守っているという地まではもう既に目と鼻の先だった。
「武蔵様!」
妖魔の軍勢は、やはり多い。洞口から援軍で来た勢力も戦っているようで、戦況は決して不利ではなかった。多くの人々が交差する中でも、天下無双を纏った背中は目立つ。乙女は叫んだ。
「乙女……? あんた、どうしてここに居るんだ!? それに、その髪も、どうしちまったんだよ!」
二本の刀で敵を蹴散らしながらも、武蔵は乙女に気づいたようだった。乙女は、ここが戦場なら武蔵に抱きついていたかもしれないとぼんやり思う。そんな不埒な真似は当然出来ないが、それほどまでに気分が高揚したのだ。後は共に生きて帰るだけ。そう思うと元気が湧いた。
「私のことは後です! とにかく、武蔵様が無事で良かった……! 生きて帰りましょう!」
「……分かった! まずはこいつらを倒すのが先だ! 俺らの力、見せつけようぜ!」
武蔵のこうした潔さは、今の乙女には心地よかった。きっと彼も言いたいことは沢山あるはずだったが、今優先すべきなのは何なのかをよく分かっている。そんな武蔵と共に居るから、乙女も安心して戦うことが出来るのだ。
「……はい!」
*
こうして、小田原城の戦いは人間の勝利に終わった。再起の喜びに歓喜した人々は宴を開き、今夜は無礼講だ、などと言って騒いでいる。
その中で、酒も呑まずに静かに過ごす二人が居た。
「俺さ……あんた達に、助けられたってことなんだよな。まだあんまり理屈が飲み込めねえ……」
武蔵は頭を抱えた。未来から過去を変えるために乙女達はやって来たなどと言っても、簡単には受け入れられるはずはない。それは乙女も同じだったから、無理もない事だ。
「分からなくても、大丈夫ですよ……私も自分の辿る運命が、未来から来た人達によって変わったということを、未だに信じられませんし。それに、武蔵様が無事であることが、私は一番嬉しいのですから」
乙女は改めて、武蔵の無事を喜ぶ。
「そう、だよな……俺、確かに思ったんだ。援軍が来なかったらと思うと……けど援軍はちゃんと来たし、何よりあんたが居たから、頑張れたんだ。ありがとな。ただ、その……あんたの綺麗な髪が短くなっちまったのが、残念っていうか……俺の力量不足だって言うか……」
口下手な武蔵が必死に言葉を紡ごうとしている姿すら、乙女にとっては愛おしかった。自分に感謝していること。髪が短くなってしまったのを惜しみ、責任を感じていること。以前の歴史ではこれらのことは成し遂げられなかったのだから。
「武蔵様……いいんです。髪くらいどうだって……私、徐晃様の為なら命を捨てれるくらいの覚悟があるけれど、武蔵様となら……一緒に生きたいって……そう思うんです」
乙女は少し照れながらそう言った。この気持ちの正体は、乙女にとっても分からなかった。けれど、それでもいいと思った。ただ武蔵と共に生きたいのだと言う思いを伝えただけで、乙女は満足だった。
「乙女……こういう時、なんて言っていいのか分かんねえけど……その……俺も、そう思う。……まだまだ戦いは続くけど、世界が元通りになったらさ、髪飾り……買いに行こうぜ」
乙女は笑顔で頷いた。武蔵も同じ気持ちを抱いていたということが、何よりも嬉しかったのだ。まだ戦は続くが、希望を見出すことが出来る。この世界が元通りになってしまうその瞬間まで、武蔵と歩みたい。乙女は未来に思いを馳せるのだった。
乙女が短くなってしまった髪を整えた頃、武蔵もまた乙女に対する詫びなのだと言って結っている部分を切り落とし、偶然にも同じような髪型になってしまったのは、また別の話である。
(20231213)