似顔絵
戦国と三國が混じりあってからというものの、いつまで経ってもこの世界は不均衡ながらそれなりの形を保ち続けていた。
遠呂智を倒せば元の世界に戻るのではないか。当然ながらそう考えている人も大勢居た。だが今もなおこの世界は存在し続けている。
秩序を作ろうとするもの。秩序を守ろうとするもの。秩序を怖そうとするもの。様々な思惑を持った人間はそれぞれの目的に向けて動いている。
乙女もまた、自らの目的のために動き続けていた。
元々は豪族の出身だった彼女であるが、豪族を邪魔に思ったとある大名家は家を乗っ取るために臣下を婿入りさせてその者を当主とした。本来跡を継ぐはずだった人間との争いも起こったが大名家の力には抗えなかった。もはやその地でそこそこの権力を握っていた豪族とは名ばかりのもので、その当主という者も乙女にとっていけ好かない存在だった。
そういうわけで彼女は出奔し、自由気ままに旅をしていた。村の用心棒として雇われたり、見よう見まねで舞を踊って小銭を稼いで暮らしていた。
そんな中、二つの世界が混ざりあってしまった。
彼女は相変わらず雇われの身として旅を続けていたが、妖魔軍は至る所に現れた。世話になった村や町を守るためとはいえ、一人で妖魔軍を相手にするのは骨が折れる。
そう考えているのは乙女だけではなかった。当然ながら、一人よりも二人のほうが効率よく戦える。そして、乙女と同じく無頼の旅人。共通点が功を奏して、乙女と宮本武蔵は共闘することになった。
意気投合して暫くは共に行動していたが、ここ最近は会っていなかった。
というのも、遠呂智討伐にあたっては様々な勢力が意気投合して妖魔軍に立ち向かっていたが、乙女は偶然にも主家の人間、それも彼女の毛嫌いする当主に出くわしてしまったのだった。
怒り心頭に発した当主により、乙女は連れ戻されたのであった。彼女からすれば窮屈極まりない。各地では未だに小競り合いは収まらず、乙女も仕方なく命じられるがまま戦っている。
「あーあ、武蔵に会いたいなあ」
そう呟いてから、乙女は彼のことをよく追いかけている白塗りのことを思い出して、脳内で撤回した。乙女がそう呟くのも無理はないが、彼女が会いたいのはそれ以上の意味があるわけではなく、単純にもう一度自由な生活をしたいという思いが大きかった。
そんな折、乙女の元にとある文が届いた。署名を見ると見覚えのない名前が刻まれているもので不思議に思う。
乙女が早速読むと、そこに書かれていたのは武蔵のことだった。要約すると、武蔵は怪我をして暫く剣を持てない状況であるから、見舞いに来て欲しいというもので、どの地に居るのかということまできちんと書いてあった。そして、乙女の境遇を案じてわざと宛名には武蔵の名を出さなかった、ということである。なんて優しいのだろうかと彼女は感嘆した。そんな手紙を書いたのは武蔵の修行仲間となったらしい徐晃という人物だった。
武蔵のことであるから、怪我のことはあまり心配にはならなかった。それよりも乙女にとって大事なのは一刻も早く束縛から逃れて放浪生活を再開したいということである。
そういうわけで、皆が寝静まった夜中を見計らって乙女は屋敷から抜け出した。
勝手に厩舎に忍び込み、馬を拝借する。借りるだけだから、と乙女は自分に言い聞かせた。
「退散、退散っと」
馬に乗って、屋敷に別れを告げる。厩舎から馬の鳴く声がした気がしたが、彼女は気にしないフリをした。
「乙女殿、お待ちください!」
見張りの人間が大声を出すが、またもや彼女は無視をした。結局何をしようがこの脱走がバレてしまえば自由は失われる。乙女は自由を目指して馬を走らせた。
一方その頃。乙女が夜通し馬を走らせたり、途中で茶屋に寄ったり休憩したり、日が変わってまた馬を走らせたりを繰り返しながら、久々の解放感を満喫しているであろう頃だった。
「武蔵殿。怪我の具合はいかがか」
徐晃の属する曹丕軍は、一時期遠呂智に与していた。曹丕は遠呂智に従うその先を見据えて行動しており、勢力を拡大した後に反乱、遠呂智討伐に貢献した。
徐晃はこの戦いが終わった後、一時でも遠呂智軍の将として戦っていたことを悔やんでいるのか、各地の村を山賊から守りながら流浪していた。道を極めようと励む者同士で、武蔵とは意気投合したのだろう。
「うーん……利き手は無事だから、一応戦えねえこともねえけど……なんかしっくりこないというか……」
朝から鍛錬しようと思ったけど、左手が痛むんだよなあ。武蔵はそう呟く。
武蔵は普段から、太刀と脇差の二つの刀を用いて戦っている。それを今更辞めるということは出来ないようだった。
「拙者も共に修行に励むことが出来ないというのは誠に残念でござる……が、武蔵殿の意外な一面を見れるのは面白く感じ申す」
刀を持っていない状態がこれ程までに続くというのは、武蔵に取って大きな違和感を抱かさせたらしい。武蔵は刀の代わりに筆を持ち、絵を描いていた。
戦いが続いていたこともあり絵を描く機会には恵まれずにいたが、彼の描く絵は徐晃の想像より何倍も上手い。剣ではなく絵で食べていけそうなぐらいだと徐晃は思うものだ。
「まあ、そう言ってくれるのは嬉しいけどよ……今の情勢だと絵を売るのも厳しいから……早く治さねえと」
武蔵が描いているのは、数羽の鴨の絵だった。昔鴨を飼っていたが、この世界に来てから行方知れずになったのだと、徐晃に漏らしたことがある。たまたま最近拠点にしている地に鴨が住んでいる池があるというのは少し出来すぎではないかと二人で話していたが、武蔵の丁度いい暇つぶしになっているようだった。
「大きな戦乱は今のところ無いようであるから、ゆっくりこの機会に休もうぞ。拙者も、こうして平和な村から自然を眺めるのは新鮮で楽しいでござるな」
戦乱で様々な城や村は荒らされ、失われてしまったものも多い。それでもこうして残っている現風景を目にすることは、精神的な重圧から全てが解放されるかのような心地なのかもしれない。
ところで、と徐晃は切り出す。
「以前、乙女殿に文を送り申したが……そろそろここに着いてもおかしくないと思われる」
無事この村に辿りつけば良いのだが。そう心配する徐晃だったが、武蔵は「あいつなら大丈夫だ」と断言する。
「あいつの腕は凄い。男じゃないから弱いとか、そんなことは通じねえんだ、あいつは。力任せじゃないけど的確に突くって感じで。徐晃にも早く会わせてやりたいなあ」
嬉しそうに話す武蔵を見て、徐晃も待ち遠しく思うのだった。
数日後。乙女が二人が現在世話になっている村に着いた頃だった。
「貴公、もしや……乙女殿では」
馬を繋ぎ、武蔵がどこに居るのかを探そうとした時。乙女は徐晃のことを見るのはこれが初めてだが、直感で「武蔵の友達だ」と分かった。第一、こんな屈強な姿をした人間がただの村人とは思えないだろう。
「もしかして、貴方が徐晃さんですか?」
左様でござる。徐晃はそう答えると、乙女を案内し始めた。いかにもな武人という風貌で、なるほど武蔵と気が合うわけだ、と乙女は思う。
「武蔵に仲間が出来て良かった。徐晃さんと一緒なら安心だなあ、こんなに強そうだもん」
「拙者など、まだまだ未熟でござる……機会があれば貴公と手合わせをしたいものでござるな。さあ、武蔵殿はこの部屋に居られる。あの御仁は貴公に会えることを楽しみにしておられたゆえ、二人でゆっくり話すといい」
乙女はお礼を言おうと思ったが、徐晃は茶でも入れようといい、すぐにどこかに行ってしまった。せっかくの再会であるからと、徐晃は気を使ったのかもしれない。
後で徐晃とも話したいと乙女は思ったが、まずは武蔵が先だ。部屋に入ると、確かに武蔵が居た。
「武蔵、久しぶり! あれ、絵描いてるの」
「乙女! 来てくれたんだな、嬉しいぜ」
急な来訪により武蔵は驚いたようだった。また口では嬉しいとは言っているものの、絵を描いていた紙を乙女の目に入らないように素早く移動させる。
「なんの絵描いてたの? たくさん話したいことあるけど、武蔵が剣以外を頑張ってるの初めて見たから、見てみたいな」
意外と風流な所があるんだね、と乙女は武蔵を揶揄する。武蔵は彼女のその言葉には言い返さなかったが、少しばつが悪そうに顔を歪めた。
「もっと他に話すことあるだろ……俺、怪我で刀が持てねえからこうして暇な時間に絵を描いてるんだぜ? まあ、良いけどよ……あんたの、似顔絵を描いてたんだ」
彼にしては珍しく、照れているようだった。
「凄いね!! 私の絵を描いてくれるなんて、嬉しい!! ねえ、他にもないの?」
「あ、ああ……! ……あるぜ」
照れながらも褒められたことには嬉しいのか、以前に描いた絵を武蔵は取り出す。どの絵も乙女のことを描いており、なおかつ徐晃の前では絶対に描かないし見せないものだった。
乙女は純粋に「凄い、凄いね」と喜ぶ一方、武蔵はどんどん口数が少なくなる。
「せっかく私が居るんだから、今の私の絵も描いてよ! もっと武蔵の絵が見たいなあ」
「そ、そうか……? あんたがそう言うなら……」
様子がおかしい武蔵を気にせずに、乙女は武蔵を褒め続けるのだった。
二人がぎこちない(と感じているのは武蔵だけだろうが)会話をしているのを、茶を持ってきた徐晃はこっそり部屋の外から聞いていた。
徐晃が乙女に文を送ったことがきっかけでこうした状況が生まれたわけではあるが、そもそも「見舞いに来て欲しい」という便りを送ったのには、理由があった。それは武蔵が徐晃にだけ話した、とあることがきっかけだった。
「俺……乙女って奴と一緒に戦ってたんだけどさ、ふとそいつの事を考えちまって……それで、隙を突かれてこんな傷を……」
「……乙女が側に居たら、こんな怪我負わなかったのかもしれねえ。けどなんか、あいつのこと考えるとなんかモヤモヤするんだよなあ」
徐晃はそんな武蔵に対して、それは恋慕の念が湧いているのではないかと思ったものだ。剣の腕も絵の才もあるのに自分の感情を言い表すことに関しては不器用な武蔵の手助けとして、直接乙女に来てもらうことを提案したのが徐晃だった。
だが、武蔵は自分の感情を素直に言い表すどころか、普段にも増して口数が少ない一方、乙女は武蔵の思いに気づかず自由に振る舞う。彼女からしてみれば武蔵に会える喜びと主家からの束縛から解放された喜びは同じようなものであるのだから、彼女が武蔵の思いに気づかないことも不思議ではないのかもしれない。
乙女が来る前はあんなに饒舌に彼女のことを話していたではないか。徐晃は煮え切らない武蔵の言葉を聞きつつ、なんの進展もない二人に一人、やきもきするのだった。
(20240107)