煙に巻かれる
女だからと言って、侮るな。そんな気持ちで戦っている彼女でさえも、戦いそのものには良い感情を抱いている訳では無い。
生き延びる為に、人を殺める術を身に付けた。至って単純な理由。彼女は他の……所謂“同士”と呼ばれる人間のように、崇高な理想を携えていなかった。
生きる為に最善だと思われる勢力を渡り歩き、雇われる。そしてただ人を斬って、返り血を浴びて……同じことの繰り返しだ、と彼女は思う。
しかし、そうする内に、人の死に関する正しい感覚というものが麻痺しているのも事実だった。
今もそうだ。彼女の服は血と泥で汚れ、目を見開きながら刀を振り乱している。
その斬撃は乱雑に見えたが、それでも敵を絶命に至らせるには十分だったようで、辺りには彼女によって生み出された屍が幾つか転がった。
戦いは悪だ。しかし、自分が人を殺めることは果たして悪と言えるのだろうか。ただ自分に向かってくる人間を斬っているだけだ。そう彼女は思う。
そうして、彼女は周囲をこれでもかと確認し、敵は居ないと判断するとようやく刀を鞘に納めた。
「綺麗だね」
「!!」
あれだけ誰も残っていないと確認したにも関わらず、その男はどこからともなく姿を現した。彼女は瞬時に刀を抜き、構える。男は長刀を持ちながら静かに彼女に近づいた。斬り掛かる様子は無い。
「君の匂いがすると思ったら、やっぱり正解だった。いいね……君のその顔。沢山の血に染まった服も体も……」
「何が言いたいの。人斬り」
彼女は男の事を人斬りと呼ぶ。彼の事を、彼女はよく知らない。戦場や往来で気配を感じさせずに近づいては、彼女に独善的な考えを呟く。そして気がついた頃には風のように既に去っている。不思議な人間ではあるが、同時に相容れない、危険な存在だと彼女は思っていた。
「あはっ、相変わらず君もその刀で人を斬っているのに変なことを言うね」
男は見た目に似合わない、無邪気な子どものように笑う。紅を刺している唇が吊り上がった。それはは白粉を塗った白い肌と対照的で、ぞっとするような印象を与える。
「君のお仲間はこの戦いの勝利に酔うだろう。けれども彼らも所詮、弱者を生贄にして強者のフリをしているだけの弱者に過ぎない。ああ、クズばっかりだ……けれども君は違う。君は僕と同じ。自分の目的の為に色々な人に雇われて、弱くて可哀想な人を斬ることで救ってあげている……そうだろう?」
この男もこの戦場で人を斬ったのだろう。だが彼女とは違い外套の汚れも見当たらず、汗ひとつ流していない。はっきりいって、彼女が適う相手でも、同じ存在でもない。それは彼女自身が確固として自覚している事だ。
「違う。私はただ生きる為に戦うという手段を取っているだけ。弱者だから、可哀想だから斬っているんじゃなくて、私に倒された人間が結果として弱者だっただけでしょう」
男はくつくつと笑う。その表情はまるで獲物を狙う蛇のようだ。藤色の目が煌めき、耳元では金の耳飾りが光を反射しながらユラユラと揺れる。
「君が否定する意味が分からないなあ。僕は君に認めて欲しいんだよ。本当の君は、人を斬ることを悪い事だと思っていないよね? 生きる為だとか言い訳してるけどさ。本当は哀れな人達が君自身の手で救われることを、喜ばしいと思っているんだろう? そんなに綺麗な姿で、沢山の人を斬り続けてさ……」
その瞬間、彼女は男に斬り掛かった。図星を突かれてしまったと、心の底で思ってしまった焦りが出たのかもしれない。人を斬ることを悪い事だと思っていない。認めたくは無いが、確かにその通りだった。生きる為には仕方がないのだという理由を付けているが、結局はただの人斬りだ。自分に向かってきた人間を、哀れんだこともある。そこに、この男との違いは何もないのだ。
「動揺してるの? ……腕が震えてる。今の君じゃ斬ってもこのクズ達と同じだ。君の本来の力はこんなものじゃないよね……?」
男は軽々と彼女の刀を受け止めた。彼女は押し返すことが出来ずに、長刀の勢いに圧倒され刀を手放す。武器を失った体は思いのほか軽く、彼女の体は地面に投げ出された。
「私は弱者でも何でもいい! ……殺したいなら殺せばいい」
長刀が喉元に突きつけられる。彼女は臆せずに、毅然とした眼差しで男を見つめた。
「いいや、まだ斬らない。……次に会った時に答えを聞くよ。君は僕と同じだってことを。ふふ……次に会う時は味方だと良いね。君と一緒に斬るのも楽しいだろうなあ」
彼女が立ち上がるのを見届けずに、男は背を向けて歩き出す。
「私はあなたとは違う!」
彼女は起き上がって刀を持ち直した。口ではこういうしか無かったが、男の言葉にかき乱されているのも事実。可哀想な弱者を救うために人を斬る。そんな馬鹿げた考えがあっていい訳が無い。そう思っているはずなのに、全てを否定する論理を持ち合わせていないことをもどかしいと彼女は思った。きっと、弁舌でも彼を上回ることは出来ないのだ。
「また会いに行くよ」
男は彼女の言葉には答えない代わりに、振り返って嘲笑うかのような微笑を浮かべながらそう言うのみだった。
(20231129)