墓石は語る
「ミステリーツアーってこと、それ」
大学構内。気まぐれな男友達に呼ばれ、乙女は食堂に足を運んだ。奢ってやると言われたものの特に食べたいものもなく、値段の安いカレーライスを選んだ乙女に対して、彼は大盛りのご飯におかずを三品選び、運んだ。食べ盛りの高校生と遜色ないほど食べているのではないか、この男は。乙女はカレーライスを口に運び入れながら、彼の突飛な提案の詳細を尋ねた。
「そうだ。お前も来ないか。本当は地元の子どもを引き連れて行くはずだったが、どうも学校側の予定が合わないらしい。友人でも連れてこいと言われているのさ。場所は講義を受講している人しか知らない。ま、お前にとってはかなり大事な場所かもな」
何それ。口を尖らせる乙女に対して、彼はそれ以上何も言わずのらりくらりと彼女の疑問をかわすだけだった。
ともかく、彼の語った詳細は……肝心なところには触れられていないのだが、こういう事だ。講義の一環として行っているのだから、いわゆるフィールドワークと分類出来る。講義で集めた資料を元にして各地を巡るらしい。講義の受講者のみが詳細を知っているのだから、受講者が案内人となって行き先すら知らない客人のガイド役となる。遠足のようなものだと思えば、別に断る理由があるわけでもない。予定も空いているからだ。そう乙女は思ったのだが、引っかかるのは彼の言動だ。
大事な場所とは一体何のことだろうか。それに、なぜわざわざ自分に誘いを持ちかけたのだろうか。聞けば彼は特に他の人物に誘いを持ちかけているようではなさそうだった。
第一、彼と二人でこうして食事を取っているというのも奇妙な状況である。そもそも学部が違う。サークルや部活が同じという事でもない。
出会いから奇妙なものだった。たまたま構内を歩いていた乙女に、彼は声を掛けた。正確には、名前を呼んだ。だがそれは全く別の名前だった。そのため乙女は人違いだろうと応じなかったのだが、彼は執拗に話しかけ、気づけば連絡先を交換するまでに至っていた。
厄介な人間に気に入られてしまった。乙女はそう思ったものだが、時折こうして共に昼休みを過ごしている。彼の友人らしき人間には付き合っているのかとからかわれたこともあったが、そんな事は断じてない。第一、彼には付き合いの長い彼女が居る。別の大学に通っているのだと、ご丁寧に写真まで見せられたのだ。乙女が見るだけでも、お似合いであるとすぐさまに感じた。
はっきりいって、彼がなぜ乙女を気に入っているのかが分からないのだ。繋がる接点も感じられない。ただの男友達。ただでさえ気まぐれで何を考えているのか理解できない部分が彼にはある。今回の提案もそうだ。何を意図しているのか、彼女には全く読めなかった。
「まあ、そういうことだからな。また追って連絡する」
いつの間にかご飯もおかずも平らげていた彼は、颯爽と食堂を出ていった。一人残された乙女だったが、最後の一口を駆け込み彼女も食堂を後にした。
次に会うのはもう、「ミステリーツアー」当日になるだろう。乙女は次の講義室に向かいながらそう思った。それほどまでに、接点がない存在なのだ、あの男は。LINEの通知音が鳴りスマホを開くと、集合場所の画像が送られていた。ふらふらとしているように見えるが、以外に生真面目な男である。お礼のスタンプを送って、講義が始まるのを待った。
乙女の予想していた通りに、彼と会うことは当日までなかった。定められた場所に向かうと彼は既にそこにいた。乙女が思っていたよりも人数が多い。聞けば、大半は来年にこの講義を受けてガイド役を務める下級生らしい。
「私、場違いじゃない?」
「いや、そんなことはないさ。さあ、電車が来る。目的地に向かおう。お前が今日何か得るものがあれば……俺は、それを見たい」
相変わらず彼の言うことは、さっぱり分からなかった。電車に乗り込み、揺られること幾許か。乙女は行楽気分でこの旅に参加していたが、不思議と胸の高まりを感じていた。それはこの男と一緒に居るから……ではないだろう。そんな単純なことではなく、もっと心の奥深くに響く何かがあった。
「長洲町を代表すると言える、この金魚の館では…… 」
まさか県を跨ぐとは。遠足のようなはものとはいえ講義の一環なのだから、地元の史跡を巡るのだとばかり思っていた乙女は驚いた。この日のために、休日を使って実地を訪れていたらしい。講義で資料を集めていた成果なのか、どの学生も説明が上手い。乙女は行き先を何も知らないこともあって、それなりに楽しんでいた。
「どうだ、楽しいか」
彼はこそこそと、隙を見て乙女に尋ねる。しつこいくらいにだ。その度に彼女は楽しいのだと返す。昼食時にも、彼は乙女の傍で食べた。他にも友人が居るだろうに。なぜ自分と居るのか、やっぱり分からないのだ。
ミステリーツアーと題されているものの、ただの遠足などではなく、あくまで講義なのだと思わせるような旅路だった。神社や寺に次々と訪れ、歴史や文化を学ぶ。彼の説明も思いのほか分かりやすく、真剣に聞き入るほどだった。彼が話していたのは、古庄文書という文化財についてだった。安土桃山時代から江戸時代初期の検地帳であり、そこには乙女が住む柳川市からやって来て、この長洲町で没した女性が居たという記述もあるのだという。なぜだか分からないが、仄かに懐かしさを乙女は感じるのだった。
そんな乙女に明確な異変が訪れたのは、最後の目的地である、とある人物の墓を訪れた時だった。
「変わった形……」
指定文化財となっているその墓石は、上部に独特の楕円型の石が置かれている。初めて見るその墓に、乙女は瞬時に心を奪われた気がした。
「この墓は、立花宗茂公の夫人、ギン千代夫人のの墓で、上部の形がぼた餅に似ていることからぼたもち様と呼ばれている」
ぼた餅様。だが、この墓がそう呼ばれる理由はこれだけではないのだと言うことを、乙女は確実に知っている。
ぼた餅を愛した、勇ましいあの女性を、乙女は知っている。
「乙女。大丈夫か。少しこの場から離れよう。他の人達には俺から言っておく」
動悸が止まらない。涙がとめどなく溢れ出た。感じたことのない、おかしな感覚が乙女を襲う。頭が痛い。自分のようであって、自分のようでない記憶が思い起こされる。
彼の介助を受けて、その場を離れる。人目のつかないベンチに座った乙女は、全てを思い出した気がした。
そうだ、ここで祀られている女性は、そしてこの男は。
「わ、わたし……」
止まらない涙のせいからか、上手く喋ることが出来ない乙女に、彼は何も言わず、ただ彼女が自分の言葉で話せることを待っている。
「私、あなたを……ずっと前から知ってる。やっと分かった。……宗茂殿」
宗茂、と呼ばれたこの男は、乙女を宥めるように背中に手を当てながら、小さく笑った。
「やっと思い出したか。……」
男が呼んだ名前もまた、乙女のものではない。その名はかつて、男が乙女と初めて会った時に呼んだ名前だった。乙女という名前とは似ても似つかない。だが今の彼女には、それが何を意味するのかを十分すぎるほど理解出来た。
「……はい」
前世の記憶、というやつだろう。徐々に平静さを取り戻してきた乙女はそう思った。
自分はかつて、立花宗茂、立花ギン千代と共に戦場に立った将だったのだと。
栗が嫌いな宗茂の姿も、ぼた餅を作ってやると喜ぶギン千代の姿も、全てが明瞭に浮かんでくる。
ギン千代と共に、関ヶ原の地に立ったことも。敗北により、撤退を余儀なくされたことも。その撤退した柳川の地では、大津から帰還した宗茂、かつての敵島津と共に包囲の中で戦ったことも。
柳川の戦いでは、最終的に立花軍は柳川城に篭城したが、加藤清正の寄越した使者に応じて降伏、城を開城したということを、乙女は知らないままだった。
なぜならば、その戦いの中で乙女は死んでいたのだ。既に関ヶ原で深手を追っていた所だった。それでも最後まで戦って、散った。
「思い出せないのならば、それでも良いと思った。だが偶然にもこの地を訪れる機会が巡ってきた。だから俺とギン千代は、一抹の期待に懸けた。お前が俺たちを思い出してくれるだろうということ、お前は全てを思い出しても自分の生き様を呪わないだろうということを」
その目論見が当たった訳だ。そう言う宗茂に、自分の辿った末路を呪う訳がないと強く乙女は思った。
全て、自分で選択したことであるし、そこには後悔の念など無いのだから。
やっと、この男と初めてこの現世で出会った時から起こった出来事の、全ての辻褄が合ったような気がした。
「私は、あの日もあなた達と共に過ごしたことを悔いることなどなかった。全てが誇りだったから……ああ、もっと早くこの記憶があれば良かったのに。……あなたにも、ずっと複雑な思いをさせてしまった」
宗茂はずっと乙女のことを案じていたのだ。……きっと、それはギン千代も。
「前に見せてくれたのは、ギン千代殿の写真だったのね。早く、彼女にも会わないといけない」
幾多の死地を乗り越えた仲間だから。時を隔てた今でも、仲良くなれるだろう。きっと。
「……行きは電車だったが、実はこの近くにギン千代が車で来ている。お前が思い出したらのならば、彼女に会いたいと確実に言うだろうから。あいつもお前に会いたいはずだ」
「本当に!? ……ありがとう」
適当なようで、何でもさらりとこなしてしまうこの男は、間違いなくあの頃の立花宗茂と何も変わっていないのだ。
「……遅かったではないか。……私はずっと、待っていた」
「ミステリーツアー」が無事に終わり、乙女が胸をどきどきさせながらギン千代の車に乗り込むと、真っ先に彼女から発されたのはそんな言葉だった。
相変わらずの気品と強さを兼ね揃えた彼女は、やはり何も変わっていない。だが心做しかその声色には慈愛の念が含まれている。
「ギン千代殿……ごめんね、ずっと待ってもらっていた」
話したいことは沢山ある。今までの思い出、そしてこの現世に生まれついてから今に至るまで。だが、慌てる必要などないのだ。こんなに近くに居るのだから。
「ギン千代は、今でも甘いものが好きだ。ぼた餅だけでなく、ケーキもパフェも」
「なっ……いきなり何を言い出す!? 今はもっと他に話したいことが……」
あの頃と何一つ変わらないようだった。この不思議な巡り合わせは、何を意味しているのだろうか。
「じゃあさ、三人でケーキバイキングにでも行かない? 大学生は割り引いて貰えるって」
「まあ……行かないこともない。……三人なら」
「全く、素直じゃないな」
意味などあってもなくても、どちらでも良いのだ。ただ今が幸せならば。
乙女は二人の軽い言い争いを聞いて、笑った。あの頃みたいに、ぼた餅を作ってあげようかな。そんなことを思いながら。
(20240402)