狩りの土産は
乙女は、遠い未来からやって来たらしい。官兵衛が聞かされていたのはそれだけだ。

有り得ないことだ。信じられないことだ。官兵衛はそう思っていたが、彼女の奇怪な服装や言動を見聞きすれば、信じるしかない。

それだけだと思っていた。官兵衛は自分には関わりのないことだと思っていたから、彼女のことを考える暇などなかった。

それが一体どうしたことだろうか、官兵衛が九州に移封される折、彼女も官兵衛に着いてきたのだった。

秀吉は乙女を大層可愛がっていた為引き留めようとしたが、乙女は聞き入れなかった。官兵衛ならば構わないだろうとさて最終的には受け入れたが、やはり官兵衛には理解が出来なかった。

「官兵衛殿はさ、やっぱり優しいよ」

世迷いごとを。官兵衛は乙女にそう言われる度に、否定してきた。

火種を消すためならば何をすることも厭わない。冷徹無慈悲な人間。むしろ優しさの対極に位置するのではないかと官兵衛は自身を評価している。

この女は一体、自分の何を知っているというのか。常識すら通じなかった彼女が。

「何だかんだ言ってもさ、私を受け入れてくれるんだもん」

そう言って彼女は畳の上に転がった。

自由気ままだった。猫のようだと官兵衛は思った。

「私、官兵衛殿のこと好きだよ」

まるで猫が懐いているようだ。猫は時折、飼い主の手土産として自らが狩った鼠を持ち込んでくる。飼い主には下らぬものだと思っても、猫にとっては大事な贈り物だ。

彼女もそうなるのだろうか。何となくそうなる予感がした。らしくない妄想だと、官兵衛は自嘲した。



「ご隠居。今日は乙女の姿が見えねえが……どうしたんだ?」

武蔵もまた、官兵衛を慕っている人間だ。子の男も、官兵衛のことを優しい人間であるのだと言う。

さっぱり理解が出来ない。乙女とはまた違った意味で、官兵衛とは相容れないような性格を持つこの男は、不思議と官兵衛を受け入れている。

面白い男だとは官兵衛も思っている。だがやはり、この者の認識は誤っているだろうと官兵衛は感じている。乙女と同様にだ。

「朝から姿が見えぬ」

「いいのかよ、それ。放っておいても」

猫のようだったから、わざわざ探しに行くまでもないと思っていた。だが乙女は紛れもなく人間だ。

「そのうち戻ってくるだろう」

武蔵は何か言いたげそうにしていたが、結局何も発さずに官兵衛の前を辞した。足早に駆ける音がした。武蔵は不器用な男だが、愚かな男ではない。もしかすると、乙女を探しに行ったのかもしれなかった。

だが夜になっても、乙女は帰って来なかった。心がざわめく。官兵衛はそんな自分を認めたくはなかったが、認めざるを得ないようだと思った。

「ご隠居。乙女の居場所、分かったぜ。……海を、眺めていた」

官兵衛の予想通り、武蔵は乙女を探しに行っていたらしい。官兵衛は安堵したが、そこに乙女の姿はない。

「それで、あの者は共に居ないのか」

「暫くは独りにしてほしいだとさ。俺、心配だからこの後もう一度見に行こうと思う。何かあったら、守ってやんねえと」

武蔵の剣術は官兵衛も認めている。乙女の護衛としては十分すぎる程だ。

それにしても、何故海などに居るのだろうか。いつもは官兵衛を慕って離れようとしないのに、どんな心境の変化があったのだろうか。官兵衛は己が自覚している以上に乙女のことを考えた。

「ところでご隠居、海の上に炎が並んでたんだが、あれって何なのか……ご隠居は知ってるか?」

「炎?……不知火か」

「不知火?」

武蔵は九州の生まれではないから、馴染みがないのも当然だった。官兵衛ですら九州に来るまでは知らなかったのだ。

「竜神の灯火だという者も居る。近づけば消える、海に面して光る怪火だ。あの炎が見える日は、漁を禁じているようだ」

「……よくわかんねえけど。特に害はなさそうだな?」

官兵衛は頷く。

怪火と騒いでいる人間は多く居るが、きっと風が吹くのと同じで、本当は大した理由もないものなのだろうと官兵衛は思う。

元から現実的な思想を持つ官兵衛だが、乙女の影響もあった。

この世で妖怪の仕業だとされる現象の多くは、自然現象であるのだという。乙女は、未来の技術力を嬉々として語っていた。だから、特段騒ぐこともないのだろう。だからこそ、彼女が不知火を見ているのは意外に思われた。

「乙女を頼んだぞ」

「ああ!」

武蔵は再び、大きな足音を立てながら官兵衛の元を去った。騒がしいが、やはり嫌な男ではない。

きっと朝になれば戻って来ていることだろう。それこそ猫のように。官兵衛は筆を取り、執務の続きを始めた。だが、いつものようには集中出来ないような気がした。不思議だった。


「戻ってきたか」

次の日になって官兵衛が乙女の使っている部屋を訪れると、彼女はいつものように床に寝転んでいた。

「心配してくれたの」

起き上がって彼女はそう言った。

心配、していたのだろうか。言われてみれば、そうかもしれなかった。

「かもしれぬ」

「素直になれば良いのに」

「私は思っていることしか言わぬ」

本当かなあ。乙女が笑った。昨日のことなどまるでなかったかのように。

「昨日、何をしていた」

官兵衛は尋ねた。一日中海に居たのだろうか。

「海を見てた。武蔵さんも付いていてくれたし、安心できたかな」

「……それは何よりだが。何故海を見ていた」

なかなか話が進まない。もどかしいものだと官兵衛は思いながらも、不快ではなかった。

「不知火を見てみたかったから」

「あの、炎をか」

武蔵の言った通り、昨日は海に炎が浮かんでいたらしい。それよりも。

「卿は不知火を知っていたか」

官兵衛ですら、この地に来るまでは知らなかったのだ。何も知らないような顔をして過ごしている彼女がそれを知っているのは官兵衛を驚かせるものだった。

「うん。……私ね、未来ではこの辺に住んでたの。正確にはもう少し違うところなんだけど、私の居た時代では熊本っていう所」

「隈本ならば既に存在しているが」

乙女が住んでいたという未来の話を聞くのはこれが初めてという訳ではない。だが、彼女自身の身の上話はあまり聞いた覚えがなかった。彼女が九州に住んでいたのだということも、官兵衛は初めて知った。

「官兵衛殿のいう隈本とは字が違うんだよね。あんまり未来のこと言っちゃうと歴史が変わっちゃう……? のかな、よく分かんないんだけど、清正さんっているじゃん。あの人がね、字を変えちゃうの。隈って畏れるって字と同じだから、良くないってことで。もうすぐかな。字を変えるのは」

別に、未来の話は以前から聞いているのだから今更ではないかと官兵衛は思う。だが、確かにこれから行われる戦いがどうなるのかを知ってしまえば、後々の未来と辻褄が合わなくなってしまうことに繋がるのだろう。

「卿がそのようなことまで知っているとは……侮れないものだ」

何も考えていないように見える彼女の思慮深い部分に、官兵衛は感心した。同時に自分は何故未来のことを尋ねようとしなかったのだろうかと思うが、このようなことを聞きたい訳ではないということに官兵衛は気づき始めていた。

「まあね。それで私、熊本に居たから不知火の話も知っていた。けど、不知火ってあれ、本当は怪火でも何でもないんだよね。蜃気楼っていって、自然現象の一種」

「そのような気はしていた」

太陽が昇ることや海が波打つことのように。なんの変哲もないことなのだ。乙女の話を聞いて、官兵衛は答え合わせが出来たように思った。

「自然現象だと分かっていても見てみたくて。でも、未来だと見るのが難しくてさ。明かりで海は照らされいるし、海は汚染されてしまった」

「ならば、卿が私と共に九州に着いてきたのは……」

合点がいった。彼女が秀吉の制止すら聞かずに官兵衛と共にこの地にやって来たのは。

「不知火を見たかったから。ずっとこの日を楽しみにしてたんだ……でも、それだけじゃない。官兵衛殿の優しさに、もっと触れたかったから」

「私は優しくなどない」

「やっぱり、素直じゃないね。私のこと心配してくれてありがとう」

「……卿がそう言うのならば、そういうことにしておこう」

本当は気づいていた。

官兵衛は、彼女のことを心から案じていたのだ。彼女が居ない夜の、なんと心細いことか。

人の心などないのだと誹られても構わなかった。だが、人の心は残っていたのだ。

乙女は、猫のような彼女は。官兵衛に手土産をもたらした。

自らがまだ持っていた優しさに気づかせてくれたのだ。

「次の機会があるのならば、共に行くのも悪くはない」

「うん、……そうだね」

乙女がこの時代にやって来た理由や理屈は、誰も分からない。

彼女が猫のように消えてしまうまで、共に過ごす時間を作るのも良いのかもしれない。そう、官兵衛は思うのだった。

(20240428)
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