できるなら貴方の幸福にだけなりたかった
※5のストーリー準拠の話。


「あんたやっぱり生きてんだ、本当に最悪だね」

屋敷の入口で振り返った乙女は、恨めしげな目を勝家に向けた。勝家は何も言ってはいない。それでも、最後に見た彼と何ら変わりはないその姿に乙女は益々怒りを募らせた。

「あんたのせいでめちゃくちゃだ」

「待て、俺もただお前の顔を見に来たわけじゃねえよ」

早足で歩く乙女を慌てて勝家は追いかける。床を歩く足音は普段よりもよく響いた。乙女が怒りのままに足先にも力を入れているのは勿論、勝家も忙しなく音を立てている。周りの視線は二人には入っていない。

「よくも私の顔に泥を塗ったな。戦場で殺してやりたかったくらいだ」

乙女が向かったのは自室ではなく客間だった。小姓に茶を運ぶように彼女は命じたが、それがただならぬ様子だったので彼は怯えながら廊下をばたばたと歩いていった。

勝家からすれば、それだけ不機嫌でありながらも一応のもてなしの姿勢を崩さない姿勢が乙女らしいと感じるのだが、今はそんなことを考えている場合ではない。乙女がここまで憎悪を顕にしている姿を初めて見た。それも勝家自身の行動による結果だ。乙女は相変わらずの愛想の悪さで、勝家は大の男ながら既にその雰囲気に気圧されている。

一方乙女からすれば、勝家は最早憎い男へと成り下がった存在だった。

元々彼の元に嫁ぐつもりでいた。合意したはずだったのだがら勝家は先の騒乱で信行方に与した。乙女の実家は信長方に味方したため、そこで両者の縁談は取り下げられた。乙女からすれば、彼は織田家の恥だというだけの問題ではなく、自分の名誉を甚だしく傷つけた性根の悪い男なのだった。

乙女は稲生の戦いで奮戦する勝家を見た。初めからこの縁談など目に入っていないように見えた。それほど彼の判断には迷いがなく、乙女のことを少しのうちでも頭に入れることなどなかったかのようだった。

「……その事だ、だから俺は、」

「あんたが何を言おうと、一旦破談した以上あんたの妻にはならない。よくも私の前に顔を見せることができたものだな」

「俺も腹を切ろうとした。咎められなければそれで汚名を雪げるだろうと。お前は俺なんかよりも相応しい男がいるはずだからな。だが俺が生きようと願ったわけでもなく、ただ生きることへの許しを得た。これは俺の意思じゃあない」

「それが一番気に入らない。あんたのその、己自身からから逃げようとし、今起こっている状況は不可抗力だと言いたげな面。二度と顔を見せるな」

なぜ信行だけが死に、勝家は生き永らえているのか。乙女はその経緯を、直接聞くまでもなく知っている。信長がそう望んだからだ。そしてお市もまたそう言ったのだという。

なぜ妻となるはずだった自分がそれを祈ることができなかったのか。乙女はやり場のない気持ちをただ勝家にぶつけることしかできずにいる。

「……お前はそう言うと思ったが。俺は今でもお前を娶りたいと思ってるぜ。生かされたこの命の使い所を、求めてるんでな」

「適当なことばっかり抜かして。本当に最低な男。あんたは私のことをどうとも思っていない。昔からそう、お市様といるときのほうがよっぽど生気があることくらい、私にも分かる」

乙女は立ち上がって、勝家の頬に平手を打った。ぱん、と乾いた音が部屋に木霊する。勝家は頬を抑えることもなく、乙女のこともろくに見ないまま静止している。乙女がそのまま部屋から出ても勝家はまだそこにいた。追いかけることもしないまま姿勢を崩さずにいる。やがてやってきた小姓が乙女の足早に歩を進める姿を見てぎょっとした。急いで勝家に茶を出したが勝家は結局茶も固辞してしまった。彼はそれ以上何もしないまま屋敷を出た。乙女へと持ってきた手土産も渡せずじまいだったが、小姓に渡すこともしなかった。








乙女は結局、誰の男にもならずにいる。勝家はお市の護衛だとかで、乙女と顔を合わせることも少なくなっていった。

その勝家はお市が浅井に嫁ぐのと同時に、浅井へ士官したのだという。それを易々と許す信長にも乙女は不快感があった。仮に浅井が裏切ればあの男の立場はどうなるのだろうと。

そして、その予感は的中する。金ヶ崎で浅井は織田に反旗を翻した。乙女も命からがらで他の将と殿を務め逃げ帰った。勝家は織田に戻る事もなかった。

「乙女殿」

「何ですか、光秀殿。あなたは朝倉義景と縁があると言う。次の戦では彼らと相対するでしょうが、覚悟はおありで?」

「それを言うならあなたも、でしょう」

「勝家のことはもう過ぎたことです。あの男が生きる理由として一度も私を選ばなかったあの時から、私たちは破綻していたのです。……いや、破綻するようなものすら、最初からなかった、か……」

人にはそれぞれ、役目と立場がある。勝家は信行に付くだけの大義を自らに確立していた。彼の義は乙女の為にはなかった。だから、信行の為に腹を切ろうとした。彼の死によって乙女への誹謗も防げるだろうという考えは、乙女からすれば詭弁だ。本音がそこにないということは分かっていたのだ。信長は勝家に生きろと言った。お市の為に。そうして彼はたったそれだけを拠り所としている。勝家は一度も乙女の名を呼ぶことはなかった。

「俺は、今の俺が間違っているとは思いません。ですが義景様に刃を向けるのは……まだ、迷いがあります。あなたもそうではないのかと、勝手に思っていました。ご気分を害されたのならば、申し訳ない」

「いや……光秀殿の指摘はあながち間違いではありません。稲生で殺せば良かったなんて思ったこともありますが、私にとってあの男は唯一無二の存在だったのです」

「乙女殿……迷いは断ち切るべきだと思っていても、そう上手くはいかないもののようですね」

「はい……私は、本当は……あの男はまたいつか帰ってくるのだと、酷い態度を取ったにも関わらず思ってしまうのです。ただ私はあの男の幸福になれなかった、婚期を逃した惨めな女でしかないというのに」

信長が自身を愚弄した浅井、朝倉に反撃の狼煙を上げるまではあと僅かだった。

せめて、自分の手で片をつけようと思った。苦しくてもそうせねば気持ちの整理はつきそうになかった。





勝家は浅井滅亡後、お市と共に織田に戻ることとなる。彼の体には二度と癒えることはないだろう刀傷が残っている。それは乙女が小谷で一矢報いたものだった。そうして血反吐を吐いた勝家の背中を、乙女はついに見逃したのだった。



乙女は誰のものでもない。

(20251016)
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