夢のなかの私はやさしいですか
船の上の戦は、陸で行うそれとはまるで勝手が違う。乙女の仲間である雑賀衆に属する者のうち、元を辿れば漁民だった人間は数多くいる。日常の中に海が存在している人間は、海上戦であっても鉄砲を巧みに操っていた。だが乙女はそうではなかった。海の上で戦うのはこれが初めてだった。
戦いの目的である、本願寺に兵糧を運ぶということは既に達した。大坂の海賊衆を撃破したのは毛利の力だけではない。彼らに雇われた雑賀衆の働きも大きかった。信長はまた攻めてくるだろうが、要である本願寺の瓦解は避けることができたと言える。
しかし、乙女は勝利の喜びを味わえないでいた。
「……船に揺られながら戦うのがこんなに辛いなんて」
酷く乙女は酔っていた。歯を食いしばって耐えながら銃を撃ち、接近戦となれば刀を用いて敵を斬っていたものの、終わったとなれば溜め込んでいたものが一気に込み上げてきたのだった。体調は芳しくない。陸に上がってからも乙女は海の上にいる気分を強いられていた。
「……その、大丈夫、なのですか」
早く孫市と合流しなければいけないというのに。乙女は一度はその声を無視しようとしたものの、首を振って声のした方を見て乙女は良くも無視をしなかったものだと思った。首を振った拍子に頭がぐわんぐわんと揺れる。
「輝元殿。私なんかに構う余裕はないはずでは」
乙女の声は明らかに普段の覇気がなかった。輝元は小走りで駆け寄る。若き毛利の当主は傭兵風情をも気にかけるか。乙女は自分が情けなくなった。格上の人間にこう話しかけられるのは乙女の苦手分野だ。
「そんなことはありません! 乙女殿の協力がなければ我らの勝利はなかったでしょうから。その功労者を見捨てるなど私はできません」
輝元は乙女の腕を取って自らの肩に回した。少し癪ですらあったが、抗えぬまま輝元を支えにして乙女は歩く。「孫市殿はあちらにいるはずです」輝元の言葉に、こくりと首を揺することしかできなかった。
見るからに純粋無垢。お人好しで、人を疑うことを知らなさそうな目。あの謀将の孫とは考えがたい男だと乙女は思った。こうやって一人に肩入れしても、後に辛い思いをするのは彼なのだ。使い捨ての命なのだから、放っておいてもよいものを。乙女はそう思いながらも、彼の体に体重をかけながら歩いていた。ここが室内なら、思い切り寝転がっているところだ。
「……輝元殿」
「はい。何でしょう。私にできることなら何でも仰ってください」
「私、この戦で役に立ってました?」
「何を仰るのです。あなたは鉄砲を撃つ技術に優れていますし、鉄砲を封じられても刀で応戦していたではありませんか。あなたの勇姿に心づけられた毛利の兵も、沢山いるはずです」
「……そっか。役に立ったか」
「そうですよ。……ですから、戦の功労者をこんな所で見捨てるわけにはいきません。私はあなたを尊敬しています。直接共に戦ったのは今回が初めてでしたが……あなたのような方が、ずっといればいいのにと思ってしまいました」
「自分で聞いといてですけど……なんだかすごく嬉しいかもしれません。そんなに褒められたことなんて、今までありませんでしたから」
気分の悪さが吹き飛びそうなほど、輝元の褒めは乙女の心を踊らせた。
傭兵は、報酬の分だけその戦果を挙げる。それは孫市の方針だった。孫市は正直に生きる男だ。積まれた金が少なければ適当に戦う上、乙女にも適当な指示を出す。そんな生き方も良いと乙女は思っているものの、彼の命令以上に真面目に戦ってしまうことがしばしばあった。どうせ次に会う時は敵かもしれないというのに。
そんなことばかり考えている乙女が、自らの働きについて輝元に尋ねたのは。自分の蝙蝠のような生き様を少しでも肯定してほしかったからだ。彼のようなお人好しなら、自分の望む言葉を言ってくれるような気がした。そして、その目論見は成功している。
「孫市殿はあちらです。本当は最後までお供したいものですが……」
遠くで輝元の名を呼ぶ声が聞こえる。輝元は今や毛利の当主なのだ。むやみに勝手な行動をして許されるような立場ではない。元より乙女は自分の力で歩くつもりだった。今別れたところで痛手にはならないだろう。乙女は輝元の肩から腕を下ろした。
「少しの間でしたが、随分と楽になりました」
輝元と話していたおかげで気は紛れた。乙女が振り返ると、彼の家臣が急いでこちらに向かってきているのが見えた。
「本当ですか……! 良かったです。また、共に戦えるのならば嬉しいです。あなたからは沢山のことを学べました」
「……次は敵かもしれませんよ。情勢次第、そして頭領の考えにもよりますが」
「例え敵でも、あなたの勇ましいお姿を見られるならば私は嬉しく思います」
楽しげに話す輝元を見ていれば見ているほど、彼が殺伐とした戦に従軍する様子がどうしても結びつかないと思う。乙女も彼が戦う姿をはっきりと見ていたはずなのに。傷つけるべきではないと否応にでも思わせられる力がある。傭兵に肩入れするべきではない。そもそも、そんな余裕などない。乙女はそう輝元に説いたはずだったが、その反面乙女は輝元への義理を確かに立てようとした。
「今回の借りもある。敵だったら、輝元殿のことは見逃します」
「構いません。手加減は無用です!」
「私の戦いを見たのならば、私の言葉に従うのが懸命だというものですよ」
船酔いは醒め始めていた。輝元はまだ若い。彼には少々危ういところがある。まだ未熟だ。しかし、乙女はすぐにその考えを撤回することとなった。
「知っています。私はあなたに討たれるほど弱い人間ではありません。今は毛利と雑賀衆は協力関係にありますが……その気になれば、私はあなたを簡単に謀殺することすら可能ですよ」
「そう出ますか。あなたにしては意外だ」
「今のあなたは、私のことを見くびりすぎていますから」
腐っても毛利元就の孫で、あのおっかない叔父二人の養育を受けているだけある。少年の面影を残しつつもその腹までは純白ではない。乙女の背にぞくりと、戦場にいるかのような震えが走った。彼は普段と何も変わっていない、はずなのに。
「では、敵として邂逅したならば、存分にもてなすとしましょう」
乙女は苦笑してそう言うしかなかった。輝元への恐れを誤魔化すことで、自らをも守ろうとしたのだった。
輝元は一礼して、声のした方へと歩いていく。
まだ、毛利と雑賀衆の縁は途絶えていない。だが一度は本気で輝元と戦ってみるのも良いと思った。腹の黒い男の胸の内を読み、たった一発の銃弾で地に沈めることは乙女の十八番だ。乙女は輝元が臣下とともに去っていく後ろ姿を、見えなくなるまでじっと見ていた。その背中は、撃てるものならば撃ってみろと語りかけているように思えた。
(20251012)