繋げない手の慰めに
瀬名に仕える乙女という女は、主君とは異なり着飾ることを好まず、また戦には従軍するものの常におどおどとしていて、中々戦果を挙げることができないでいた。彼女が懸命に鍛錬する様子を瀬名も見たことがあったが、特段変な構えをしているわけでもなく、それだけを見れば瀬名にも及ぶほどの気迫と実力があるように見えた。瀬名にもそんな乙女が戦場で怯える理由が分からずにいる。
自分に自信がないということは、日常においても戦場においても大きな弱点となりうる。その点、瀬名は自らの実力と美貌に誇りを持っていた。自らが輝かなければ、臣下にも示しがつかないと強く思っているのである。堂々と振る舞うことで、上に立つ人間としての自覚がより増すというものだ。事実、瀬名の高飛車ともとれる態度とそれとは裏腹な面倒見の良さ、そして男であっても顔負けの武勇は家中でもよく称えられている。対して乙女は、そのどれもが瀬名とは真逆と言って良かった。
「ちょっとあんた、どこに行こうとしてるのよ」
乙女がふらふらと歩いているのを見かけて、瀬名は慌てて彼女の目の前に立った。刀は手放さずに持っているようだが、どうも一人にするには心細く見えた。
「買い物です」
「……あたしも着いていくわ」
「こんな雑用、私一人でできますから」
「なんだかあんた、危なっかしいのよ。普通なら一人でできるようなこともできないんじゃないかって」
「確かに、そう思われるのも無理はありません。……というのも、最近寝不足で。瀬名様以外からの頼まれ事が妙に多いのです。瀬名様は何も心配しなくていいですから」
「……あたしがあんたのことを護衛するから。やっぱり一人にはできないわ」
「瀬名様に守られるなんて恐れ多い」
「あんたはあたしに仕えてるんだから、あたしの言うことを素直に聞いていればいいの。分かるでしょ?」
「……そうですね。その通りにしましょうか」
頑なに瀬名の同行を拒もうとする乙女だったが、結局瀬名の圧に耐えられなかったのか最終的には共に城下に行くことを受け入れたようだった。
乙女は適当な半紙に書いた細い文字を見ながら、買い物をしている。これらがなぜ必要になるのか瀬名にはさっぱり分からなかったが、尋ねようとも特には思わなかった。
「せっかくだし、あんたが使うものも買ったらいいじゃない」
乙女を見る限り、ろくな化粧道具すら持っていないのではないかと瀬名は踏んでいた。何となくの気持ちでそう言ったが、乙女は常のように自信なさげな顔のまま首を振った。
「……お金、必要な分しか持っていないので。それに、何を買うべきなのかも分かりません」
まどろっこしいわね。瀬名は乙女の煮え切らない態度が気に入らない、はずだ。彼女の気質は根本的に合わない。だが、なぜだか世話を焼きたくなる衝動に駆られた。
「ちょっと待ってなさい。いい? ここで大人しく待ってるのよ」
「小さい子じゃありませんよ。そんなに言い聞かせるようにしなくても」
「もう、そういう所は生意気なんだから! 本当に、ここから一切動くの禁止よ」
普段は気弱にしている癖に、一丁前に主君に対して口答えする乙女を見て、瀬名は苛立ちを募らせた。とはいえ本当に怒りに燃えているわけでもなく、今となってはどうにかして乙女が堂々と城を、城下を歩く姿が見たいという一心であった。そして、戦場でも自分と同じように活躍してほしいとすら感じるのだった。彼女は磨けば光るはずなのだ。
瀬名も急に思い立って乙女の買い物に着いてきたため、あいにく持ち合わせは少ない。何かを買い与えたところですぐに乙女が生まれ変わるとは到底考えられなかったが、ないよりはマシというものである。瀬名は急いでとある店へと向かった。
「ほら、これ。あんたに」
瀬名が乙女へ送り物を渡そうと舞い戻ろうとしたその時、ふいに通りすがった男が懐から短刀を取り出すのが見えた。そして、それは瀬名へと向けられている。
殺られる。護衛の兵も引き連れずに無防備に出歩いたのが仇になったか。咄嗟の判断で、瀬名も護身用に隠してあった小刀を取り出した。刹那の攻防が始まろうとしている。
「瀬名様……」
乙女は彼女の名を呟いた。……だけかのように見えた。こっちに来ちゃ、あんたがやられちゃうでしょ! 護衛代わりになると啖呵をきった手前、そのような最悪の事態は避けたかったのだ。
しかし、瀬名を庇うかのように見えた彼女の腕は気づけば男の首に巻きついていた。身長がそう高いわけでもない彼女がそうする事ができたのは、男が腰を抜かしてしまったからだ。そこまで男を追い込んだのも乙女に違いない。大方、膝の裏を蹴って姿勢を崩したのだろう。おまけに彼女が帯刀していた刀はいつの間にか抜かれ、男の首に突きつけられている。男は恐怖のあまり自らの短刀を手放す始末だった。
「な……」
男もこの一瞬の間に起こったことを整理できていないようだった。乙女の顔を見あげ、そして首元の刃を見て冷や汗をかいた。
「殺したほうがいいですか」
乙女は口ではそう冷酷なことを言いながらも、いつもと変わらぬ、人を殴ることにも躊躇しそうな怯えた態度をこの男にも向けている。だが彼女のその行動に、瀬名でさえも肝が冷えそうになった。
「……あたしを狙った理由を問いたださないといけないわね。どこかに縄を持ってる人はいないかしら!」
往来のど真ん中だったこともあり、騒ぎを聞きつけた人が瀬名の言葉に応じて縄を持ってきた。その間も乙女は律儀に刀を男へと向けたままだ。
結局瀬名と乙女は、その後瀬名を狙った刺客の処理に追われ、瀬名は自らの所持金をはたいて買った贈り物を渡す機会を逃してしまうのだった。
翌日、瀬名は改めて乙女に問うた。
「あんた、本当はやればできるじゃない」
実際、昨日のことは瀬名でさえも目を見張る活躍だった。まぐれでもなんでもなく、実力がないと不可能な芸当だった。
「……初めてです。自分があんなに動けるなんて。でも、あの時のために私は今まで頑張ってきたのだと思います。夢が叶いました」
「夢?」
「瀬名様を守るということです。あなたのためなら、私の命なんか捨ててもいいと。戦場で怖気付いて動けないながらもずっと考えているのです」
「あたしはむやみやたらに散っていく人は好きじゃないわ」
「分かってます。今までの私なら捨て駒扱いをされても喜んでいたでしょう。でも、目が覚めました。昨日みたいに、瀬名様のことを守って、自分もまた瀬名様と並んで帰りたい。それが新たな夢です」
あれだけのことをやってのけたというのに、だ。乙女は昨日買い物に行く前にそうしていたのと同じように、瀬名とあまり目を合わそうとしない。胸を張って、威張り散らすことだってできそうなものだというのに。
「あたしと並んで帰りたい、ね」
瀬名は乙女の頭をぽんと叩いた。びくりと肩を震わす彼女を見ると、まるであの時とは人が違う。あの瞬間だけ別人が憑依していたかのようだ。
「……瀬名様……?」
乙女は長身の瀬名を、訝しげに見上げている。
「あたしの後ろに立つだけでなく、あたしと並んで帰りたいのならば。武を磨くだけでなく、自分を磨くことも大事にしなさい?」
瀬名はそこで、やっと渡しそびれた贈り物を懐から取り出した。
「確かにそうかもしれませんけど、私、何も持っていないので、」
「あたしのお古でよければ、着物だってなんだってあげるわ。でも一つくらいは、ちゃんとした物があった方がいいでしょう? ……髪を整えるのも怠っちゃダメよ」
乙女が手渡されたのは、簪だった。
「ありがとう、ございます。でもこんな、」
乙女はきっと、こんなもの受け取れないとでも言うはずだ。瀬名はその言葉を遮って口早に言う。
「それがまず一歩。あたしを頼っていいから、もっとあんたは自信を持ちなさい。実力と素材は十分なんだから。昨日のあんたは、一番輝いてたわ。でも、あたしの隣に立つにはまだまだよ」
「……はい」
瀬名の語気は強い。それゆえに誤解されることもある。しかし、乙女は瀬名のその気質も分かっているようだった。簪を見て、乙女はやっと瞳を逸らさずに瀬名を見上げる。羨望と、それ以上の歓喜を味わっているようだった。
「それでよし。……昨日は、本当にありがとね」
あれから二人はずっと慌ただしくしていた。ずっと二人でいたとはいえ、瀬名はろくに乙女へ礼を伝えることすらできないでいた。改めて乙女にその感謝を伝えると、彼女はまたもや視線を下に落としてしまった。
「……礼を言われるようなことはしていませんよ」
変なところで謙遜する。これでは要らぬ敵を作ってしまいそうだ。瀬名は乙女の未来がまだまだ前途多難である予感をひしひしと噛み締めながらも、この自分とは正反対の臣下をどうあっても手放したくないと思った。
(20251008)