がんばってくると君が云うから
※元ネタは勝頼がモブ時代のクロ2内におけるイベント「勝頼初陣」夢主はクロニクルシリーズにおける歴戦の勇士的な存在。



勝頼の初陣が間近に迫っていた。乙女にとって彼は、まるで友人の息子のような存在だった。

各地を流浪し、やがて武田に身を据えてから長い時が過ぎた。信玄に仕えているわけではない。乙女は正式な臣下ではなく、昔から今も変わらずずっとしきたりに縛られることもない牢人として生きている。信玄のいたって現実的な考え方と、戦場ではただ強さのみを示すことを重視するその姿勢は、そういった立場の乙女にとって心地よいものだった。

気が済めばまたどこかにさすらう。部下を持つことも責任を背負うことも乙女は嫌いだった。だからいつかはまた敵対するだろうなと乙女はかつて信玄に言ったが、そうもいかなくなってきたのは勝頼のことをずっと見てきた結果だった。

その出自から、呪われた子だと家中ではあだ名されている男だ。母親は自らの父を殺した信玄のことを大層恨んでいる。いずれ勝頼は武田に牙を剥くと噂されている様子を乙女は何度も見た。だが勝頼はそんな憶測に反して、父親のことを心底尊敬している。父親のように強くあらねばと常々研鑽している。母親とも父親とも似つかぬ青年だった。

「一体誰に似たのか」 乙女が信玄に対して冗談めかして言った。信玄にそのような態度をとれるのは乙女くらいだ。信玄は「お前の背中を見ているのだろう」 と呟いた。「それにしては、勝頼は些か優しすぎるな。あんたにも私にも全く似ていない。きっと人をたった一人殺すことにも躊躇する」「だが、命を惜しまぬ馬鹿どもよりはマシだ」「あんたも父親だな。あいつを見る目は女を見るよりも優しい」信玄は納得がいかない様子だった。

乙女は勝頼に何もしていない。ただ彼のことを一歩引いた位置から見ているだけだ。乙女は何も干渉しない。彼の教育は勿論のこと、政治にも軍事にも。乙女ができるのは戦で人を殺すこと、そして生き残ることだけだ。

「乙女」

勝頼が乙女に駆け寄って来た。戦前であったが、いつもと変わらない様子だった。ここで怖気付くようではどうしようもない。乙女は汚れのない勝頼の鎧を見る。兜を見る。人を殺すことをまだ知らない、汚れなき瞳を見る。虫一匹殺すことすらできないような顔をしているような男が、良くここまでやって来たものだと乙女は思った。

「随分と余裕そうだ。安心した」

「……そのように見えるだろうか。それは良かった。お前や父上に無様な所は見せられないからな」

「内心は、心の臓が飛び出しそうとでも?」

「いや……今はただ、先のことを考えるのに精一杯なのだ。むしろ、この瞬間の私自身のことなど最早気にもならぬ」

「だが、わざわざ私のところに来たのだ。何か思い悩むところがあるのだろう」

勝頼は遠慮がちに、口元を手で隠しながら笑った。昔はもっと子供らしい笑い方をしていたような気がする。牢人風情に何を謙る必要が、隠す必要があるというのか。だがそれも、家中で事を荒立てずに済ますために培われたものかもしれない。乙女は、信玄は父親失格だなと思った。いくら父上としての目を、その仮面の奥から向けていたとしてもだ。勝頼が善良な人間として育ったのは信玄のおかげでも何でもなく、勝頼という人間が生まれ持っていた気質のおかげなのだろう。大体、自分が殺した男の娘をわざわざ嫁にするなど信玄はどうかしている。家中では反対の声があったというが、それも当たり前だ。

だがそれでも勝頼は、仮に乙女が信玄を謗ろうものならば自分のことのように怒りを顕にするのだろう。やっぱり、父親にも自分にも似ていないと乙女はかつて信玄に言った言葉を思い返した。

「……そうだな。私はたった一つだけ、戦いの前だというのにも関わらず答えを見いだせぬ問いを持っている。私では導き出すことなどできないものだ」

「その答えを欲していると。別に私でなくともいいだろう」

「戦に臨む心得が知りたい。父上と、いや父上以外の将とも共闘し、刃を交えたお前の言葉が欲しい。お前だからこそ知っていることを」

「ふ、私を買い被りすぎだ」

「いや。そうは思わない。何せ、父上もお前の活躍についてよくお話されている。その話からも学ぶことが多いのだから、お前自身の言葉なら尚更だ」

「……信玄が。あの男は私を一度も囃さないが。勝頼には言っているのだな」

悪い気はしなかった。戦の心得について、乙女は相応しい言葉を持ち合わせていない。だがその言葉が一時でも気休めになるのだとしたら、それらしいことを言わないわけにはいかない。勝頼をここで生き残らせることは、それがそのまま日頃抱えている信玄への恩を返すことにもなるだろう。

「そうなのか? 父上はお前のことを本当に信頼しているし、お前もそうだとばかり……」

「言葉にせずとも、信玄が私の力を買っているのは分かる。……こうも言えるだろう。なぜ私はあの男に重宝されているか、分かるか?」

「……戦場における働きだろうか。お前は武勇に優れている。父上だけではなく、皆その力を頼りにしていると聞いている」

「まあ、それが一番だな。私の取り柄はそれしかない。しかし、もっと大切なことがある。生き残ることができているということだ。私は多くの人間の死を、あの男の近くで見てきた。信念の為に死ぬものではない。死に花を咲かせるものでもない。生きてことを成すことが全ての礎だ」

勝頼は真剣に頷いた。今はまだ、彼は信玄の息子の一人に過ぎない。それも、この武田に災いを成すとまで言われてきた「呪われた子」だ。だが、乙女はそんな勝頼が跡継ぎではないのだから、と命を簡単に捨てるような真似をすることを望まなかった。彼にはまだ乗り越えねばならぬことが残っている。そんな気がしてならないのだ。





「お前が四郎に講釈を垂れるとはな」

「勝頼から尋ねられたのだから、答えないわけにはいかない。それに、私の言った言葉は正しかっただろう。あんたは嫌いだからな。信念を示すと称して、簡単に命を捨て無様な死に様を晒すような輩が」

「そうだ。己の信念などという綺麗事の為に我らは戦っているのではない。強者であるには、常に勝たなければいけない。勝つということは、即ち生き残るということ。命を惜しまず名を残せばよいとばかりに玉砕するのは愚者のすることだ」

勝頼は戦果を挙げ帰還した。世の中には初陣で命を落とす者もいる。勝頼が自らの出自と立場に悩み自暴自棄になってしまう可能性も乙女は考えていたが、そのような心配はいらなかったようだった。

「せっかく勝頼が己の手で道を切り開いたのだ。あんたからも褒めてやればどうだ」

「四郎は俺よりもお前の言葉を欲しているだろう。早く行け」

「しょうがない。ま、心配せずとも褒めてやる」

勝頼と違って、信玄は昔から何も変わっていないと乙女は思う。高圧的で弱者を蔑む反面、戦場で簡単に命を捨てることを忌み嫌う。どうも生きにくい人だ。乙女が知らないだけで、彼を恨む人間は多くいるのではないか。……あの側室の他にも。

こんな人間が多くいる武田で成長した勝頼は稀有な人間だと思うし、今ではあのようなまでに純朴に育っている。それを見てしまうと、呪われているどころか何かしらの祝福を受けているのではないかとさえ感じるのだ。

乙女が勝頼の元に行くと、彼の鎧や兜は砂埃や血で汚れていた。血で汚れていても、遠目からではその鎧の赤を一層際立たせるだけだった。

「……ありがとう。私は無事に役目を果たすことができた」

勝頼は薄く微笑んだ。戦を終えても彼の優しさは失われていないようだった。世の中には戦をまるで娯楽であるかのように楽しむような戦狂いがいる。本人は戦う理由を清き世の為だと言ってはいるが、越後の龍は正しくその代表格だろう。しかし、どうやら勝頼はそうはならなかったらしい。

「無事生き残ったか」

「お前のおかげだ。あの言葉があったから、私は名を惜しんで敵に向かおうなどとは思わなかった」

私の言葉などではなく、元来持っていたお前の思想そのものだろう。きっとお前は、私の言葉がなくとも同じことをしていたさ。乙女はわざわざ言うのも野暮だと思って、代わりにある提案をした。

「勝頼。兜を脱いでみろ」

「兜を……? あ、ああ。これで良いのか?」

乙女はにっこりと笑って、勝頼の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。柔らかい髪が乱れていく。

兜を持ったまま立っている勝頼は、驚きで声も出ないようだった。やがて乙女と同じように、嬉しそうに顔を綻ばせた。勝頼は両手で兜を抱えているから、戦前そうしていたように口元を手で覆うこともできずにいる。

「……恥ずかしいな。私はもう子供ではないというのに」

「きっとお前は、自分が思っている以上に大成する。けれど、今日のことを忘れてはいけないよ」

「ああ、乙女……お前の言った言葉なのだ、大事にしないわけがない」

元々乙女は武田に長居するつもりなどなかった。弟子という体で信玄と共に戦場に立ち、剣を振るってきただけだ。だが今は、武田のこの先を見届けたいと思うまでになっている。彼が本当に呪われた子のままであるのか。それとも
祝福を受けた子であるのか。それを知るまではここにいるべきなのかもしれないと。




信玄の嫡男である義信が廃嫡され、勝頼が武田の跡継ぎとなるのは、彼の初陣から僅か数年後のことであった。乙女はまだ、武田と共にある。


(20250930)
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