君がいるならいい夢だよ
付近に踊り子の一座が滞在しているらしい。清正は正則に連れられて彼女達の舞を見に行った。確かに美しいが、特段その魅力は分からなかった。
「清正あ、何夢中になってんだよ! あ、もしかしてあの娘にでも惚れたか?」
正則が小声でからかってきたのを横目で見ながら、清正は彼の鳩尾を肘で軽く小突いた。踊り子に見惚れているのはむしろお前のほうだろう、と言いたいのを清正は堪える。
「そうじゃない」
「じゃあ、なんだよ? ずっと同じところを見てるから、てっきり好きになっちまったのかと思ったぜ。でも確かに、お前はおねね様みたいな女の人のほうが好きだもんな」
再び清正は正則を小突く。彼の誘いに乗ったことを清正は後悔した。一人だけで行ってこいとでも言えば良かったと。
踊り子は露出の少ない布に覆われた衣装を纏っている。確かに清正の敬愛するねねとはその衣装も体躯も異なっているが、別にそのようなことを考えているわけでは断じてない。ある女の長い袖から時折見える白い腕。他の女とは違いぐるぐると包帯が巻かれているのだ。加えて、そこには薄らと血が滲んでいる。相当な怪我かもしれない。それにしては動きにぶれはなく、他の女に違わぬ動きをしている。
「あの娘。他の踊り手とは違う」
清正は小声で正則に言った。彼に言ったところでまともなやり取りができるとも思えなかったが、仕方がない。正則にこれ以上恥ずかしい大声を出させるよりはましだ。
「何が違うんだよ」
「怪我をしている。踊りに支障があるようには見えないが」
「なんだ、それだけかよ」
「……」
正則には言わなかったが、清正はその女に既視感を感じていた。どこかで会った気がするのだ。だがその正体にはたどり着けなかった。舞を終えた踊り子たちは、対価として観客に金をせびる。正則は結局夢中になって、持っていた有り金を全て差し出そうとしていたが、清正が止めて適当なところで引き上げさせた。
彼女たちの生活の足しになるものであり、決してその金は無駄になるものではない。だが自分の生活を蝕むほど金を渡すのは破滅への一歩だ。清正はそうやって一歩引いたところから彼女たちを見ていたつもりだったが、どうしてもあの女のことが頭から離れなかった。
暗い夜道を歩いていた清正は、何か重いものがどさりと倒れるような音を聞いた。普段ならば何も気にしなかっただろうが、ふと気になってその音が聞こえた場所に向かう。そこは光の届かないような路地裏だった。月明かりがないと何も見えないような場所だ。そこに立って、清正は目を疑った。血を流した男が倒れている。男をそうさせたのはそこに立つ女だ。
「……お前」
女はあの踊り子だった。舞を見た時とは打って変わって、動きやすい軽装をしている。右腕に巻かれた包帯のおかげですぐに分かってしまった。
「見られてしまいましたか」
女は小刀を清正に向けた。だがそれ以上の気はないらしい。小刀を向けながらも彼女は一歩も動かなかった。清正が男の顔を確認しようと近づいてもだ。
「うちのじゃねえか。……お前に何かしでかしたのか」
男は清正の顔見知りだった。驚くのは当然だ。だがそれよりも、この女が小刀で大の男を軽々と殺してしまったという驚きのほうが大きかった。男は素行が悪く女に恨みを買われることもあったから、いずれこのような末路を辿るという予感はあった。
「……そういう依頼だったので」
「依頼?」
「……私、処理をしないといけないので。構わないでください」
かなりの手練だ。男の首を的確に狙っている。「依頼」と言ったように、彼女はただの踊り子ではない。そして、このようなことができるのは清正のいる限り一人しかいない。女は相変わらずその刃を下ろすことはなかった。その表情は舞を見た頃と同じく化粧で彩られているが、ここで改めて女の顔を見て、清正はやっとその既視感の正体を見抜いた。
「お前、乙女だろう。やっと確信を得た……何で旅芸人のフリなんかしてんだ、お前はそんな真似しなくても平気なはずだ」
女は観念して、刃を下ろす。そしてやっとその表情を弛めた。
「だって、こうした方が気取られずに済むでしょう。依頼のためなら何でもやるし、誰であっても騙すのが傭兵ですよ」
「お前の雇い主はそんな趣味でもあるのか」
「まさか。でも私、本当に踊りだけで食ってた時期もありましたよ。その分男の嫌なところは沢山見てきましたけど。この人のようにね」
乙女は動かなくなった男の頭を軽く蹴った。飄々としてはいるが、依頼だからと言って殺したにしては恨みが籠っているように見えた。
「……ま、そのうち元通りになりますよ。また戦場で清正殿とお会いするかも」
乙女は、何度も戦場で共闘したことも、敵対したこともあった。武芸一筋の変わった女だと思っていたから、ああやって舞い踊る姿、着飾っている姿をすぐに結びつけることができなかったのだった。
見てしまった時点で清正はこの謀殺に無関係でいられないとは思っていたが、いよいよ関与するほかないようだ。
「こいつの処理は手伝ってやるから。お前のその細腕じゃ荷が重い」
「見くびらないで。それに、雇い主でもないのに迷惑をかけるわけにはいきません」
「いいから。黙って俺に任せておけ。どうせその怪我じゃ力出せないだろ。踊ってるときから見えていたしな」
乙女がなぜ安寧の地を得ようとしないのか。清正には理解しがたかった。今であっても、いくら彼女が腕利きとはいえ返り討ちに遭う危険だってあるのだ。仮に自分が一緒であれば、乙女にこのような重荷を背負わせることはしない。そこまで考えて、清正は己のこの考えも理解し難いものだと思った。乙女は戦友でもない。いつ敵になるか分からない人間だ。あまり肩入れするような存在ではないのだ。
「そんな所まで。清正殿、正則殿と違ってずっと私のことを変な目で見てるなと思っていましたけど。これを見ていたのですね。これは以前ヘマをしただけですよ……ああ、そんな顔しなくても平気です」
余程酷い顔をしていたのか。暗いこの場所でよくそこまで分かるものだ。清正は誤魔化すようにして、話を続けた。
「よくもこいつのことは怪我一つなく殺せたものだ。その小さい刀で」
「そういう時もありますよ。でも、そうですね。折角ですしあなたにも協力を仰ぐことにしましょう。思ったより金も手に入りましたし、この分の対価を支払いましょう」
「いい。お前が働いて得た金だろう」
「清正殿って、見た目以上に、なんだかんだで優しいですよね」
清正は何も言わなかった。お前に何が分かると思ったが、このようなことに手を貸している時点で薄情な人間でないということは明らかだ。清正はさっさとこの男をどうにかしないといけないと思った。乙女と話していると、この路地に蔓延る血の匂いを忘れてしまいそうだった。
「何ですか、話って」
昨晩事が済んだ後、清正は乙女を飯へと誘った。別に彼女が来たくないのならばそれでもう終わろうとしていたが、幸い清正が提示した時刻は空いているとのことだった。本当は昨日、言えなかったことを今になって打ち明けようとしている。
約束通りにやって来た乙女に、踊り子の面影はなかった。昨晩と同じく華美さのない衣服に、派手さのない薄化粧をしている。これならば正則は別人だと信じてやまないだろうと清正は思う。
「……お前はなんで、そうふらふらとした生き方をしているんだ」
「説教ですか? 私、昔からこういう生き方というだけです。決まった主がいないのも、元からなので」
踊り子の姿は偽りではなく、本当にそう過ごしてきた時期が確かにあるというのも、傭兵として各地を放浪しているのも、そこには清正が知らなくてもよいような背景が広がっているのだろう。だが清正は、彼女のような娘を孤独と闇に置き去りにする世を望まない。それどころか、酷く憎むと言っていい。それを強く思い知らされたのは昨日の件があってからだ。
傭兵とはいえ、自分と同じように信念の元戦場で戦っていると思っていた彼女の二面性を知ってしまった。無体を働く男の相手も受けてきたはずだ。それこそ、清正の想像が及ばないことを。あんまりだと思った。それが正直な気持ちで、清正の全てだった。
「説教じゃない。……昨日のことを考えると、お前のようなか細い女が一人で生きているこの世が、随分と残酷に思えた、だから」
「でも私、か細くても弱くはありませんよ」
そう伝わってしまうのか。それも当然だ。清正は、素直になれないどころか無意識のうちに毒を含ませる自身の言動を恥じた。
「……知っている。知っていても、お前は俺より力は弱い。その……俺のような男が守らなければならない存在だ。別に、お前の力を侮っているわけじゃない、だが」
支離滅裂なことを言ってしまいそうだ。清正がしどろもどろに言葉を発しているのを、乙女は遮ることなく見つめている。変なところで行儀がいいのも困りものだと清正は思わず冷や汗をかいた。汗が吹き出る意味も分からなかった。
「もしもだ。お前が豊臣に来たら、昨日みたいに一人で誰かを殺さなければいけないなんてことも、その腕みたいな怪我をしなくても済むはずだ。……俺が守ってやるから」
何でこんなに小っ恥ずかしい気分になるんだ。相手が乙女でなければ、そして彼女であっても踊り子だった姿と暗殺者であったあの姿両方を見ていなかったならば。こんなことは絶対に言わなかったはずだ。
「……やっぱり、清正殿は優しい。そして、今の言葉。まるで告白みたい。よく居ますよ、そういう人」
「信頼できないか。俺のことが」
「清正殿個人が、というよりは。そうやって告白してくる人は沢山いましたから。特に踊り子なんて仕事をやっているとね」
黙っていた乙女が何を言うのかと思えば。彼女は清正を揶揄するような笑みを浮かべただけだ。だが不快ではない。
「……告白。告白、か」
「まだ何か言いたいことがありますか? 今日は比較的暇なので、別に長くなっても大丈夫ですよ」
決死の思いで言ったつもりの言葉も、乙女にとってはありふれたものなのだろう。そうじゃない。俺は、そんな男とは違う。清正は踊り子としての彼女を好いているわけではないのだ。
「俺は、踊ってるお前の姿よりも、一人で暗殺まがいのことをしている姿よりも、戦場で戦うお前のほうが、綺麗だ……と思う。だから、共にいてくれるのならば……良いと思った」
清正は、正則から言われた言葉を思い出した。あの時乙女のことを見ていたのは、腕の怪我とどこか見覚えのある風貌に釘付けとなっていただけだ。だが惚れてしまったというのは、あながち間違いでもなかったのかもしれない。不思議と最後まで言ってしまった途端、羞恥は消えていった。
「そう言ってくれた人は初めてかも。あなたのその言葉に免じて、検討しますよ」
「っ……本当か?」
「はい。……汚れ仕事全てから足を洗っても、あなたになら舞を披露してもいいかも」
「俺は舞より、お前の剣戟が見たい。それも戦場だけで満足だ」
「あら。本当に好いた人にしか見せない特別な踊りだって、あるのですよ? 清正殿になら、見せてあげられるかも。二人っきりの場でね」
相変わらず乙女はその軽い態度を崩さない。清正は消えたはずの羞恥心が再び蘇るのを肌で感じてしまったのだった。
(20250925)