択べない道にだけ君がいる
※夢幻編天下一新シナリオ軸の話。

勝竜寺城を陥落させた毛利軍だったが優位であったのも束の間、隆景の力を持ってしても織田に勝つ程の余力は残っていなかった。

織田に勝たなければ毛利の未来はない。信長が我らを見逃すはずがない。打って出るしか道はない。隆景の言葉に従っていた乙女だったが、この戦の勝敗は彼ほど利口ではない彼女でも察することができた。そして、力のなさ、己の不甲斐なさを思い知らさせた。戦場で立派に花を散らすこともできず、乙女は縄を掛けられ敵陣の中にいる。どうせならば、隆景の為に犠牲になりたかった。これは屈辱でしかなかった。

「それで、私をどうする気。殺すならば早く殺して」

後ろ手に縛られた縄が鬱陶しい。乙女は自らの猿轡を外した鹿介を睨んでいる。ここに連れ去られてから長い時が経過した。自害することを禁じるためか布を噛まされていたがやっと解放され、久しぶりに声を発したのは決死の願いだった。

「殺さねえよ。あんたを殺した所で理がないのは分かってる」

鹿介は常の陽気さや敵に向ける殺意を失くしてしまったようだった。その様子は彼と敵対し続けていた乙女からすると、異常な状態にも見えた。少なくとも乙女を捕縛したときの彼は毛利に対する敵対心を顕にしていたし、元春や輝元を退けた程度では彼の戦意は衰えず、寧ろ勢いを増しているように見えたというのに。

乙女は鹿介の手勢によってここに移送され、長い間の拘束、それも敵に監視をされたままであったことからろくに眠ることもできずにいた。ここに来てから、どれだけの夜がやって来て、太陽が登ったというのだろうか。乙女はこの天幕の中で、簡単な数を数えることすらできなくなっていた。だがそれほどの日数は経過していないはずだ。それでも鹿介は直接対峙した頃とはあまりにも様子が違っている。

「私を殺せば隆景は揺らぐと。そんな考えが思い浮かばないほど、あんたは馬鹿じゃないはず」

「お前を殺したところで意味がないんだよ。……もう取引に使えるわけでもねえし」

かつて毛利が鹿介や、その他の尼子の人間にしたように。同じようにして薄暗い城の中に監禁でもしようというのかと乙女は言いたくなった。復讐としてそうしたい気持ちが生まれるのは分からないでもない。だが鹿介は、それ以上乙女の処遇について何も言おうとしなかった。

何かを迷っているように見えた。鹿介は主君に忠実で義理堅い男であることを、乙女はこれまでの彼との戦の中で知った。殺したところで意味がないということ。打倒毛利に炎を燃やす彼が口を噤む程の事情がある。

分からないはずがない。鹿介が口を割らないなら、こちらから言う他あるまい。全く情けない男だ。やっぱり、こんなことになるくらいならばさっさと殺されるべきだった。名誉の死を賜る方がよっぽどましであるのだ。乙女は口を開いた。

「隆景が討たれたから、私を殺す意味がないと言いたいのでしょう」

勝竜寺城に押し寄せる軍勢と、元春や輝元が退いたという報告から。いずれこうなるという結末は分かっていた。

「……その通りだ。流石坊ちゃんの心を射止めるだけあるな」

「軽口叩く余裕なんてない癖に」

「お前だって、何でもないように話してるけど耐え切れるようには思えねえよ」

そう言いながらも鹿介の声には覇気がなく、主家再興のために夢見た毛利家の人間の死を喜んでみるようには見えない。

「あんたに言われたくないわ。隆景のことをろくに知らない癖にそんな辛気臭い顔して」

「何も知らないわけじゃない……つってもそうか、そうだよな……俺は坊ちゃんと殺し合うことでしか会話できなかった」

「毛利を倒してあんたは尼子を再興するんでしょ。私の悲しみを奪わないでくれる?」

「……分かってたんだけどな。こうなることくらい」

覚悟はしていたことだったから、乙女は隆景の訃報に対して涙を流すこともなかった。だが涙を流せなかったというほうが正解なのかもしれない。

反して、鹿介は涙を流していた。それを見ていると泣くという行為はとんでもなく馬鹿らしいことなのではないかと乙女は思った。こんな鹿の顔を見るくらいならば、やっぱり自分は勝竜寺城で死んでおくべきだったのだ。

違う。死ぬのは今からでも遅くはない。この縄さえ解けるのならば、今すぐにでも鹿介の刀を奪って喉を掻き切って死んでやる。

そう言いたかったが、鹿介が声も出さずに肩を震わせて見たこともない表情で乙女の足元を濡らした為、結局それ以上の啖呵を切ることはできなかった。





乙女は戦後、毛利家に返されるわけでもなく、生命を絶たれることもなく、他でもない鹿介の保護下で生きていた。結局、自分たちが鹿介にしていたことをまるで意趣返しかのように受けている。乙女からすればそのようにしか思えなかった。相変わらず自害することは認められず、少しでも先が鋭利なものや髪紐の類でさえも縊死の要因になりうるものは遠ざけられた。

だが部屋に監視があるということもなく、屋敷の中では自由に行動することが許されていた。隆景のことを思えば早く逝きたかったが、乙女は鹿介が今でも悲しみを捨てきれることができずにいるのを見てどうやらそれは選ぶことができないようだと思ってしまった。

屋敷の中にいれば、自然と鹿介に関する話は耳に入る。元来の明るさを取り戻しているらしいという話が聞こえる反面、乙女から見た鹿介はそのようには見えなかった。

とある夜、乙女の部屋にやって来た鹿介は彼女の傍に座ってただ佇んでいた。乙女も何も言わなかった。忌まわしい腐れ縁が本当の絆で繋がれた縁となってしまったかのように、ただ二人で黄昏ていた。そのような状態が続き、互いに、死んだかつての仲間の元に届けてやる、殺してやるといった感情はついに蘇ることはなかった。

「……あのさ、」

「何。私を葬りたくなった?」

「……違う。お前に言うかどうか迷ってたけど。いい加減言わないとなと思って」

ふいに鹿介が口を開いた。ずっと話そうと思っていたものの、そのきっかけは思いつかなかったらしい。ぽつりぽつりと彼は話し始めた。それは乙女が知らない隆景のことだった。どれだけ愛していても、いや愛しているからこそ知るはずがない話だった。

「お前はほら、坊ちゃんに一番近しい人だからさ。殺さないといけないって言う人も多くいた。でも俺はあいつの最期に立ち会って……お前を死なせるわけにはいかないって思ったんだよ」

「……あんたが隆景を殺したの?」

「そうだ。最後にとどめを刺したのは、俺だ。……黙ってて悪かったな。俺を怨んでも構わない。俺がお前らを怨んだように」

「今更あんたを殺そうとは思わない。あんたに生かされているこの環境をむざむざ失おうとは思わないし」

別に、そうだからと言って仇討ちを考えようなどという気は既に乙女にはない。この世は既に織田が強大な力を持っている。そして鹿介は先の戦で大きな功を挙げた男だ。未来も才もある。仇討ちが成功したとして、乙女が辿るその後の未来は明るくないだろう。

「ありがとよ……って俺が言うのもおかしな話か。ともかくだ。あいつはさ、お前のことを本当に大切にしていた。あんたが捕縛されたことを知っていて、それで俺にこんなことを頼んだんだよ。『君だから頼めることだ。乙女を生かしてくれ。彼女は拒否するかもしれないが、私に付き合わせる必要はないんだ』って」

「……私は隆景の為に命を捨てようと思っていたのに。隆景だって、そうなってもおかしくないって思っていたはずなのに」

「夫婦なんだし、やっぱお前には生きてほしいと思ってたんだろ。坊ちゃんは本当に素直じゃねえな」

「……まあ、それも当然のことなのかも。そういう人だし、隆景は……」

子を成せなくとも、側室を娶ることはなかった。言葉ではなくて行動で示すような人だったのだ。今の鹿介の行動は隆景そのものだった。

「だからさ、あんたを吉川たちに引き渡すことだってできたけど。護送途中に殺されることも有り得なくはないし、俺があんたを守るのが筋ってもんだと思った。あんたには嫌われてるけどな」

「……嫌ってるってことではないけど。ただどうやって話せばいいのか分からなかっただけで。あんたは私達のことを憎んでるんだから」

「もう今となってはどうでもいい……と言えるほど俺は強くない。けど、お前が笑えるまで俺はあんたを守り続けるよ。なんてったって、あの坊ちゃんの頼みだしな」

「笑えるまで?」

「なんだよ、自覚してなかったのか? お前、ここに来てから一度も歯を見せて笑ったことないだろ。今まではよく坊ちゃんと一緒に小馬鹿にするように笑ってた癖に」

「……ああ、懐かしい。遠い昔の話みたい」

「ま、いつかは笑わしてやるよ。何だか、胸に突っかかってたものが取れた気がする。爺さんも強かったけど、坊ちゃんも良い好敵手だった」

「勝手にあんただけすっきりしてんじゃないよ。あんたと違って私は隆景がいなくなってから、一度も泣いてすらいないのに」

「別に、泣きたかったら泣けばいいだろ。俺でよければいつでも付き合ってやるし」

「さっきまでめそめそしてたのに、急に調子よくなっちゃって」

泣くことすら忘れてしまったのに、笑うことが果たしてできるというのだろうか。隆景がいない世で、彼が二度とできなくなった行為をしても許されるというのか。乙女が失った心を取り戻すには、まだ時間という途方もない薬が必要だ。

だが、こんなろくでもない男が傍にいるということがどうしてか心強かった。殺しあってきた仲とはいえ、最期に彼が託した思いを受け継いだこの男のことを、初めて好ましいと思えた。もし毛利と尼子が共存していたのならば、初めから自分たちとこの男が同じ旗の下で戦っていたのならば。夫と彼は背中を預け合う仲になっていたのだろうか。

「ま、私が笑えなかったとしても。隆景は私たちが並んでいるのを見て笑ってるでしょう」

乙女がそう言った瞬間、鹿介はくしゃみをした。隆景があの世のどこかで噂をしている。

(20250914)
mainへ
topへ