黎明が何に似てるかなんて
「お綺麗です、お嬢様」
「……相変わらずね、あなたは」
戦いは終わった。それは最初から負けるはずもない戦であった。乙女は刀を振って、血を落とす。血は地面を濡らし、その刀身はある程度元の姿を取り戻す。乙女自身の戦装束には未だに返り血と砂埃がまとわりついていて、綺麗だ、なんて状態とは一見程遠いように見える。
この男の目は節穴なのか。乙女は呆れた。
「綺麗でもなんでもないでしょう。それに、お嬢様でもないって何度も言っているけれど。その眼鏡でも清濁は判別できないのかしら」
乙女の辛辣な物言いにも、小十郎は全く動じることはない。
「あなたのそのようなお言葉を、お味方という立場から聞くことができるとは。誠に感激でございます。敵として相見えた頃から、私めはずっとあなたのことを綺麗だと思っておりましたよ。あなたの戦い方はえも言われぬ魅力があると言えましょう」
小十郎と共に、もとい伊達軍の一員として乙女が戦ったのはこれが初めてだった。それまでは敵対したり、別々の軍の人間として共に戦うことがあった程度だ。
「それは百歩譲って、了承したとしましょう。私は定住する地もない雇われの身なわけ。お嬢様なんてもんじゃないわ」
傭兵として各地を渡り歩くという生き方しか乙女はできない。伊達に留まっているのも成り行きのようなもので、たまたま乙女がこの地にやって来た時機と政宗が戦力を欲しているという状況が重なっただけだ。
「お嬢様はお嬢様ですから、この呼称を変えることはできません。これはあなたの問題ではなく、私の問題なのです」
「どんな問題があるのか分からないけど、あんまり変なことしないでよね。ま、住むところと食べるものを確約してくれたのは感謝するけれど」
「勿論でございます。客人を饗すのは当たり前のこと。お嬢様なら尚更です」
政宗に乙女を利用することを提案したのは小十郎だった。適当な人間の護衛をして食い繋いでいた日々が一時的とはいえ終わる。武働きに応じた金に加え、生活面も保証するという彼の手に乗らないわけがない。彼がどうやって政宗に自分を雇うように勧めたかを知ろうとはわざわざ思わないが、政宗に自身の力を認められているということは良い事だ。これに関して思うことがないと言い切ることはできないものだが、小十郎には感謝しなければいけない。
「いつまで世話になるか分からないけれど。それまではよろしく頼むわ」
「はい。行きましょうか。ここまで早く戦を終わらせることができたのはお嬢様のお力添えがあってのことです」
「こんな程度のこと簡単だわ。これくらいしなければ、生きていけない」
「……しかし、生き急がれることのないように。戦力を損なうことは、政宗様のお望みではありません」
「変な言い方。私に死んでほしくないって、素直に言えばいいのに」
小十郎の考えていることは分かりづらい。言葉を素直に受け取るべきなのか、自分は今遠回しな嫌味を言われているのか。乙女は彼の言葉ひとつとっても何か裏があるのではないかと疑ってしまう。だが今回の契約は言葉通りのものでしかない。結局のところは政宗がそうであるように、小十郎も大概素直ではない気がするだけだというだけなのだろう。彼までもがそうする意味が果たして存在するのかどうか。彼が政宗以外の人間と話しているところも殆ど見たことがないから、これが当たり前のことなのどうかすらも乙女は分からない。
「お嬢様ならば、皆まで言わずともお分かりでしょう」
それなりに、実力を買ってくれてはいるのだろう。小十郎は背を向けて歩き出した。一体どういう戦い方をしているのか、その衣服には汚れひとつもない。小十郎のほうがよっぽど綺麗である。大体、綺麗だなんて言葉は抽象的にすぎる。戦い方に綺麗も何もあるものか。汚れがつこうがなんだろうが、戦は戦なのだ。乙女はその背を見ながら、自分は武士のようにはなれないと思った。
鎧を磨き、装束を洗い、体を清める。刀を手入れし、いつ何時敵が襲ってきても良いように準備をする。常に警戒を怠ることはない。
夜になって、乙女は与えられた一室で寝る支度を整えた。傭兵という不安定な生き方で培われたのは、どこでもすぐに眠れることと、僅かな物音でも目を覚まし起きることだ。明日は戦もない。だが己の武力が商売道具となっている以上、油断することも、敵を警戒することを怠ることも許されない。だが乙女は寝入ってから僅かな時間が経過したとき、どこからか聞こえる笛の音によって目覚めた。
きっと小十郎だ。彼が笛の名手であるのは有名な話である。耳に障って仕方がない。乙女は仕方なく起き上がって笛の音が聞こえる方に歩いていった。
小十郎は縁側に座らず、立ったまま器用に笛を奏でていた。乙女はいつもの癖で音を立てずに歩いていたが、ここが屋敷であることにどこかで安堵していたのかその気配を消すには至らなかったらしい。小十郎は笛を吹くのを止めて、乙女のほうを振り返った。
「小十郎。あなたの笛が煩くて眠れたものじゃないわ」
「おや、これはお嬢様。この辺りの人間は皆、私の笛の音などには目もくれません。すっかり慣れてしまっているものですから。のこのこ釣られてやって来るのはあなた様くらいでしょう」
これは素直に受け取るべき言葉なのだろう。面と向かって嫌味を言われている。乙女はむっとした。貴重ともいえる睡眠を阻害しているのはそちらなのだ。現時点ではこの音に慣れる将来を想像することなど不可能だと思った。
「……これ、毎日やってるのかしら。私、ほんの少しの物音でも目覚めてしまうの。迷惑だわ」
小十郎は乙女の苦情には眉を顰めることもなく、代わりに余裕たっぷりな微笑を浮かべた。彼女からこうした苦言を受けることなど、初めから想定済みだったかのようだ。
「少なくとも今日に限っては、好都合でございます」
「どうして。私は早く寝たいんだけど」
「そう仰らずに。怒りに顔を歪ませるのは、せっかくの美貌が台無しにございますからね」
「からかっているつもりなの?」
「いえ、私は大真面目にございますよ、お嬢様」
「……本当に呆れる。こっちこそ真面目に言っているわ。何なの、好都合って」
もう、小十郎の話を真面目に受け止めるのは間違いなのではないかと乙女は思い始める始末だった。たちの悪い冗談は懲り懲りだ。
「あなた様が私の元にやって来ると一抹の期待をしておりましたが、見事に的中し嬉しく存じます。込み入った話もしやすいものですから」
「込み入った話? ……すぐに終わる話じゃないと、私は布団に戻るわよ。久しぶりにちゃんとしたところで眠れるんだから、機会を逃したくないの」
「そう言ったつれないところも魅力的でいらっしゃる。……仮に私が主に縛られない身であるとすれば、あなたにお仕えすることもやぶさかではありません」
「嘘でしょ、そんなのは。私は人の上に立つような人間じゃないし、あなたは私に仕えるような人間とも思えない」
「勿論、嘘にございます。仮の話をするまでもなく、私の主は政宗様ただお一人ですから」
「……」
今度こそ、乙女はもうこの訳の分からぬことばかり言う男を放って部屋に戻ろうかと思った。もしくは眼鏡を奪い取ってやるべきか。いい加減に思案を巡らした乙女だったが、小十郎はまたもや弁明することもなく口を開く。
「しかし、お嬢様を敬う気持ちは本物にございます。この身が二つあるのならば、一つはあなたを守るために……もしくは、対等な立場として共に動いていたでしょう。こちらは嘘などではございませんよ」
「なんでそんなこと。私のような人間は使い捨てればいい。そういう事ができる立場でしょう。あなたたちは」
「ずっと申していた通り、あなたがあまりにもお綺麗だからです。あなたの戦いを敵としてもお味方としても拝見しておりましたが、どのような戦いであれ散らせるには惜しいと感じます」
「初めて見た。……私に生きろとちゃんと言える人は」
「あなたは金品のために戦っているように見えません。ですが同時に、永住の地を求めているようにも見えない。当然、死に場所を求めているようにも。その答えを見つけることができぬ危うさが、私をあなたへと誘っているのやもしれません」
「……私は別に、大層な目的のために生きているわけじゃないわ。同時に生きる場所や死ぬ場所を探しているということでもない。ただこれが私の生き様というだけよ」
小十郎から綺麗などと形容されるのはもう慣れっこだったが、それでも乙女は今この瞬間、明らかに熱を感じていた。単純だと馬鹿にする人もいるだろう。だが単純でもよかった。傭兵は、他者に求められるものだ。武を求めるのは当たり前として、それ以上を求める輩もいた。下衆な男共だと何度も思った。それを押しのけることに必死で、それでも縛られぬ生き方をやめることはできなかった。
小十郎のように綺麗だなんだと言ってくる男もいた。だが小十郎のいうその言葉は、本当にその言葉以上の意味など持っていない気がする。彼の言葉がまやかしではないということに気づけた気がする。乙女はやっと、小十郎を見直した。今後敵対したならば、思わず手加減してしまいそうなくらいだ。
「……やはり、一度くらいはあなた様のことを本当のお嬢様として、私が護衛せねばなりませんね」
「また変なことを。私の敵は私で対処できるわ」
「返り血に塗れ屍の上に立つお嬢様も美しいですが、今のままのあなたが一番お綺麗ですから。たまには私が泥を被るのも悪くはありません」
今更そんな殺し文句で照れる乙女ではなかった。小十郎も、いつもと同じように平然としているままだ。思ってもいない謝辞を述べるときのように。
「……政宗に怒られるんじゃない、そんなことをしたら。戦場で私についてまわるなんて、意味分かんないでしょう」
「そのような未来があっても良いと……ご無礼ながらも想像いたした次第でございます」
「まあ、考えるだけなら何でも構わないけれど」
「……少し、話し込みすぎました。今日は笛を吹くのはもうお開きにいたします。それでは、おやすみなさいませ、お嬢様」
小十郎は体を反転させ、早足で去っていった。風のように掴みどころがない。だが暖かみはあった。
それから、乙女は政宗から正式に仕えぬかといった誘いを受けた。なぜそのようなことを。政宗にそんな気があるとも思えなかったが、尋ねてみるとそれもまた小十郎の勧めであるらしかった。
縛られぬ生き方を望んでいるというのに、ここに落ち着くのは本意ではない。だが乙女は、また夜に笛を吹いていた小十郎にこんな言葉を投げかけられてしまった。
「お嬢様は、私めの隣にいる瞬間がお綺麗でいらっしゃる」
綺麗だと言うのは何度目か。いい加減聞き飽きてしまった。だが乙女は、この一件だけでなくそれまでの段階も含めて、小十郎が自分にべた惚れであることを思い知った。
もう少し考える時間が欲しい。政宗にはそう言った乙女だったが、答えは既に決まってしまっていたのだった。
(20250910)