ちりぢりになった吐息を集め
乙女は主君である忠勝の命で、民を脅かす山賊討伐に赴いた。猛将である忠勝の部下らしく、彼女は武勇に優れている。その腕を買われて、彼の副将として確固たる地位を築いている。

今回の戦いはあくまでも民の平穏を取り戻すためであり、何か恩賞を求めて行うものでもない。民から感謝の言葉を贈られたとしても、それ以上のものは何もいらない。力のある武士は戦う術を持たない民の暮らしを守らなければいけないのだ。その責務が存在するにも関わらず実際に民に被害が出るまで何も果たせずにいたのだから、我らが何かを与えられる権利など存在しない。乙女は忠勝から肝に銘じるようにと伝えられたこの言葉を大切にしている。持ち帰るのは首魁の首のみで事足りるのだ。くれぐれも、余計なものを持ち帰らぬように。

乙女は、忠勝からそのように念を押される理由を分かってはいる。大切にしているつもりではある。

「……乙女様、また忠勝様に呆れられるのでは」

同行した兵が、乙女に囁いた。

「でも、放っておくなんて私にはできなかったから。忠勝様には……今度こそなんと言われるか分からないけど。でも、全部私の問題だから」

兵は、乙女という人には何を言っても無駄だな、とでも言いたげな視線を向けた。




無事に賊を討伐し帰ってきた乙女が抱えていたのは、道端に捨てられていた子犬だった。

「……乙女。拙者の言葉を肝に銘じろと言ったはずだが」

「で、でも、これは誰かから貰ったとかではなくて、私が勝手に拾ってきただけで……」

背が高く、目の前に立っているだけで迫力のある忠勝に凄まれると、誰でも慄く。乙女も彼の等身大に迫り来る佇まいのことはよく知っている。味方として対峙していてもこれなのだから、敵なら一溜りもない。ここが戦場ならば、乙女はすっかり腰を抜かしていたはずだ。

乙女は抱えている子犬をちらりと見る。心做しか、忠勝の溢れ出る闘気に怯えているように怯えているように見えた。ああ、可哀想に。乙女の指先が子犬の毛並みを揺らした。

「首領の首は。まさか道草に捨ててなどはいまい?」

「は、はい。それなら部下に持たせています。この子と一緒に抱えるなんてこと、私にはできませんから……さ、流石に、その辺に捨てるなんてしませんよ。必死で戦った証を失くしてしまうなんて、そんなこと」

「失くした前科があるから言っている。そなたにはほとほと呆れ返ると言いたいところではあるが……」

「忠勝様には何の迷惑も掛けませんから、ね?」

「……今回のみ、見逃すとしよう」

「あ、ありがとうございます! 忠勝様!」

「命は尊きもの。世話を決して怠るな。最後まで責任を全うすべし」

「分かってますよ。任せておいてください。信じてくださいね」

「……うむ」

実のところ、このやり取りは今回が初めてではない。以前も似たようなことがあった。その頃乙女が拾ったのは戦場の片隅でやせ細っていた子猫だった。猫と首を抱えるのは負担だからと言って乙女は独断で首を適当な所に埋めてから帰還したのだった。

武将だろうが山賊だろうが、首実検を怠ることはできない。それを疎かにした乙女は当然ながら咎められることとなった。武勇のみがあれば生きていけるというものではないのだ。彼女は己の欲を武士としての本分より優先した。独断に過ぎる行動をとる彼女には処分を求める声もあったが、それを庇ったのが忠勝だった。乙女には優れた力がある。自分が上手く操れば、必ずその信頼を取り戻すことができる。そう言って、忠勝は自らが進んで乙女を直属の部下としたのだった。

それからは規律に反するような行動を取ることはなかったものの、乙女の何かと理由をつけて何か生き物を拾ってくるという性質が変わることはなかった。鳥、猫、兎など、乙女の屋敷は日々騒がしさを増している。武人という立場上家を離れることも多い彼女に代わって世話をしている使用人は、彼らの扱いに頭を悩ませていることもしばしばだ。それでも、乙女は傷ついている動物を見捨てるということはどんな状況でもできないのだった。

「……確かに、うちにいる子は皆可愛いけれど、これ以上は迷惑しかかけませんね。私一人で育てているわけじゃありませんし。これで最後にします。もしくは今後……とは言わずこの子の里親を探すか……とにかく、忠勝様は気にしないでくださいね」

「そなたが戦場にあると拙者は心強い。そのことを忘れるでない。そして、決してくだらぬことで自らの株を落とすことがないように。拙者が庇いきれなくなる前にな」

「はい……仰る通りです。いい加減、どうにかしないといけませんね」

子犬が小さく鳴いた。こんな姿を見ていると、やはり里親に出すなんて耐えられないなと乙女は思ってしまうのだ。



「忠勝様が直々に来られるなんて……あ、」

珍しく主君が自らの足で部下の邸を訪れた。乙女が急いで出迎えると、忠勝が手に携えているものが真っ先に目に入る。その正体に声を出して驚いてしまった。

「……不服だとでも申すか?」

「いえ……そんなこと、あるわけないじゃないですか。だってそれ……もしかして、わざわざ作ってきてくださったのですか」

忠勝は頷いた。彼が抱えてきたものは、大きな犬小屋だった。木彫りの人形を作る趣味があると噂でそれとなく聞いたことがあったものの、このようなものを作れるとまでは知らなかった。単純に彫るだけで作れるものではないし、何より忠勝が直々に制作したということが、信じられなかった。乙女が拾ったのは子犬だ。犬小屋は子犬の大きさに見合わぬほど大きいもので、明らかに成長後を見越して作られたものだと分かった。

「どこに置くのがよいのか分からぬゆえ、ここに置いておく。好きにするがよい」

立派な犬小屋が、静かに音すら立てず地面に置かれた。

「……待ってください!」

それだけを言って背を向け歩いていく忠勝を、乙女は必死で呼び止めた。まだ、礼の一つも言っていない。忠勝は振り返ったが、振り返るだけで黙っている。体をこちらに向けることもない。

「その……ありがとうございます。でも、どうしてですか? こんなこと、私の為に……私が自分勝手にあの子たちを拾ってくることも、忠勝様はあまり良く思っていなかったのに」

忠勝は、どうしてか気まずそうに目を逸らしながら口を開いた。彼のそのような素振りを見るのは初めてだった。いつもはどんな時でも堂々としているのに。

「拙者も、同じゆえに」

「同じ?」

「……そなたは、草木にも命が宿っていると思うか」

それは、唐突な問いだった。

「思いますよ。花が枯れているのも、折れているのも、そんな姿を見ていると心は痛みますし。植物であっても、きっと私たちと同じように呼吸をしているのだと。そう感じます」

「そうか。……それは、何より」

「忠勝様……?」

忠勝はやっと体を乙女のほうに向け、彼女のほうに歩み寄った。

「拙者はかつて、撫子の花が踏み荒らされることを嫌って敵の馬を投げ飛ばしたことがある」

「……初めて聞きました、そんな話」

「誰にも言っておらぬ。この話を知っているのはあの場にいた者たちのみゆえに」

「差し支えなければ。いつのお話ですか?」

「一言坂で殿の退却をお支えした時のこと。……そなたはまだ、拙者の麾下ではなかったな」

一言坂。そして三方ヶ原。あの戦場で、多くのもののふが散っていった。乙女も決死の思いで戦い、逃げ延びたのだった。

「あの地で、そんなことが……私ならば、路傍の花には気づかずにいたのでしょうね」

あの戦場でそのような大胆な行動を取ることができる忠勝の強さと心優しさに、改めて乙女は感服した。

「だが、今のそなたなら拙者と同じことができよう。そなたは命が、尊きものが、一体何であるかを心得ている。その褒美として……そなたに賜ろうと参ったのだ」

「……忠勝様。私……もっと頑張ります。生きて、もっとあなたのために尽くしたい」

「その意義や良し。驕らず、励むがよい」

乙女は、やっと理解した。忠勝が自身を庇い、直属の部下としてその身を預かろうと決めた理由を。

(20250905)
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