憎らしい子がすきなんだ
尾高城には、囚われの身となった尼子家臣が多数いる。月山富田城で敗れた彼らは今やその命を毛利家に握られているのだ。采配ひとつでその首は飛ぶ。だが毛利元就は決して殺さず、こうして彼らの意志を完全に折るまで虜囚として扱い続けている。いつか解放されるかもしれないという淡い期待を抱くのは勝手だ。その期待すら持っても意味がないものなのだと彼らが思い知るまで、元就はこの生活を続けるつもりなのだろう。

さっさと殺してしまえば金も掛からずに済むというのに。そんなことを考えながら、元春はある女の元に向かっていた。

女は乙女という。彼女もまた尼子家臣団の一人で、この城の中に監禁されている。

決して殺してはいけない。そして、衰弱させるのもいけない。いつか手駒として、毛利の兵として扱うからだ。そういった言いつけを守りながらも、元春は多少の不満を抱えていた。手駒として扱えるほど落ちぶれるとは思えねえよ。いつだって殺気の籠った目で俺をみてやがる。元春は自らが写した書物を持って彼女の元までやってきた。

「調子はどうだ」

「どうもこうもないわ」

「折角気ぃ遣ってやってんのに、愛想笑いの一つでもしてくれよ。ほら、持ってきてやったぞ」

元春は座敷牢の隙間から書物を差し込む。乙女は何も言わずに受け取った。

「見かけによらずこういうのが趣味なのね。まあいいわ。これで少しは暇が紛れるかしら」

「礼はなしかよ。どいつもこいつも尼子の人間は礼節に欠ける奴ばかりだぜ」

「ありがとう、これで満足?」

「……ああ」

乙女がやることがなくて暇だというので、元春は自分の私物を差し出した。乙女は鹿介と同じように毛利の人間に強い敵意と怨みを抱いている。そんな人間を相手にするにしては、破格の待遇だ。乙女は元春のことも当然嫌っているが、元春はというとそうではなかった。その正反対の感情を持っているのだ。つまり、相入れることのないこの女に彼は惚れている。

餌付けにしては雑だ。信頼されるように務めているわけでもない。決して媚びることもせず、叶わぬ目的の為一途に抗い続ける彼女の姿は、自分から程遠いものだ。

自分では到底、その領域に至ることはできない。まず、囚われの身となることが有り得ないし、元春は基本的に現実的な範囲でしか物事を考えない。主家の復興など、自分が同じ身だったとして思いもよらないだろう。所詮無い物ねだりなのだ。だが、手が届かないからこそ美しく星は輝く。元春にとって乙女はそういう感情をもたらす存在だった。

ぺらぺらと書物を捲る彼女の表情は、この状況であっても絶望に染まることなく、それどころか輝きを増している。この格子さえなければ、武器さえあれば元春のことをいつでも殺してやるという気概が彼女から溢れている。

尼子の人間は毛利の繁栄にとって邪魔なものでしかない。だが彼女だけは、違う。生きるべき人間だと思った。

この気高い女が、自分のものであればいいのに。仮にそうだったとしても、睦まじい仲となるなど想像すら及ばない。だがそれでも、毛利の敵として生きている彼女に元春は身を焦がされるような恋慕をしている。

この天地がひっくり返っても分かり合えることのない女に心を奪われてしまった。そうであるから彼女だけは違うと思う。こうして私物を惜しみなく貸し与えることができる。暇さえあれば彼女の顔を見る。声を聞く。どれだけ彼女が目を合わそうとしなくても、元春はじっと一心不乱にそのかんばせを見ている。

こういうことを考えるのは俺らしくねえな。全く、柄じゃねえ。元春は頭を掻いた。

「俺の妻になる気はねえか」

「何それ。正気? あんた何言ってるの」

「俺は一途だぜ。惚れた女にはな。お前が主家再興に一途なのと同じだ。いわば、叶わぬ夢を見ているのさ」

「尼子再興は叶わぬ夢じゃない」

「そんな目を向けられても、俺の気持ちは揺らがねえよ。お前は美人で強くて、俺への殺気を片時も忘れない良い女だ」

「……何を言われても煽りにしか聞こえないわ」

「分からねえんだったらそれでいい。ま、俺は本気だぜ」

「あんたを殺してやりたい。……今すぐにでも。私はこれ以上の辱めなど受けない。そうやって嘯いて、心の隙に付け込もうとして、私を懐柔しようとしても、そう簡単にはいかないわ」

「嘯いてるつもりはねえが……そうやって俺に敵意を向けるお前は綺麗だ。花も恥じらうとは、このことかもな」

彼女を買いかぶり過ぎているのかもしれない。だが全て元春の本心だ。例え彼女が元春のことを死ぬまで憎んでいようが、元春が彼女のことを嫌うことはない。

「早く出ていって」

「はいはい」

「二度と顔も見たくないわ」

「俺はお前を一晩中眺めていても平気だぜ」

「……本当に腹立たしい。絶対に殺してやる」




乙女が同じく囚われていた山中鹿介達と共に蜂起し尾高城脱出に向けて動いたとの知らせがもたらされたのは、このやり取りからさほど時が経過していない日のことだった。

元春が乙女のいた座敷牢を訪れると、そこには貸し与えた書物と礼の手紙が置いてあった。

変なところで律儀な女だ。元春は手紙を書物に挟んでからそこを後にした。一体どうやって連絡を取り合い武器を探り当て脱出したというのか。

まあいい。再び打ち負かすまでだ。

戦場には、常に強烈な殺気が漂う。

元春は戦場が好きだ。あの空気、高揚感、人を武で打ち負かす感覚も、策謀で手を汚すことなく敵を降す喜びも、戦場でしか味わえない。乙女は、平時であっても戦場にあることを忘れていない。彼女の心はずっと戦場にある。

「弓兵よお。……尼子の女だけにはブチ当てるんじゃねえぞ。絶対に、だ」

乙女だけは、自分の手で倒さなければいけない。だが殺すには惜しい。再び捕らえなければいけない。そうして、彼女の心を戦場から無に帰すのだ。

彼女が残した手紙に殺意は込められていない。書いた本人はそうでないのかもしれないが、元春からすれば戦場にいない彼女の気持ちを汲み取ることができた唯一の瞬間があの手紙だった。

「書物を読んでいる間だけは、戦いを忘れられた。やっぱりあんたは、余計なことしかしない。やることがなくて暇などと言わなければよかった。本当の礼は戦場でさせてもらう」

戦場に心を縛っているからこそ乙女は伸ばしても届かない星のように魅力があるのだと元春は考えていたが、そうではないのかもしれないと気づいた。

戦いを忘れている乙女の姿を見たい。乙女から戦いを、あの殺気を奪いたい。あの主家再興に掛ける熱意を失くしてもなお彼女が彼女であり続けるのかを見たくなった。

それを知ってからでいい。乙女を貰い受けるのは。元春は星を掴んだときの喜びを知らない。全ては未知数であり、またそれこそが元春を沸き立たせる。

尼子の人間を、ここで殲滅しなければいけない。生かすのは乙女だけでいい。

元春は彼らを生かすという選択をした父親に改めて感服して、大身槍を構えた。乙女に会うのが待ち遠しかった。雲は月を隠して、辺り一帯に闇を生む。そこに紛れて足音が聞こえた。

矢を放とうとする兵を制止して、元春は前に歩み出る。

「吉川元春。二度とたわごとを吐けぬようにしてやる」

乙女は、既に血に濡れた刀を持っていた。

「やれるもんならやってみな。俺の気持ちは変わらねえぜ。いつだって本当のことしか言ってないからな」

殺しはしない。……まあ、腕の一本は消し飛ばしちまうかもしれねえが。元春は得物も体格も劣る彼女が自分に向かって一直線にやって来たことに喜んだ。

弓兵は手出しができぬまま、二人の戦いを見守ろうとしている。

一歩踏み込んだのは乙女のほうが先だった。刀を振り下ろすが、元春は交わし距離を取る。そうして槍を構え直し乙女の利き手に鋒を突き入れようとしたとき、闇の中に何かが光ったのを元春は見た。

だが、避けるには時間がない。元春が動きを止めないでいると、その光は刀の形となって、元春の右腕……肩鎧の下、比較的無防備な部分を裂いた。

「クソ……! 誰だ、横槍を入れやがったのは……?」

大きな鎧を纏っていないとはいえ、元春が呻くほどの傷を刀の投擲という形で成し遂げることができるのは、限られた人間しかいない。

元春の隙をついて乙女は落ちた刀を拾う。それには見覚えがあった。紛れもなく、山中鹿介の刀だ。

「そいつに構うな、乙女! 早くついて来い!」

「……あんたを殺すのはまた今度ね」

乙女は鹿介の声が聞こえた方角へと駆け出す。彼の姿は元春から視認することはできなかった。元春は左手で傷を押さえながらも、光の差さない暗い床が自らの流した血によってさらに黒くなっていくのを黙って見ていた。

「弓兵、ぼーっとしてんじゃねえよ。……あの女もろとも、鹿を狙え」

弓兵は慌てて矢を放つ。乙女は走りながら、刀で器用に矢を弾いていく。やがて、彼女の姿は見えなくなった。

「……あの野郎。やってくれたな」

だからさっさと殺しちまえば良かったんだ。あの愚かな鹿を。手のひらを返して、元春は父親を批判した。

そうして元春はゆるりと向き直り、鹿介がいたであろう方角を睨む。

隆景がかつて自分に言った言葉を、ふと元春は思い出した。

「あまり彼女に構わない方がいいですよ。いざというときその割を食らうのは兄上です」

お前の言う通りだったよ、隆景。きっとあの女のことを何とも思っていなかったら、腕なんかを狙わず心の臓目掛けてぶっ刺してやったさ。一瞬で終わらせて、寸分の狂いもなく鹿の攻撃に備えていただろうな。

怪我を負っても、元春の乙女に対する気持ちは揺らがなかった。

急いで止血せねばいけないと慌てる部下を横目に、元春は恐ろしいほど冷静なまま乙女のことを考えていた。

「は、は……待ってるぜ。早く殺しにこいよ、乙女……」

雲が動き、再び月の光が城内を照らした。まだ、戦は終わっていない。

(20250826)
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